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だめだなあだめだなあつて思ふたび ― オリジンのこと


だめだなあだめだなあつて思ふたび

  降る必要のない牡丹雪 /伊豆みつ


ずいぶん小さな時にその人のorigine(源)が埋め込まれるのだと思う。

わたしのは、たぶん雪。ささやかな話ですほろほろ。


炎天の下。

ふるさとは17歳の時に離れましたが、暑すぎる夏になるたびに思う。

あの雪がなぜ今ここに無いんだ!と。

少し冬を持ってこれないんだっけ?ほら、ダンプとかで。

今この瞬間に雪祭り会場がわたしを囲め!、みたいな願いがわたしに起こる。

怒りも湧いて来るぞ。あんなにドコドコ降ったんなら、少しは夏場にも降れよっ!みたいな。

何でも制御したがるわたしです。が、さすがに雪は降らせられない。

けど、雪よ降れとひたすら暑い日にそう思う。


雪はわたしにとって、ちょっと特別な存在です。

生まれた時から、冬は雪しかなく、雪に凍え、雪と遊び、雪にうんざりした。

果てしなく降る。11月の初旬のみぞれから始まり、春の最後のドカ雪まで。

そして4月もでんと居て、ようやく5月に去る。

1年の半年間、雪に埋もれる暮らしでした。


高校を出ると、雪の無い土地に行った。

道に限らず、どこにでも好きなところにずんずん自由に歩いて行けるということに、戸惑った。

えっ、行っていいの?雪がずっとじぶんを制限してきたことを知りました。


雪は単なる気象現象じゃなくて、一緒に生きる身内みたいなものでした。

いくら揉めても、仲良くしないといけない親や兄弟のようなもの。

大事なんだけど、腹の立つ相手。

でも、この相手はいつも淡々とし不動の意思がある。

降るならとことん降る。。。抗えない相手でした。



新潟の山奥に生まれました。日本一積雪のあるところだった。

春に測ると、自重で圧縮されているにも関わらず5メートルには成った。

立山のアルペンルートで雪割って走るバスの景色にほぼ同じです。

はじめて見る者はわぁーと感嘆するけれど。

1晩に70センチ積もるということも珍しくなく、毎日降り続いた。

昭和はものすごく雪が降ったのです。

小さな子も屋根に上がり雪降ろしばかりさせられました。

道路は寸断され、村へ自衛隊のヘリが物資を輸送したこともおぼろに覚えてます。


どんどん降ると、ある時、空は趣向を変える。

軽い雪、あるいはいくぶん重い牡丹雪をゆっくり降らせるのです。

それは徹底的に降らせた後に起こること。

もう降る必要のない雪が降りて来る。こんなふうに。はらはらとスローモーションで。

見飽きないでしょ?いや、惹き込まれません?


スロー・モードになるので、小さかったわたしは1片1片を数えたくなった。

空から、わたしに向けて次々と降りて来ます。目にもときどき、ちらり入る。

たしかに、雪は数えれました。

でも、実際数えたことのある人はあまりいないと思う。

数えても無駄なことだから。

無限を前にすると、人は簡単に諦めてしまう。

無限なり制限は、ある種の安心を与えます。

自分に課せられた枠のせいにすれば、がんばらなくて済む。

実際、どこまでも行けることに気づいたわたしは、ちょっと困った。


小さなわたしは、じっと空を見上げました。

はらはらと降りて来る雪の子のリズムにじぶんが同調して行く。

ゆらゆら、ゆらゆら。

すると、じぶんが浮上する。

降りて来る雪を地上で見ていたはずなのに、じぶんの位置が分からなくなる。

どっちが上か下かも分からなくなる。

わたしが雪たちに吸い込まれ、じぶんが雪なのか、雪がじぶんなのかさえ、もう分からない。

じぶんが消える。と、時間も無くなる。。


この時空が消える感覚はじぶんが知っている何かなのですが、思い出せない。

スピ系では、「今ここ」と有難がるけれど、小さな子どもでも簡単にこれを経験します。

今もここもじぶんも、簡単に消えてしまう。

でも、小さな子はただ体験するだけです。

クリアな意識で自己を認識しているわけではありません。


降りて来た雪の子たちはあっさり消されました。

お空は天が、地は人間が支配しました。

せっかく着いたのに邪魔だ、と消されるのです。

雪の子がこんなふうに消される様子は、いつも悲しかったです。

もちろん、それはクルマの通る大き目の道の話です。

細い道、畑や川や林や山、家々に雪は降り続け、一面が白と黒だけになる。

そして、灰色よりすこし白い空でした。


あなたはご存じないかもしれないけど、雪の村はとても静かです。

積もると、雪は多孔質の部材となり音を吸収するのです。

ヤッホォーといっても、何も返って来ない。反射音が無くなった村は無音となる。

そして、煌々と照る月夜に、雪はぱたりと止む。

深夜、窓から外を覗くと、青白い月の明かりに照らされた沈黙の白の世界が広がってる。

怖く、畏れるものがあります。

この静謐(せいひつ)をいつか体験しているような気がするのですが、これも思い出せない。

わたしは、忘れっぽいんです。



大きく成ってまで、情けないじぶんは見たくはなかった。

でも、今でもやっぱり落ち込む。と、悔しいです。

だめだなあだめだなあつて、わたしは思う。

わたしは、あっても無くともいいような、降る必要もない牡丹雪です。

そんなふうにへこむのは、なにかを得よう、為そうとしてしまうからでしょうか。


へこむと、でも、しかたなく耳を澄まします。

その時、わたしは忘れていたことを思い出す。

父や母はすごく若く、弟と毎日雪で遊んだ懐かしいところ。

太郎の屋根にも次郎の屋根にも降り続いた雪。

音を立てずに、わたしに降り続く雪。


なにか行為をしないといけないと思うでしょうが、何もしないという方が大切かもしれない。

雪の様にどっしり構え、消される時は消されてしまえばいい。

小さな子だったわたしが、あのヒラヒラする雪たちを追っていた瞬間に迷いなんか無かった。

他者と比べてもいなかった。じぶんに期待もしていなかった。

ただただ、わたしは雪に魅入られ、胸を空に開いていた。わたしは、満ちていた。

わたしに、それが出来ていた時が確かにあったのです。


登録抹消のような作為は、ダメな子と同時に良い子も殺してしまうでしょう。

だめだなあだめだなあつて思う時、ただ、降る必要のない牡丹雪のことをわたしは想うのです。

みんなは降る必要は無いというけれど、でも、それはわたしのオリジンです。

わたしの大元は、親や兄弟のように良いも悪いも無いのです。

ただただ書くということは、とても貴いことかもしれない。



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