満たす、零す
「人は皆、それぞれの弱い部分を持っているものだ」
何のニュースだったか、ニュースへの感想だったのか、上の言葉を何気なく呟いたら
「弱いところばっかの奴が何言ってんだ」
と父から言われた。
父は赤ワインを飲むと悪酔いして暴言を吐く。今日も赤ワインを飲んでいた。
だからなんだ。
アルコールが入っているからといって暴言を吐いていいわけじゃない。
たしかに私は弱い。傷つきやすいし落ち込みやすい。わかりやすい数字や名称で誇れるものなど何もない。
だけど、弱いからこそ人の弱みを思いやれるのだと思っている。少なくとも、父のように『弱いとわかっている相手』にわざわざ尖った言葉を投げつけることはしない程度の配慮と思いやりを持っている。
両親は、日常的に私に暴力は振るわない。(小さい頃、言うことをきかないとビンタはされていたけれど)
大学まで行かせてくれて、お金の面で不自由な思いはしたことがない。
だけれど、私が大事にしたいものを決して理解してはくれない。両親にはそんな意図は無いのかもしれないが、何気ない言葉が私をグサリと刺す。
父と母の価値観が、私を刺し殺す。
人からは、「あなたは恵まれている」と言われる。
私もそう思う。両親に感謝もしている。だけど、満たされない。
感謝と嫌悪が同居している。
きっと私は両親から真正面から向き合って理解されることを望んでいる。私の健やかな幸せを、自分を愛して生きることだけを願ってくれないかと夢見てしまう。
だけど、それは永遠に果たされないだろう。特定の愛され方を強請っているうちは私はきっと満たされない。そうやって知らず知らず私は自ら愛を零しているのかもしれない。
わかっているのに求めてしまう。
これほど複雑な思いを両親に抱いているのに、理解されたいと願ってしまうとは『親』という存在は恐ろしい。本能としてそういうように初期設定されてしまったのだろうか。神様か、地球の偶発的な何かの要因か、実に恨めしい。
しかし、毎度毎度
シャワーを浴びながら唇を噛み締め自分の肩を抱きながらひとしきり泣いた後、こうやってnoteに書いて整理して、
私はじゅうぶん強いのかもしれない。
あなた達の娘は今日も図太く繊細に生きています。
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