【テレビ視聴感想】Switchインタビュー 達人達 ブレイディみかこ×鴻上尚史
こんにちはorこんばんは。
備蓄の賞味期限切れ消化期間に突入したasa_swaです。
最近、自宅から出られない日々が続いていますね。
おかげで、表を飛び回ってるハト見て「くっそハトばっかり…」と思いつつ、家でずっとテレビを見ています。
元々引きこもりだったはずなのですが、出るなって言われると出たくなるよね。出ないけど
結果を知った上で改めて
最近、久しぶりにはまっていることがあります。
ブルーレイレコーダーに録画しておいた番組を“ある程度”寝かせてから見ること。
手軽に未来人の感覚を味わえるのでぜひ、おすすめしたいのですがだれも賛同してくれない…
確かに、最新ではない情報をもとに構成された番組は「陳腐化しているのでは???」と思われる向きもあるかもしれないのですが。
しかし、これが意外に楽しいのですよ。いや、ほんとに。
例えば、最近あったのが昨年の年末に放送された池上彰氏の番組。
2019年はインフルエンザが例年以上に猛威を振るっただけでなく、例年に比べ早い季節に流行したのも特徴的でした。
それを受け、なぜ例年に比べて流行が早かったのか、個人レベルでできるインフルエンザ対策など。
改めて感染症の怖さを伝える内容は大変参考になったのですが、現状はこの体たらくですよ…
正直「半年も前に池上さんがこんなにわかりやすく伝えてくれていたのに…」という気持ちになり、改めて #StayHome を徹底しなければ、という気持ちにさせられました。
次は『水曜日のダウンタウン』でやっていた、新元号を当てるまで帰れない回を5月1日に見る予定です。
番組の内容として結果がどうなったのか、はもちろん知っています。
しかし、ちょうど1年経ってから見た時、自分の中でどのような化学反応があるのかが楽しみです。
おそらく「歯姫」は1年たってもおもしろい。
ブレイディみかこ×鴻上尚史
録画した番組は基本的に半年ぐらい寝かせるのですが、これだけは我慢できずに視聴してしまいました。
初めは家の仕事をしつつながら見していたはずなのに、開始10分で手の動きは見事に止まります。
気が付くと、座り込んでコーヒーを飲みながら、パソコンのメモ帳を起動して気になるところを打ち込んでいましたよ…
浅学でお恥ずかしいのですが、視聴開始時点ではブレイディみかこさんのことを存じ上げておりませんでした。
にもかかわらず、視聴完了時点では『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のAmazon商品ページがすでに開かれているという…
はぁ、早く本屋に行きたい。
色の違うエイリアン
まず、印象的だった話が、ブレイディみかこさんがイギリスで保育士をなさっていた時に人種の壁を感じた話。
ブロックでエイリアンを作っていた子どもの言葉の中に、家庭内で形成される無意識の差別意識が垣間見えたエピソードです。
「色の違うエイリアンは親子にはなれない。こいつは赤い星、こいつは白い星、こいつは青い星から来た。」
「こいつらがファミリーになれないのは、それぞれの色に優劣の順番があるからだ。」
同じ意味の主張を、私は別の場所でも見た覚えがあります。
確か、『フランケンシュタインの誘惑 "いのち"の優劣 ナチス 知られざる科学者』だったはず。
既視感で頭がクラクラするレベル。
優生思想のスタートは優秀なものと優秀でないものを選別すること、一番危険な点が優劣の基準が“人種”であること。
ナチスが行ったことはあまりにも残虐で二度と繰り返してはいけないことは、言うまでもありません。
しかし、人種の壁による分断は呪いのように世界のどこかに息づいているし、私自身の中にもまったくのゼロというわけではない。
「多様性が必要であることに薄々気づいている。」
「変わらなきゃいけないのはわかってるけど、どう変わっていいのかわからない。」
「どうやって関係をつないでいけばいいのかわからない。」
私の目の前に重度の障がいを持った方がいたとして、果たして私はその人を無条件にハグできるだろうか。
単独行動時、たまたま出くわした外国人の兄ちゃんにびくっとしないでいられるだろうか。
鴻上尚史さんのこの言葉に深く共感し、そんなことをずっと頭の片隅で考えながら見ていました。
気づくと『鴻上尚史のほがらか人生相談』にふせんを貼りながらマーカーを引いてた。
名前
もう一つ印象深かった言葉があります。
「だって…夫婦別姓でこんだけもめる国ですからね。」という鴻上さんの何気ない言葉です。
本当に何気なさ過ぎて今さら…という話題ではありますが、私はなぜ夫婦別姓が取り入れられないのか、疑問に思っている1人です。
名前は私たちにとってアイデンティティです。
少なくとも私にとってはそう。
「名は体を表す」という言葉の通り、私の名前は私自身を端的に表したものです。
私自身が何者であるか、どのようにありたいか…をなぜ自分で決められないのか?
正直言うと、職場の上司にも本名を明かしたくない。
夫婦別姓どころか、勤務先のネームタグを今すぐ「asa_swa」表記に変えたい。
なぜ取り入れられないのか…ということを考えた時、もちろんジェンダーの問題もあるだろうと思います。
さらに、鴻上さんが度々訴えている「所与性」「思考の停止」も大きい気がしてなりません。
むしろ、“えらいひと”“かしこいひと”がジェンダー認識を更新したくない!っていう所与性にどっぷり浸かってるってことだろうから、根っこは一緒か。
ちなみに「更新したくない!」のイメージ↓
∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´)ヤダヤダ!夫婦別姓なんてヤダヤダ!
`ヽ_つ ⊂ノ
鴻上さんの演劇ワークショップ
鴻上尚史さんが演劇人ということもあり、話題は鴻上さんが主宰するオープンワークショップの話にも。
ロールプレイでコミュニケーション能力、想像力、相手の立場に立って考える力を養う体験は、参加者全員がとてもきらきらした目で一生懸命で眩しいです。
こういう青春送れなかったなぁ…
そこから、話題は表現教育の話へスイッチ。
番組中で「演じる」という作業を通じて、いじめっこといじめられっ子を体験するというロールプレイが話題に上がっていました。
たかだか5分程度、数人から罵倒されるだけで心が張り裂けそうになる。
自分が言いたくもないことで人を傷つける度に心が張り裂けそうになる。
ロールプレイはいじめられる役/いじめる役どちらになっても、相手の気持ちに立つ想像力が必要。
演じることと小説を書くこと
この話題が画面の中で盛り上がっている間に私が考えていたのが、「将来、小説を書きたい」という夢をあきらめたことです。
とは言っても、小学生が「空を飛びたい!」と思うレベルの夢でしたが。
私にはできないと思った最大の理由は、悪役や人間の仄暗い部分、負の部分を書けなかったこと。
善人しかいない、都合のいいキャラクターしか出てこない小説は言うまでもなく薄っぺらなです。
今でも下手の横好きで続けてはいるものの、ダークサイドを書く時には未だに胸が痛い。
だからこそ、私はエンターテイメントとして成立する小説を書けないです。
演じることと文章で表現することはツールとして違うだけで、相手の立場に立って考える、想像する、という点では同じ。
黒歴史をえぐられたという意味では、一番衝撃を受けた内容だったかも。
まとめ
配信サービスが登場して以降、テレビ番組はオワコンという風潮があるのは事実です。
事実、スポンサーや視聴者に気を配りすぎて、当たり障りのない、毒にも薬にもならないコンテンツは存在します。
特に最近は新しいコンテンツをつくるにも制約が多いため、再放送でしのいでいる時間帯も少なくはありません。
アフターコロナの世界でテレビがどうなっているのか、どうなっていくのか。
もしかしたらテレビを見届ける日がくるかもしれない…と、いらない心配をしつつ、今日も半年前の番組を見ながら #StayHome を徹底します。
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