一番はっきり覚えている記憶
学生の頃の記憶
その日はお腹が痛かった。抗えない眠気があったし、今思い返せば、頭痛もあった気がする。
いつも体のどこかしら不調だった。
寝不足で、毎日朝5時の起床。そのあと1時間半、バスに揺られ早朝の授業が始まるギリギリの時間に着く。眠気眼をこすりながら、ほとんど聞いてない授業をBGMに。私と同じように長時間の通学時間をしていた他の子は、そのたびに怒鳴られていた。船を漕ぐ生徒は居眠りがバレる。いつしか、私は考えているふりをしながら寝る術を覚えた。
その時期は、本当に毎日が地獄だった。学校から出された課題だけで精一杯で寝る時間は1時を回ることが多かったし、早朝授業が地域特有のものと知り、そんなクソみたいな文化をかなり憎んだ。おとなになった今、私の通っていた学校は体制が見直され、後輩たちは早朝授業がないらしい。知ったときはなんとも歯がゆい気持ちだった。
ある一定の時期から、5限目をサボるようになった。古文を担当していた、高齢と言っても今じゃ60歳を過ぎても職業に就いているのが当たり前で、とりあえず、それくらいの年齢の男性教師だった。結婚相手は、この学校を卒業した元教え子ということで、なんとなく嫌悪感。それだけじゃなく、クラスの男子が思春期らしい、特有のワードを大きな声でいうと、それはそれは嬉しそうに反応するのだ。しばらくそんな時間が続く。軽い授業崩壊が、その時間にだけ訪れるのだ。同じクラスの他の生徒はどうだったのか、みんななにくわぬ顔をしていたのか、また男子がなにかやっている、というような呆れ顔だったのかもしれない。
とにかく、その授業が嫌で嫌でたまらなく、私はその時間の授業をサボるようになった。
保健室の、一番奥のベッドで横になりながら、普段の寝不足を補うように寝ていた。50分の授業が終わっても、帰りのホームルームが始まる直前まで寝ていたし、その時は担任の教師と保健室の先生が容赦なくカーテンを開け、起こされていた。
とにかくこっちは眠いんだよ。眠らせてくれ。
そんなことももちろん言えるわけもなく、戻ります、とだけ声を発してのそのそとベッドから這い上がる。学校の長期休みが入るタイミングでクリーニングに出され、「あんたの制服、高いんだからね」と言われながら丁寧に扱われていたそんなスカートは、私の眠りのたびに、くしゃくしゃになっていた。
教室に入る。周りの目を気にしながら。きっとみんな、私の存在に触れない、触れてはいけないと思っているに違いない。
どうか、誰も私を見ないで。いないように振る舞って。
そう願いながら、ちょうど教室の真ん中あたりの自分の席についた。途中から入るには、目立つ席だ。はあ、なんでこんな席なんだろ。希望したのは自分なんだけど。
不真面目な生徒だと思われたくなかった。学校のことは好きだった。いや、今思い返すと別に好きじゃなかったかも。日本の文部科学省に定められた規定を守るために、様々な人間が箱に押し込められた異様な空間だわ、と言う人もいた。何がそうさせていたのか。
ここで私の存在が認められなかったら、私の居場所はない。私が存在していい理由はない。
そんな思いが、私の目立ちたがりな性格を生み出していたのだ。中学では生徒会役員に立候補したし、クラスの委員長もした。委員会も熱心に取り組んだし、先生には負けずに主張した。母からは、「女なのにそんなに目立つ存在なんて立派よ、すごいわ。」と褒められた。母に褒められるのは嬉しかったし、そんな母の自慢でありかったと同時に、女なのに、目立つ存在であることに誇りを持っていた。
でもある時期から、私はそうではなくなった。どうしてこうなったのだろう。全く検討がつかなかった。みんな受験を考えている時期で、自分が理解していない領域を、人によってはそれ以上のレベルのものに取り組んでいた。クラスの子が、希望大学のために本格的に勉強を始めていた。休み時間も問題集に取り組む姿を見て、私は内心焦っていた。
何も考えたくない。考えられない。自分の将来の姿が全く想像できない。
鬱々とした気持ちは、帰宅してからは更に強まっていく。
玄関のドアを開けてすぐに分かった。甘いような、酸っぱいような、酎ハイの香りが漂っている。
(お母さん、また飲んでる。)
今日は車での出迎えがなかった。毎朝毎夕、バス停で母が車で送迎をしてくれる。もちろん、車で5分の帰り道を母が送ってくれるだけでもありがたいことだ。
でも、今日はそれがなかった。置き勉が許されないため、教科書やファイルの入ったパンパンのカバンを引きずりながら帰った道は、心細かった。心がざわざわする。良くないことが起こる。薄暗い外灯を頼りに、扁平足の私にはちょっと我慢できるくらいのローファーの角が、じわじわと明確な痛みに変わる。脳内で必死に考える。心当たりはあった。
ハラハラ、ハラハラ。心よりももっと奥、ずっと奥がソワソワする。触られているわけでもないのに、後ろから見えない手で掴まれている。
ただいまを言わず、そっと音を立てないように自分の部屋に入る。部屋に入っても嫌な臭いはしていた。
怖い。私はそっと机の下に入る。体育座りをしながら。制服のまま。
でも、お風呂に入らなきゃ。課題もしなきゃ。英単語の書き取り、意味あるのかな。そんなことを考えながら、お風呂場へ向かう。
部屋を出た瞬間、母からの大声。
あんた、テストの成績返ってきたけど。あれはなに。
わかっていた。もちろんわかっていた。下から数えたほうが早かった、私の成績表が届いたのだ。
最もである。わざわざ1時間半もかけて高校に行く。なんのためか。学年の先生たちが、模試のたびにクラスの生徒たち、もちろん私も含む、みんなを責め立てること。
大学。大学に行くため、大学受験をして、いい大学に行くため。なんのため?より良い職業につくため。良い会社に入って、高収入を得て。それが一番。
でも、すでに授業についていけていない。必死に勉強したいのに、何がわからないのかがわからない。
お風呂に入ろうとする私に、それまでテレビを見ていた母は立ち上がり、私の目をしっかり見ながら叫ぶ。
「なんのために高い学費払ってんの!?あんたがしていることはお母さんに対する裏切りだから。勉強以外のこと頑張っても、何も評価されないんだからね。ただえさえ母子家庭なんだから、周りに舐められているのに、あんたのせいでもっと舐められるのよ。あんたが周りからどんなふうに言われているか、わかってんの?」
勉強ができない私でもわかっていることだった。母子家庭なのに、母は私が行きたいという学校に出してくれた。昼の仕事だけでは学費を払うのが困難だから、夜も働きに出ていた時期もあった。成績が悪くて怒られるのも当然。バカな私が悪い。そう、私はバカなのだから、そういうこともわからないのだ。
「ごめんなさい」
本心だ。本当に申し訳ない。私のせいでお母さんはお酒を飲みまくり、お母さんを不幸にしている。私がお母さんを追い詰めている。
なんとかその場面を耐え忍び、泣きながらお風呂に入る。母の怒号が聞こえてくる。母の暴言は、私に向けたものだけではなかった。
この家から出ていった歳の離れた姉のこと。祖母のこと。離婚した父のこと。この愚痴が一番多かった。ずっとずっと、何かしらの愚痴を、母はひたすら叫んでいた。
私のせいだけじゃないじゃん…
とは思いつつも、それを聞くのも私の役目。これは使命。22時くらいになり、母の飲んでいた酒がまわり、母が眠った時間帯から、私はいつも動き出すのだった。