ありがたや、ありがたや
ほんとに酷暑。地球が熱いと、体もいまいち。
そうだ、わたしもありがたや、書いてみよう。
母のスマホがわたしをはねるっ。
昨日の朝、電話を掛けると繋がらない!
弟に電話したら、彼はつながるという。
わたしが非通知設定にしているかもしれないと彼はいう。
そんなのどうしたらええか、わたしゃ知らんがなっ。
面倒なので、母に電話してくれ、わたしに掛けるように伝えてくれとお願いした。
ふたりとも何だかんだと後で言うから間に入るのは面倒だなって、弟はぼそっと言う。
頼むっ!と押し切る。弟は、穏やかだった父に似ている。
しばらくして、スマホが鳴った。母の声がした。
「ああ、いちかい?」
実は、数週間前から、いちは掛ける電話のことが気重だったのです。
言葉の裏をいちいち詮索してくる母が面倒です。
隙あらば恨み言、悔いをだらだらと言う人は嫌いです。
何よりも、人の話は聞かず、自分のことばかり言いたいことにわたしはイライラして来る。
母は、黙って聞くということができない人です。
ああ、そこはまさにあなたの息子にそっくりなのです。
ということで、電話では、お互い相手の話のシッポを握っては、
じぶんの方に手繰り寄せ、とにかくじぶんのことを話そうとする。
という待てないふたりの会話は忙しい。かなり、疲れる。
昨日は、わたしの誕生日でした。
その日は、わたしから母に電話をすることにしている。
22歳の暑い日に初めての子を産んだのなら、そりゃ、たいへんだったでしょう。
そして、どんなに月日が経とうが、お尻を拭いてやり、おっぱいあげた事実は微動だに消えない。
生を受けた子の方からありがたや、ありがたやと声掛けするのが筋だとわたしも思う。
そこは納得している。だから、いちから掛ける。
けど、きっと、母は電話が来ることをじっと待っている。今か今かと。
ぼそっと声がした。「ああ、いちかい?」。
ねっ、、なんて楽しそうじゃないんだろ!
半年ぶりに、先ずは母の体調を聞いた。
血圧の降下剤以外、飲んでいないという。
入院もしていない。おお、、上出来です。
90歳近いのに、特にボケてない。警戒心が強い人はボケないんだろうか?
いや、それは電話ではよく分からないのです。
行ってみようか、京都まで。。
目が悪くなったという話がやたら長い。必死に訴える。
膝も悪くて、病院に行って注射打って欲しいけど、暑さで出れない。
部屋は、クーラー3つがんがんにかけているという。
いちの弟が、どんどん付けて構わないと言ったと付け加えた。
まっ、でも、とにかく良かった。
とりあえず、急いで京都まで行くような状況で無いことだけは確認できた。
わたしは、弟にまかせっぱなし。
母は言う。
「お前たちが五体満足に生まれて来て、グレもせず、真面目に働き、
そして健康だというのはなんてありがたいんだろ。
心配かけずに居てくれる子を持てたんだもの、わたしはほんとに幸運だよ。
どんなに生意気でも。
子は大きく成り、わたしは老いたんだ。
いつの間にか、子に諭されているんだ。そういうものなんだね。。」
京都の空を見上げては、ふとわたしは何でここにいるんだろうって思うという。
おお、、アタタラ山の話か。あなたも、千恵子なのか。
これは長い話になるぞっ。
前頭葉では、母も分かってる。
父が死に、雪深い新潟にもう一人では住めない。屋根の雪下ろしなんて絶対無理だ。
だから、弟が来ないかと母を誘ったのだった。
それは、母に言わせると、ありがたや、ありがたやだった。
でも、思考と情は違うのだ。
ここはふるさとではないという。話し相手もいない。
わたしもそうだよと、隙の出たシッポ捕まえてわたしが割り込む。
「今までどこに住もうがそこはただ住んでいるだけで、ふるさとには成らなかったよ。
ふるさと以外に人には居場所は無いんじゃないかな。
サケが生まれた川を遡上するように、ほんとに居るべき所ってこの肉と血が知っている気がするよ。
生まれ育った水と米と風と陽で大きくなったんだもの」、と言ってみる。
「ああ、お前のいう通りだね。
わたしは、あの雪深い新潟で生まれ、そこでお前を産んだんだ。
あそこには、苦しみと涙があった。
でも、近所には話し相手もいて、たまには笑ってた。
今は、テレビが相手してくれるけど、ここはやっぱりわたしが居て良いところという感じがしないんだよ。
今は、ただここで生活しているという感じだ。
ただ呼吸してご飯いただいて。」
毎回、母は同じ過去の話をする。
でも、今年は去年姉が亡くなったので、すこし姉との思い出話が付け加えられた。
意外なことに、わたしは叔母さんのことをよく知らなかったことに気づく。
父親が若くして戦士し、幼い姉妹は苦労した。
気丈な姉は母と妹を守り、家計を守ったという。
その男並みの気性は、わたしの従弟にも様々な影響を与えた。
いっけん無慈悲な従弟も、気丈に生きるしかなかった叔母さんの背負ったものから派生している。
それぞれは、バカにされてはならない、一人前でないといけないと思い込んでいた。
でも、それは、雪深い土地でなんとか生き延びようとした者たちの哀しい物語でもある。
わたしの母に、そしてわたしに文化遺伝したあの土地の悲しみを感じる。
母と電話するのがとても億劫なのは、どこまでも生まれた土地の制約で生きないといけないからだろう。
そして、どんなに辛かったとしても、そこがふるさというものなのだ。
この世に生を与えてくれたところ。でも、二度と帰れない。
母のことを想うと、かなり面倒で、悲しくて、そしてありがたい。
毎回、この胸がばらばらにさまよう。
P.S.
新潟は来る日も来る日もこんなふうに雪がボトボト降り続きました。
暑気払いにでもなりますれば。