「あえてつまらない文章」を書くという
わたしは、その方の記事を面白いなぁと読んだ。
その人は25歳ぐらい。業界紙の記者だそうです。
1.業界紙の彼
産業用機械の各メーカーが、その業界紙のお客さんでした。
機械を買い使ってくれている顧客の話を記事にしてゆくのがお仕事。導入事例というやつです。
彼は、機械になんかぜんぜん興味が無かった。
ぜんぜん文学的でないから、そんな記事自体好きではなかった。
お客さん(メーカー)は、ハッとさせるような比喩とか、あえて句読点を使わない長めの一文とか、英語でキザに言い換えてみたりとか、そういうのを嫌った。
新聞記事もそうですが、面白い文章を書こうとしてはいけない、のです。
気が付くと、そんなのもので喜ぶのは作家志望だけだという世界にいた。
彼は面白い文章が書きたくて記者になった。
だから、この仕事を任された時、苦手だなぁと思ったそうです。
でも、仕事だからやるしかないと思って、文章の訓練だと思って書き始めた。
すると、意外とこれが面白かったというのです。
彼は1文が長くなる傾向にあるので短くなるようにする。そうすると文にリズムが出てきた。
また、わざと面白くない記事にするよう意識することで、新しい手法に巡り逢えたそうです。
それに面白くしなくて良いというのは、自分にとっては逆に楽なのかもな、とも思ったと。
さぞ、面白くなかろうとおもっていたんだけど、本人、これが意外に面白かった。
で、「あえてつまらない文章」をせっせと書いた。
ただし、自信は無かった。
編集長に見せたら、100点の記事だと褒めてくれたという。
2.説明してくれなかったものだから
さすが”記者”だとおもいました。
わたしとは年齢(感性や興味)が大きく違うし、わたしも業界紙に興味は無い。
なぜ、わたしが読み続けたのかと言えば、「あえてつまらない文章を書いた」と彼が言ったからです。
もちろん、業界紙や一般紙は、正確に事実を伝えることが主眼です。
しゃれた文章、面白い文章には、書き手の主観や修飾が入ってしまうから、当然彼の記事も事実中心でしかありえない。
そんなことは彼も分かってる。
でも、彼は「あえてつまらない文章を書」いたと、わざわざ言った。
面白い文章、有意義な文章こそが”正義”だと思い込んでいるわたしに、青年はクサビを打ち込んで来たのです。
え?どういうことって、わたしに疑問(疑念?)が湧いた。
それ以上、説明してくれなかったものだから、わたしは読みながら疑問を抱き続けた。
彼は有名な一般紙にほんとは就職したかったんだろうなぁとか、
名も知れぬ業界紙記者となってしまったけど、負けるもんかと思ってるんだろうなぁとか、わたしに想像が走った。
書いてオチをつけることが出来る人であろうに、彼は自分のブログ記事にはそれは書かなかった。
その文章自体、「あえてつまらない文章」に徹底したのだと思う。
彼の思ったという事実、工夫してみて感じたという事実、編集長の評価。
そこに、主観はあるけれど、どこまでも”事実”の扱いをしていた。
「業界紙だって学べるんだ!と気が付いた」と書き手がいったなら、「つまる」文章になってしまったでしょう。
それでは、せっかく自分が気づいたことに矛盾してしまう。。
3.彼はわたしにお土産を置いて行きました
簡説な記述であればあるほど、読み手に想像の余地が広がるでしょう。(文書の理想の姿が短歌でしょう)
現に、わたしにいろいろな妄想が広がった。
読者がそうして主体的に参画できる。
彼は、そのことを業界紙で学んだと、ほんとは言いたかったんだろうなぁ。
文学という名の元に、一流紙であるということにアグラかいて、読み手不在の記事があることを批判したかったのかもしれない。
いや、自分が「こんな業界紙にいる」って思っていて、他人のせいにばかりしている自分自身を恥じてるんだろうか・・。
わたしは、その方の記事を面白いなぁと読んだというよりも、素敵なひとだなって思った。
青年のプライドをわたしはそこに見たのです。
がんばれよって、わたしは思った。
そして、彼はわたしにお土産を置いて行きました。
じぶんのブログを「あえてつまらない文章」にしなくていいのか、という問いです。
こんなふうに感動したっ!面白いでしょ!みたいな、主観だけが興奮しているわたしのブログです。
あなたに押し付け、あなたの想像空間を奪ってでも、自己満足に浸りたい・・・みたいな。
ああ、、恥ずかしいっ・・・。。。。
でも、と思った。
わたし自身も想いだけを書くんだったらイヤラシイけれど、
わたしが愛するものをわたしが熱く書いたっていいじゃん!、とも思うのです。
ほら、推し。
愛するもののために、あえて「つまる」文章を書いてもいいじゃん、て思う。
わたしは書き手の想いがうかがわれる文が好きです。
それはとてもたいせつなものだから。
どうでしょうか?
あなた。
P.S.(蛇足です)
たぶん、ご存じでしょうが、春樹さんは自分の気持ちを外国人に正確に伝えるには、とこんなこと言ってた。
「僕の経験から言うなら、外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツというのはこういうことである。
(1)自分が何を言いたいのかということをまず自分がはっきりと把握すること。そしてそのポイントを、なるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること。
(2)自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。難しい言葉、カッコいい言葉、思わせぶりな言葉は不必要である。
(3)大事な部分はできるだけパラフレーズする(言い換える)こと。 ゆっくりと喋ること。できれば簡単な比喩を入れる。
以上の三点に留意すれば、それほど言葉が流暢じゃなくても、あなたの気持ちは相手に比較的きちんと伝えられるのではないかと思う。しかしこれはそのまま〈文章の書き方〉にもなっているな。」
(村上春樹、『やがて哀しき外国語』講談社 )
プロの小説家でさえ、「つまらない文章を書く」ことに留意しているということでした。
いや、プロだから、読み手の入り込める場を用意できている、ということでしょう。
もちろん、(3)のパラフレーズするはとってもとっても難しいのではありますが。