20歳になるらしい


なんだかんだ、もう20歳になろうとしている。こういう節目の時の流れを考えると思い出すことがある。

高校2年生のときに、私は不登校になった。不登校。なんとも社会的によくない響きだ。その当時、私はとうとうそれまで人生の中で考えたこともなかったものに直面する。

それは、「うちの家庭はなんだか普通ではないのではないか?」ということだ。

両親が離婚したのは小学三年生のとき。ピアノのレッスンから帰ってくる途中に、車の中で母が言った。「お母さんとお父さん、離婚したから。」

そのとき、私はなぜだかすんなりと受けれることができた。それは、同級生に片親しかいない生徒がいたからだろうか。それとも、毎日の両親の大喧嘩をみて安堵したか。

いつからそんな疑問が湧いたかは覚えていない。だけど考えれば考えるほど、自分ちの家庭はフツウではなくて、どこかおかしい。ということを考えるようになった。

よそん家のお母さんはお酒を飲んだらそのあと車に乗ってどこかに行くことがないらしい。よそん家のお母さんは、急に娘のことを殴ることはないらしい。

そして私は、高校生のときはじめて精神科に通うことになった。はじめて行ったところは可もなく不可もなく……、という感じだ。お医者さんは話を聞くというより「薬出しますね」というだけの係だと、私は認識した。カウンセラーの方はとてもやさしいが、優しすぎてなんだか申し訳なくなった。

そして、初めて行ったカウンセリングでは、あることをさせられた。

「ここに、女の人のえを書いてください」

というものだった。私は高校生時代からの記憶があいまいになっているので、言葉通りに言ったかは定かではないが、とりあえず言われるがままに女の人の絵を描いた。

「この人は、何歳くらいでしょうか?」

と聞かれ、とりあえず、なんとなく、私は「20さい くらいです、たぶん」

と答えた。

「じゃああなたが自由になれる歳は20歳くらいを願望していることなのよ」的な感じに言われた。たしかにとドキッとした自分がいた。

私には2人の姉がいて、その当時姉らは20歳ほど。結婚してこどもを授かっている2人を見たら、私も将来はこんな風に自由になれるのかなと思っていたからだ。

と、来年20になる私は、このときのことを思い出す。それは別になにもスピリチュアルな話ではなく、私が自分で行動し、環境を変えた結果、今こうして母親のもとを離れ、1人暮らしをしているというだけのことだ。

もし今、機能不全家族について悩んでいてどうにかしたいと嘆いている人に対して、私は何も声をかけてあげることはできないような気がする。

それは、当時の私もそうだったからだ。インターネットで知り合った友人曰く、「それは環境を変えるしかない」とのことで、私はなんとか母親の呪縛から逃れたくてあの手この手をしてきたつもりだ。その話を聞くと私は正直に絶望した。あと数年のことなのに、苦しんでいる身からしたらとても長い時間に思えたからだ。

20歳といえば、小学生のころからしたら、ずいぶんな大人だと思っていた。しかし実際のところは全然違うというギャップに少し面白く感じてしまう。自分でも、「少し考えがマセた小学生」というような精神な気がする。

当時なやんでいた私へ、早く解放されたいと思うので思い切り行動してください。後悔しないようにあの手この手をつくしてください。あなたは間違ってないです、たぶん。

と言いたい。

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