
何ひとつうまく行かない時
贈物というのはささやかなものであっていい、と大岡信は言っています(「言葉の力」)。
ささやかだからこそ、それらをもらったほうでは、
自分の心の中でそれを暖め、もてあそび、楽しむことができると。
この世は、ささやかな贈り物から出来てるん??
1.テックス・コッブのこと
ボクシングの話です。1982年、コッブは王座に挑戦した。
WBC世界ヘビー級王者、ラリー・ホームズにとっては13度目の防衛戦だった。
で、挑戦者コッブは15ラウンドすべてで判定負けをした唯一のボクサーとなります。
1ラウンドも優位に立てずに試合終了したのです。挑戦者としては最低だった。
映像を確認しましたが、王者はパンチを何度も彼に当てていた。
この試合で、コッブは260発も顔面にパンチを当てられていた。
でも、コッブは一度も倒れなかったのです。
タフな彼は、当てられても当てられても前に出て行っていた。
それから11年後、彼は引退します。
彼の生涯の戦績は、42勝(35KO)7敗1分。
かなり素晴らしい。
35個のKOでは、相手が打ち疲れた時にカウンターを放ってる。
彼はこんなことを言いました。
「上昇気流にある者は誰でもヒーローになれる。
でも、男の価値は、何ひとつうまく行かない時、それでも前に進む根性があるかどうかだ」。
今や、かの地のプロ野球でがんがん打ってるオオタニさんはまさに上昇気流にある者。
誰もが認める、ヒーローでしょう。
いっぽう、コッブは生涯、ヒーローには成れなかった人。
でも、今のわたしにはコッブの言葉がだんぜん胸に響く。びびびっ。
2.わたしを一番知っているのは、あなたね
年末、毎日負けが続きました。投入した資金が溶けて行く。。
かなり悔しいぞっ、情けないぞっ。
顔面パンチを市場に連打され惨敗で終わったのですが、でも、新たな気づきもあった。へろへろ。
かのじょと暮らして、35年以上経ちました。
ふと、わたしはこんなことを言った。
「わたしを一番知っているのはあなたなんだね」と。
そしたら、かのじょはこう返した。
「わたしを一番よく理解しているのもあなたね」。
母親や友達以上に自分を知っている存在がわたしだ、というのです。
事実としてそう言った。
確かにそうだなぁ。。
わたしが素晴らしいとか、悔しがらないとかではないのです。
長く日々を供に重ねていると、とうぜん、お互いすべての言動をとなりで見聞きします。
そして、解釈を相手に押し付けないという関係が出来上がった。
ああ、、あなたはそうなのね?
ええ、、わたしはそうなんです、という事実のやり取りしかない。
もちろん、意見を求められたら自分の解釈はいいますが。
考えて見ると、じぶんをもっともよく知っている者がすぐすばにいるって、かなりワンダーです。
長くツガイをすれば一見、当たり前なことでしょうが、でも違う。と思う。
夫婦だからそういう関係になるとは限らない。
包み隠さずわたしがじぶんをかのじょに見せ、かのじょもそのままに受け取らないないとこうは言わない。
負け続け、資金が溶けて行くということも、かのじょは解釈しません。
わたしがひどく悔しがってるということも分かっている。
ただそれは事実でしかない。
あってはならないことだとは思わないようです。
3.ポジティブなひとなのね
年末、後場が終わりかのじょがこんなことを言った日がありました。
「あなたは、かなりポジティブなひとなのね」。
後場が終わる。
さんざん、市場で痛めつけられている。
じぶんでも負け続けるじぶんが情けない。悔しいっ。
でも、じぶんが負ける理由がぜんぜん、分からない。
それにしても不思議だっ。
なぜ、負けるん??
だんだん落ち着いて来て、その日の分析が始まります。
個々の取引内容を書き出して行く。
悔しかった衝撃がちょっと脇に置かれ、わたしは調べて行く。
ふーん、そうだったのか。。
そしたら、あって驚く。
毎日、この「あっ」が起こる。
そして、気付くと、じゃあどうしたらいいんだろうかって考えてる。
そうすると、ぴかって閃く。
おお、、そうだそうだ!、こうしたらいいじゃないかって。
こうすれば明日こそ、勝てるって確信する。
で、わたしは惨敗のショックから立ち直り、かのじょに話す。
こんな悲惨な結果だったけど、気が付いたんだ、こうすればいいんだって。
かのじょは聞いている。
そのわたしの気づきに賛同もしなければ、批判もしない。
気付きに毎度喜んでいるわたしを受け止めるだけ。
サンドバック状態のわたしです。ボコボコにやられている。
資金が溶け続け、崖っぷち。首の皮、1枚残るのみ。
でも、へこんではまた、立ち上がって行くわたしを見ていたのですね。
で、「あなたは、かなりポジティブなひとなのね」と言ったでしょう。
サラリーマンは職場でしていました。
だから、かのじょは仕事で追い詰められているわたしを直接見たことは無かったのです。
今は隣の部屋でうんうん唸り、悔しがっている。
長くツガイをしてきたにも関わらず、かのじょはわたしの崖っぷちを初めて見た。
もちろん、当人であるわたしも、じぶんが意外にタフだなとは思っている。
でも、わたしは、負け続けても、「きっと大丈夫だ」という謎の自信があるのです。
どんなにボコボコにやられようとも、きっと大丈夫だとこころのずっと底で確信している。
なぜか、そう確信している。
それは、負けを分析しては、少しづつじぶんを知るプロセス自体が面白いこともある。
気付いてはじぶんに新しいルールを追加する操作感もある。
負けではじぶんを振り返り、対処法を見つけ、そしてじぶんを制御している。
わたしは、このプロセス全体が気に入っているのでしょう。
そもそも、仮に資金がすべて溶けてしまっても、近くの温泉施設でまた稼げばいい。
そこは、朝3時間、銭湯の掃除をしてくれる人を募集し続けています。
ブラシで床や湯船をゴシゴシ磨くのです。壁や鏡を綺麗に拭いて行く。。。
時給1000円程度ですから1日、3000円。それを5日間すれば1.5万円。
月に6万円なわけです。
1年もすれば最低限の資金はまた投入できるようになるでしょう。
完全にやられても、またカムバックすればいいさとどこかで思っている。
でも、じぶんでも悔しがり絶望する割に、なぜこんなに嬉々として明日を迎えれるのか分からなくもある。
とかく、人は何ひとつうまく行かない時、良い悪い、好きだ嫌だと騒ぐ。
大きな言葉を振り回わすのですが、大きすぎるとうまく自分で扱えない。
ささやかだからこそ、反芻(はんすう)できるってあります。
ずっと長くいてくれた人が、「あなたは、かなりポジティブなひとなのね」と言った。
それはそのままにわたしは嬉しい。
きっと、謎の自信がある時、ひとにはまさに適職、あるいは適した生存環境にいるということなんでしょう。
目先の一喜一憂ではなく、そうか、わたしはポジティブなひとなのかとどこか愉快です。
「わたしを一番よく理解しているのもあなたね」と言われ、わたしは身が引き締まる。
そうだそうだ、何かのご縁で契ったあなただものと、わたしのどこかがしゃんとする。
辛く苦しい時、小さな言葉はきっとあなたを励ます。