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◆怖い体験 備忘録/第32話 怒りの矛先

わたしはファザコンだったので、事故で亡くなった父の話はよくnoteでも触れますが、今も存命の母の話は滅多にしていません。
母は4回の脳梗塞と2回の手術を経て、今ではすっかり温厚なおばあちゃんになりましたが、若かりし頃は人妻であるにも関わらず恋多き女で、そのおかげでわたしたち娘もエラい苦労を強いられたものでした。
これは、そんな母が父の死後、どうしようもない理由でやむを得ずうちへ泊まりにやってきた時のお話です。

その頃、母はわたしたちと父を捨てて再婚した年下の男性と暮らしていました。
その方は酒癖があまり良くなく、しょっちゅう酔っては母のことを外に締め出したりしていたのだそうです。

ただ、正直言ってその頃のわたしは、そんな母の不幸について「知ったことか!」と思っていました。
何しろ彼女はある日突然数百万円の借金を残して、不倫男のもとに走った母親なのです。
父とわたしは母が残した借金の返済に追われ、しばらくはかなり情けない生活を強いられました。
おまけに母は父が事故で亡くなった翌々日に電話をかけてきて「10万円貸してくれない?」などと言ってきたこともあり、とにかく彼女のデリカシーのなさ、図々しさにはほとほと嫌気が差していたのです。

しかし、結局は血の繋がりのある母親ということなんでしょうね。
何故か完全に縁を切るという決断はできませんでした。

あれは、父が他界して1年半も過ぎた頃だったでしょうか。
母から夜の10時過ぎに電話がかかってきたことがありました。
聞くと、家に帰っても旦那さんが鍵を開けてくれず、もう車の中で1時間ほど待ってみたが、一向に開けてくれる気配がないのだと言うのです。

前述したように、母の旦那さんは非常に酒癖の悪い人物で、酔って寝込んでしまったら多少のことでは目を覚まさないのだそうです。
多分朝になれば起きて電話をかけてくると思うんだけど、それまで泊めてくれない?と、母は言いました。

──てめえこの野郎。
みたいな気持ちがあったことは否めません。
父とわたしたちを捨てて出ていったくせに、困った時だけわたしたちを頼ってくる母。
いくら父がベタ惚れだったとは言え、父の家に今は他の男と暮らしている母を招き入れるのはかなり抵抗がありました。

元はと言えば自分が鍵を持って出なかったのが悪いのに。
そもそもこんな時間まで(多分パチンコ)に出歩いているのが悪いのに。
何でわたしがあんたを泊めてやらなきゃいけないの?

しかし、時節は確か冬も始まって間もない頃だったかと思います。
ご存知のように、まだ雪は降っていなくても、北海道の冬は充分に寒いのでした。
仕方なく、わたしは「いいよ」と返事をし、一晩だけ母を泊めることにしました。

母がうちに着いたのは、それからまもなくの夜11時すこし前だったと思います。
とにかく、特に母と話すことはないし、翌日は仕事だったので、布団を敷くのも面倒になり、父が使っていたものをそのままわたしが使っていたダブルベットで母と寝ることにしました。
母はわたしに受け入れてもらえたことがよほど嬉しかったのか、やたらハイテンションで「懐かしいね」などと繰り返しています。

まぁ、ね。
いくらどうしようもないとは言え、腐っても実の母親。好きで恨む者などおりましょうか。
まぁ、心を入れ替えて少しくらい真っ当になるなら、ね。
仏壇にお参りするくらいはいいのかな?父さんも好きだったんだし…ね?

そんな風に多少気を緩めながら、わたしは母を背中に眠りに就いたのです。

でも、父は母のことを許してはいませんでした。
そしてそれは父だけでなく、生まれてくることのできなかったわたしの兄弟たちも、同じ気持ちだったようなのです。

あれは、明け方4時くらいだったでしょうか。
わたしは奇妙な物音で目を覚ましました。
ふと見ると、隣で寝ている母の体の上に、小さな何かがいます。
え?と思って顔を近づけてみると、それはちょうど白雪姫の童話の絵本に出てくるような、大きさにして10cmほどの小人たちなのでした。

小人たちは、ガリバー旅行記のように母の体によじ登りながら、何事かをわぁわぁ喚き散らしています。
数は7,8人くらいだったでしょうか。
やがて彼らはだんだんと凶暴になり、母の体を噛んだり引っ張ったりし始めました。

そのくらいから、あぁ、これは夢なんだ、ということは解っていたと思います。
でも、どうしてこんな夢を?
解らないまま小人たちを「やめなさーい!」と叱りながら母から遠ざけようとしていると、ふと寝室の入り口に誰かが立っているのに気づきました。

見ると、そこには真っ青な顔をした父が立っていたのです。

──ヤバい。

咄嗟にそう思ったわたしは、父に向かって言い訳めいたことを言いました。

父さん、あのね、今日だけなんだ。
あの、おかんがね、家の鍵を忘れて家に入れないらしくて、それで、あのあの、えーと

そんなわたしの言い訳も聞こえないのか、父はこちらに一瞥もくれず、静かに寝室に入ってきました。
ふと見ると、その手には長い長い箸が一本だけ握られています。

──父さん?

言い終わるか終わらないかのうちに、父はその手に持った長い箸を、思い切り振りかぶって母の右目に突き刺したのです。

ぎゃあっ と思わず悲鳴をあげたところで、わたしは目を覚ましました。

がばりと跳ね起きると、体中に冷や汗をかいていました。
そこで確信したのです。
父も、そして水子になったわたしの兄弟たちも、決してまだ母がこの家に入ることを許してはいないのだと。

わたしの悲鳴で起きた母にそのことを告げると、母は少し俯いて悲しそうな顔をし、でも、悪いのは母さんだものね、と言いました。
わたしは「そうだね」と応じ、続けて「すぐ帰んな」と言いました。
母は黙って頷き、それから数年は、我が家に足を踏み入れることはありませんでした。

これは、特に意識があったときに体験した心霊現象などではありません。
でも、わたしは確かに確信していたのです。
その時はまだ癒えていなかった父と、兄弟たちの怒りを。

その後、どうしようもないことに母はその時の男性とも離婚し、3人目の旦那さんと結婚し、その方の最期を看取りました。
これでわたしは自由の身だ!などと嘯いていましたが、それから2ヶ月も経たずに自身も脳梗塞で倒れて生死の縁を彷徨った末、今は施設にいます。

あれだけエネルギッシュに色恋に生き、散財を尽くしてきた母でしたが、今は軽い痴呆にかかり、何か欲しいものはない?と尋ねても、食べたいものもない、欲しいものもない、会いたい人もいなーい、などと言う始末。
昨日のことを覚えているのも少しずつ難しくなりました。

そのうち、都合の悪かったことも全て忘れてしまうのでしょう。
もしかすると、あれだけのことをしてきた母の余生にしては、充分に幸せと言えるのかも知れません。

先日、母を遠方の病院に連れて行くことがありました。
母は突然、わたしが生まれた時の話をし、あの時はねえ、お父さんは肩をさすってくれたりして、本当に優しかったんだよ、と言い出しました。

わたしは、不思議でした。
確かに父は母のことが大好きだったけれど、それでもかなり昭和の暴力親父的な側面もあり、母も殴られたことは一度や二度ではないはずです。
現に、父の元から逃げる前は恨み言しか言いませんでした。

それなのに。
優しかった、とな?

ずいぶん素敵な思い出だけ覚えてるのねぇ、と、わたしは母に言いました。
すると母は、こう言ったのです。

もうね、いいことしか、覚えてないの。

涙が出そうになりながら見上げた秋の空は澄み切って、爽やかな風が吹いていました。
あの空の向こうにいる父にも、母の言葉は届いたでしょうか。

あの時の父の怒りも、向こうへ行ったら鎮まっていることを祈ってやみません。

それでは、このたびはこの辺で。



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