◆奥州平泉を観るんじゃい!③/ミドル夫婦の新幹線de岩手県
結論から言うと、まさか3部作になるとは思わなかった。
しかし声を大にして言っておきたいのは、それだけ岩手県が魅力的で楽しかったということ。
何が恐ろしいって、今回は宮沢賢治めぐりも殆どしていないし、遠野物語の聖地も諦めた。それなのに、3万文字の筆舌にし難い魅力がこの旅には詰まっていた、ということになる。
とは言え、この章は主目的であった【猊鼻渓】と【中尊寺】を観終えたあとの、のんびり行き当たりばったり岩手旅最終章&北海道に戻ってからの消化試合といったところ。
暇を持て余して仕方ないという方だけお付き合い頂ければ幸いです。
ただし!!
何軒か超絶オススメの飲食店や名所をご紹介するのも確か!
これから盛岡市や北海道南部をめぐる機会がお有りの方には多少参考になるかも知れません!
例のごとく目次もつけますので、お好きなところからお読みください。
それでは、ミドル夫婦の新幹線de岩手旅・最終章、行ってみよー!!
1.盛岡の夜は美味かった
さて、今回一番の見どころだった【中尊寺金色堂】を見終えたわたしたちは、平泉駅から今夜の宿泊予定地・盛岡まで戻ることにした。
しっかりと見て回ったため、この時点で時刻は17時2分。Googleマップでは、平泉駅までの道のりは徒歩19分となっている。
調べてみると、平泉から出る次の盛岡行き東北本線は、17時29分発。
それを逃すと1時間以上待つ羽目になりそうだ。そうなると、盛岡に着くのは20時過ぎになってしまうので、ここは何としてでも29分発の東北本線に乗込まねばならない。
単純計算で、歩けば17時21分には平泉駅に到着することになるけれど、何しろ1日歩き回ってへとへとだったわたしたちは、間に合いそうにないからタクシーに乗ろうぜーと、とりあえず気楽に門の前までぶらぶら移動してみた。
ところが。
待ちタクが一台もねえ!
大慌てでタクシー会社に電話してみると
えー!!混み合ってて30分以上は来られないだって!!
何につけても呑気な夫は、すぐさま「じゃあ次のでいいじゃん」と宣った。
しかし、6月からこっち車中泊を始めとする数々の旅で、晩めしの時間が遅くなってから店を探し始めてロクな目に遭ったことがないのだ。岩手まで来て晩ごはん難民など冗談じゃない!!
「歩こう」と、妙にきっぱりわたしは言った。
それはこれまで、何かにつけては一応夫の意向も尋ねながら次の行き先を決めようとするたびに喧嘩になってきたことに怯えていたわたしにしては、奇妙に迫力に満ちた低音ボイスの「歩こう」だったと思う。
そこからの様子を少し離れたところから撮影するカメラがもしあったなら、結構面白かったのではないだろうか。
大荷物を肩から下げ、前のめりになって爆速ウォークをキメるわたし。
そして、3メートルぐらい後ろをダラダラぐだぐだついてくる夫。
わたしの心の中では、ただひたすらポケモンGOで鍛えた足をナメるんじゃねえ、という想いだけが渦巻いていた。
結局、Googleさんに19分かかると言われた道のりを15分で歩き倒し、わたしたちは無事に17時29分平泉発→盛岡行きの東北本線に乗り込むことができた。
GAFAの一角を担う巨大アメリカ企業の目算に、アラフィフ夫婦が勝利した瞬間である。
いつもならここらあたりで夫は少し不機嫌になり、気を使ったわたしが必要以上に夫に話しかけ、それでも改善されない機嫌にイライラし、険悪なムードになる流れである。
しかし「絶対に間に合わす」という気迫が勝った結果、気遣いもせずに道のりをぶっちぎったのが却って清々しかったのか、急がせてごめん!でも絶対晩ごはん遅くなるの嫌だったから!と言い切ったわたしに、夫は「いや、いいよ」以外は特に何も言わなかった。そして、そのまま車内で爆睡した。
いや、ほんと食い意地の張った嫁でごめん夫。
俄然滝汗を流しながら眺める岩手県の夕暮れは、とても綺麗だった。
同じような規模の町、同じような規模の農村でも、内地と北海道では趣きや佇まいがそこはかとなく違うのだ。それってやっぱり歴史の積み重ねだよなぁ、などとしみじみしながら夫の寝顔を眺めていたら、まぁ夫婦だって歴史を積み重ねなきゃ味なんて出て来ないよな…などと一人でたそがれてしまった。
我ながらいい年して乙女だなー!
そんなこんなで辿りついた盛岡では、早々にホテルに荷物を置き、晩ごはんを食べるお店を探すことになった。
この時点で、歩いた歩数は17000歩超え。
繁華街までは結構遠いということだったので、ソッコーでタクシーを捕まえ、盛岡市の大通へと連れていってもらう。
途中、タクシーの窓からはキレイなタワーが見えた。
そういえば地方都市ではそれぞれ何らかの名前がついた色んなタワーがあるよな!と思いつつ、運転手さんに「あのタワーは何ていう名前ですか?」とお尋ねすると、些かつっけんどんに「東北電力のタワーです」という答えが返ってくる。
え?なんかこう…盛岡タワーとか…名前みたいなのは…と更に尋ねると、「名前はないです。東北電力のタワーです」と、重ねて否定されてしまった。
うーん、実直ー!!!
こういうところも、岩手嫌いじゃないなー!と何だかほっこりしたエピソードなのでした。
ここらへんなら…何だかんだお店があると思うんで…と降ろして頂いた盛岡市の大通は、北海道で言うならススキノを思わせる大賑わいであった。
むぬすげえ数の飲食店や飲み屋さんが所せましとひしめいており、キャッチもやたらと多い。
想像していたよりはるかに都会の空気に些か怯みつつも、とにかく何らかの郷土料理を食べてみたいな~~とキョロキョロしていたら、夫がふと「前沢牛、食べたい!」と騒ぎ出した。
えー…いやー…うーん。そりゃ食べたいけどさあ…旅費だってそれなりにかかってるしさあ…できれば何かこう、それなりにリーズナブルな居酒屋さんとかでそこそこの郷土料理にちょこっと前沢牛が使われてますぅ…みたいなさ…そんなんで充分にさあ…いいんじゃない…?などとごちゃごちゃ言っていると、夫は突然はっしとわたしの手を掴み、いつになく強い口調で「いいじゃん!たまの結婚記念日くらい奮発しようよ!」と叫んだのであった。
ぬぁ~~にぃ~~~!?
結婚記念日だとぅ!?
忘れてた!!
そういえば、旅の発端はそんなことを言ってわたしが散々駄々をこねて喚き散らしたから、なのであった。
それなのに、当日になって結婚記念日を忘れていたとは。
いつもは完全に逆だったのに…よく覚えてたな、夫。
こうなると、もうペースは夫のものである。
結婚以来初めて記念日を忘れていた気まずさも手伝って、わたしは前沢牛をOKするしかなかった。
くそー!!来月のカード明細が怖いけど!!こうなったら仕方ねぇ!!
前沢牛、食べちゃうかー!!
キャッチの波状攻撃を次々と振り切りながら、Google検索で見つけ出した前沢牛のお店の名は【燈弥】さん。
ここがもう…ここがもうね…
大当たりだった!!
盛岡で前沢牛を食べたいなら、絶対絶対おススメの、忘れられないお店になりました!
入口は少し狭く感じたのだけれど、中に入ると洗練された佇まいを感じさせる和モダンの広い店内。
先客はわたしたちの他に1グループだけだったけれど、団体さんで大層賑やかだった。
ちょっと店の雰囲気にそぐわない騒ぎ方をしてらしたので、一瞬不安になったけれど、梅宮辰夫さんを思わせる雰囲気のマスターが気さくに注文を取りに来てくださったとき、あ、ここはきっとアタリだな、と確信した。
まず、説明が明快。そして丁寧。
前沢牛すき焼きを2人前注文しようとしたわたしたちに向かって、マスターは「あ~、うちのすき焼きはねえ、本当に想像より肉が多いから。まずは1人前にしておいた方がいいよ!足りなかったら追加すればいいんだから!」と言ってくださったのだ。
お店なんてさ。観光客まるだしのわたしたちがたくさん注文して残したって、損はないわけじゃん??すき焼きなら、1人前違うと金額も結構違ってくるんだし。
でも、こういう対応ができるお店は絶対素敵に決まっている。
何しろ食材に対する敬意と、客に対する配慮があるもんね!
安心したわたしたちは、もう1人前のすき焼きを食べるはずだった予算で「前沢牛・南部鉄野趣焼」というお料理も注文してみることにした。
南部鉄器で前沢牛を焼くなんて!!そんなん絶対ここまで来ないと食べられないやつなんだもの!
まず通しで出てきたのは、絶妙なおだしで頂く生湯葉。
ちょっと多いかな…?と思った柚子胡椒が結果的に絶妙な配分で食べ終わったとき、夫と二人で「ここにして良かったね…!」と僥倖に恵まれたことを感謝してしまったよね。
そこからは、本当に何を食べても美味しかった。
一品一品説明してくださるマスターのご説明の中にも、こだわりとユーモア、そしてセンスの良さが光っており、食べる楽しみと聞く楽しさに時間も忘れて没頭してしまった。
当然のごとくわたしたちの会話にも花が咲き、この上なく幸せな結婚記念日となったのでした。
他を知らないので大変恐縮ではあるのだが、盛岡で前沢牛を食べたいと思ったなら、繰り返しになるけれど【燈弥】さん!!絶対オススメでっす!!
わたしたちもこのお店は絶対もう一度行きたいと思う名店でした。
燈弥さんはコチラ↓↓↓
美味しい時間をたっぷり堪能したあとは、夫と手を繋いで夜の盛岡の街をブラブラと散策した。
しかし本当に、盛岡の大通は都会だったなあ。
ちょっと危ない香りのするキャッチや若いお兄さんの姿も散見され、おばちゃんは些か気圧されぎみ。
しかし、途中で『〆パフェ』の文字を見かけて俄然元気が出てしまった。
〆パフェって札幌だけの文化じゃなかったのかー!!
夫は「えぇ…せっかくいい食事をしたんだから…パフェなんてやめとこうよ…」とまっとうなことを言っていたが、一度火がついてしまった甘味への欲求は止まるはずもない。
よーし!と厳選した結果、何となく品数が多そうな【パブロ・カルザス】さんというお店に飛び込んでみることにした。
お店の感じは、ちょっと懐かしい感じのする古き良き80年代のファミレステイスト。わたしたちの他にお客さんのいない店内では、3名ほどのスタッフさんたちが話に花を咲かせていた。
とりあえず、わたしはチョコバナナパフェ、夫はバナナジュースを注文してみる。
ややしばらくしてから到着したチョコバナナパフェは、お店の雰囲気から想像していたよりはずっと美味しかった。
しかし、バナナジュースは全然冷えておらず、むしろぬるかったため、夫は最後までぶつぶつ言っていた。
あとで調べてみると、こちらは以前盛岡でも数店舗展開していた老舗のファミレスなのだそうだ。現在は、市内に残すところこちらの1店舗のみとなってしまったそうだが、品数も豊富で長時間滞在もOKなので、地元では重宝されているらしい。
確かにメニューにはたくさんのお食事も掲載されていた。ランチにはいいのかも知れないね!
ここからは、行きはタクシーで来た道のりを歩いてホテルまで戻った。
最終歩数は21000歩。
宿泊した【ブライトイン盛岡】さんは、宿泊料金がべらぼうにお安い割にはアメニティもそこそこ充実しており、2人では些か狭く感じたものの、もし一人なら充分にアリだと感じた。
とにかくリーズナブルなお宿をお探しの方は、ぜひ視野に入れてみてね。
さすがに疲れていたのか、この日はしっかりお風呂に浸かって髪を乾かしたあとは、ほとんど記憶にないほど朝まで熟睡してしまった。
2.もりおか歴史文化館で不思議と出会う
うっかり早く寝付いてしまったせいか、翌朝は6時に目が覚めた。
どうやら夫は遅くまでPCと格闘していた様子で、まだぐっすり眠りこけている。
実を言うと、この日は「盛岡で冷麺食べる」以外の予定を全く立てていなかったので、わたしは夫が寝ている隙に旅日記をまとめながら、今日の日程を考えてみることにした。
ざっくり周辺の地図を見てみると、まず、このホテルの横には【もりおか啄木・賢治青春館】という、石川啄木と宮沢賢治の合同展みたいな名前の記念館が存在していた。
明治43年に建てられたという煉瓦造りの元・銀行を改装して作られたというそれは、建物自体も重要文化財指定を受けているそうだ。
何でも、石川啄木と宮沢賢治は10年ほど盛岡に住んでいたことがあるそうで、中には啄木の詩集のタイトルから名前をつけたのだという【喫茶・あこがれ】も併設されているのだとか。
ん~~~気になる!!
しかし、オープンは10時からだという。
このホテルはチェックアウトが10時までだったので、少し早めに出るとしたら、待ち時間が発生するのはあんまり好もしくない。
更に調べてみると、少し歩いた先には9時にオープンする【もりおか歴史文化館】という博物館があることがわかった。
そうなると、歴史大好き夫婦の我ら。ちょうど起き出してきた夫と相談の結果、南部藩と仙台藩の関係性も気になることだし、当然のごとくそっち行っちゃうかー!という流れになるよねー。
【もりおか歴史文化館】は、その名の通り盛岡市の歴史や文化を資料に基づいて紹介する、というコンセプトの博物館である。
中にはお祭りで使用する山車や馬の装飾見本のほか、盛岡城の復元図や歴史にまつわる様々なアイテムが展示されており、誠に興味深く面白い。
特に、高橋克彦の小説「炎立つ」や、東北を舞台にした藤沢周平の小説などがお好きな方には、非常に見応えのある博物館なのではないだろうか。
外見からはあまり想像がつかなかったが、中は結構な広さがあり、当時使われていたという船橋や鎧の展示のほか、かなりお金をかけたに違いないデジタルサイネージなども設置されていて、これで入場料300円はかなり太っ腹!という印象を受けた。
ボタンを押すと音が流れる音声資料などもあり、雰囲気も全体的に抜群。
夫と2人して「何で北海道ではこのクラスにお目にかかることが稀なんだろう…」とボヤきながら、じっくりと隅々まで見て回った。
途中、盛岡城下を再現したデジタルサイネージは、浮世絵がそのまま動いたり喋ったりするような仕組みになっていて、これにはすっかり時間と心を奪われてしまった。
幅は3メートルくらいあり、盛岡城から城下町に至る道のそこかしこに配置されている役人や町人たちが、思い思いの会話を繰り広げているのだ。
間近に立つと、その部分が動き出す仕組みになっていて、しかも徐々に季節が移り変わるので、本当にずーっと見て居られるほどの面白さ。
記憶にある限り、今まで見てきた博物館の展示物の中でも最高峰に楽しい仕掛けだったので、お近くに立ち寄られた方はぜひ見て欲しい。
ちなみに、盛岡城はそのほとんどが明治の初頭に解体されたそうで、現在は城跡に作られたという【岩手公園】の中に、僅かに石垣や土塁の遺構が残っているのみである。(土蔵や城門の一部は移築されたものもあるらしい)
復元模型を見ると、天守閣こそないものの、天守台に三階櫓を備えた堂々たる構えで、実際に肉眼で見たらどれほど綺麗だったろうねえ…と、夫と2人して溜息をつきながら観察した。
復元模型の展示コーナーから更に進んでいくと、更に鉄砲や鎧が展示されているコーナーがある。
中でも、初代南部藩主・南部信直が着用していたのだという雨合羽と陣羽織はめちゃくちゃ厨二心を刺激してくるデザインで、思わず興奮してしまった。傾奇者みたいじゃん!!
ここまでゆっくりと見回ってきた時、ふと、背中に不思議な感覚があり、わたしは振り返った。
そこには、何故か黒田官兵衛が用いたのだという兜が!!
黒田官兵衛とは「戦国三英傑の一人にも数えられる名軍師」とされている人物である。
織田・豊臣・徳川と、戦国を代表する大大名に仕え、知略や築城の才に秀でた名将ということになっているが、まさか南部藩のお膝元で黒田官兵衛の兜に遭遇するとは思わなかった。
というのも、黒田官兵衛ゆかりの地と言えば、盛岡からは遠く離れた九州あたりが思い浮かぶからだ。
実は、この出会いには個人的に思うところがある。
黒田官兵衛の兜がここにあることを、どうしてもある人に伝えなければならない。
この兜を見た時に、そのために岩手に呼ばれたのかな…とすら思ったのだが、詳細を記すとスピやオカルトにまったく素養がない人にはドン引きされそうな気がするので、ここでは記さずにおく。
しかしまぁ、とにかく自分的にはなぜ今日【啄木・賢治青春館】ではなくこちらに来ることになったのか、一人で合点が行ってしまった。
もし興味がおありの方がいらしたら、ぜひわたしがフォローしている三寅さまのnoteをご覧ください。本当に興味深いよ!!
三寅さまのnoteはコチラから↓↓↓
黒田官兵衛の兜に戦慄したあとは、徐々に近代に近づいていく展示をささっと見て歩いた。
【もりおか歴史文化館】は休憩ラウンジまでイカしており、再び「これで300円でいいのだろうか…」という想いが湧き上がってくる。
途中には、一人の南部藩士の生涯をひたすらにピックアップした展示コーナーなどもあり、溢れ出る郷土愛の深さに、すっかり参ってしまった。
連綿と歴史が紡がれている地域って…いいなぁ。
最後の方には、城下町を等身大で再現したスペースなどもあり、終わりまで飽きずに楽しめる造りになっていた。
いやー、ほんとね。行政はこういうお金の使い方をして欲しい!という見本のような博物館でした!!
ありがとうございました!!
3.報恩寺・五百羅漢で自分探し…からの鬼の手形へ
さて、【もりおか歴史文化館】を出たあとは、普通に2人で顔を見合わせて「次…どこ行こう?」という事態になってしまった。
初めて訪れる土地に、土地勘などあろうはずもない。
お約束でGoogle検索を活用すると、ここからそう遠くないところに【報恩寺・五百羅漢】という場所を発見した。
報恩寺は、享保16年(1731年)から4年間をかけ、9人もの仏師によって掘られた木像が499体、ずらりと並べられたお堂を有する異色のお寺で、お寺自体も応永元年(1394年)に創建されたというから、実に600年以上もの歴史を持つ古刹ということになる。
もりおか歴史文化館からは、歩いて約20分。
もうすっかり歩くのが嫌になってきている夫を励ましつつ、市内を進んでゆく。
途中で差し掛かった【緑の広場】という公園もどことなく味があり、改めて「盛岡って素敵な街だなあ」と思うなどした。
そういえば、海外からの評価も高いんだって、何かに書いてあったなあ。
そうして辿りついた建立600年超の古刹は、静かなド迫力に満ち満ちていたのでありました。
本堂を左に折れ曲がると、五百羅漢を安置しているお堂の入口には受付があり、とても親切そうな女性の方が、帰りがけに色々なお話を聞かせてくださった。
館内は基本的に撮影OKで、薄暗いお堂の中には、ド迫力の羅漢像がぎっしりと立ち並んでいる。
ちなみに五百羅漢とは、お釈迦様の入滅後、あちこちから集まってきた五百人の聖者を指す言葉だそうで、そもそも【羅漢】とは、仏弟子が到達する最高位の階位をさすのだそう。
なるほど仏像とは違い、元々が人間だけあって、彼らの佇まいは妙に人間らしく生き生きとしている。
中には歴史上の人物をモデルにしたような仏像も紛れているそうで、何人かそれらしき人(マルコポーロやフビライ??)も見つけられたが、基本的には一瞬動かれたとしても気づかないくらいの密集度の上、延々と歴史が積み重なったお堂の匂いに些か食らってしまい、15分も経たずに出る羽目になってしまった。
しかしここの見応えは半端ないので、オススメスポットとして推しておきます!
最後に、受付の方が「ここのお堂には、実はどれだけ数えても499体の羅漢しか見当たらず、500体目は見えないところに隠れているという説があります」と教えてくれた。
そして、この話をすると「実は、その500人目はわたしなんですよ!」と言って帰られる方が、年に何人かは必ずいらっしゃいます、と聞いた時には思わず爆笑してしまった。
そんなにたくさん現代社会に羅漢ほどの聖者が居てたまるかよぉwww
何はともあれ、貴重な体験となった報恩寺めぐりなのであった。
ここらへんからは、何となく「今日の新幹線で北海道に戻ろうか…」という空気になった。
休みはあと1日残っているが、多分三日間ほぼ歩きっぱなしで互いにヘトヘトだったのであろう。
それにしても、まだお昼に冷麺を食べるまでには少し時間がある。
とりあえずタクシーで盛岡駅まで戻っておこうか?と尋ねると、夫は突如「鬼の手形とやらが見てみたい」と言い出した。
再びGoogleさんを呼び出すと【鬼の手形】は岩手県の名前の由来にもなった観光名所だそうで、鬼の伝説が残っているのだという。
しかも、調べてみると報恩寺からは徒歩4分。これは行くしかありませんなー!と、わたしたちは再び意気揚々と歩き出した。
報恩寺から鬼の手形までの道のりは、お寺銀座とも言うべき寺だらけの町並みであった。
別にこれは盛岡だけに限ったことではないのだけれど、北海道もあらゆる寂れた地方都市をめぐりにめぐった結果「正直お金ありそうなのは寺ばっかし!」という風景によく遭遇する。いやあ。不思議ですねえ。
ここでも、ご多分に漏れずびっくりするほど豪華なお寺が盛りだくさんであった。
中には目ん玉飛び出る値段がしそうなレトロカーが数台停まってる寺ともかあるじゃん……。参拝客のってよりは何となくコレクションめいた置き方なんだけど…気のせいかな?気のせいだよね?
【鬼の手形】が祀られている三ツ石神社は、その辺に較べると割合清貧を感じさせる佇まいの、好感が持てる神社だった。
まぁ寺じゃなくて神社だしね。
いや、別に寺に対して特別な意趣があるわけではないんだけれども。わたしもまだ洗礼受けてないから一応仏教徒なんだけれども。あ、誰も聞いてないね。
実際に目視してみた鬼の手形の感想は「よくわからん」だったけれど、その昔、この地を荒らしていた鬼が退治されて「もう二度とこの地を荒らしません」と確約させられた末に証拠として手形を押さされたのが、この岩なんだって。想像すると、何か可愛いな。
そして、そういった伝承がそのまま地域の名前の由来になる国。
日本って、ほんと不思議なものと共に歴史を歩んできたのだなあ。
4.昼の盛岡市街で冷麺とレトロを噛みしめる
二泊三日の日程で、あらかた見たいところを見尽くし、食べたいものもほとんど食べ尽くし、歩くべきところを歩き尽くしたわたしたちは、表通りに出て流しのタクシーを捕まえることにした。
先述したように、あとは気になるもので食べていないものは残すところ『盛岡冷麺』のみ。タクシーの運転手さんなら、きっと美味しいお店を知っているに違いない。
都合10分ほどもウロウロした末、やっと捕まえたタクシーで質問してみたところ、駅前に行くならここかな…と【盛桜閣】さんをオススメされた。
調べてみると、Google評価は4.1の焼き肉屋さん。なるほど地元の名店のようだ。
運転手さんに「土日は間違いなく行列」と言われていた【盛桜閣】さんはしかし、平日の早い時間だったおかげで並ばずに座ることができた。
とは言え自分たちが帰る頃には見事な行列ができていたことを思うと、単にラッキーだったのかも知れない。
一瞬「せっかくだから焼肉も…」とも考えたが、ランチには冷麺セットがなかったので、歳的なことも考えて冷麺だけを注文する。
タクシーの運転手さんによると、ここでは「辛みは別にしてください」と注文し、お好みの量だけ辛味を追加するのがツウの食べ方ということだったので、言われた通りにオーダーしてみた。
そういえば、ここでも水ではなくほうじ茶を無料で提供された。
前章でも確か触れたと思うのだが、どこへ行ってもほうじ茶の無料サービスがある盛岡。マジでSUKI。
そして生まれて初めて食べた本場の盛岡冷麺は、そこはかとなくフルーティーなスープがたまらんさすがの貫禄なのでした。
北海道で食べたことのある冷麺と一番違っていたのは、麺。
わたしが知っている冷麺の麺は、細いのに異様な弾力とコシがあり、下手すると嚙み切るのにどえれえ労力を要するヤバいやつなのだが、本場の盛岡冷麺はわたしが知ってる冷麺の倍ほどもありそうな極太麺なのに、もっちりした弾力を残しつつ、ちゃんと噛み切れた。
まーまーまー、やっぱり何事も本場を試さなきゃダメってことね!
…とは言え、ケチくさいことを言うとコスパ的には△と言ったところかな…
でも、間違いなく一度食べてみる価値はあります!
ここからは、多分盛岡観光ラストとなる【光原社】を目指して歩いた。
【光原社】は、宮沢賢治の詩集が初めて出版された出版社だそうで、今は雑貨屋と喫茶店として営業され、人気の観光スポットになっているという。
ここで提供されている『くるみクッキー』があまりにも美味しそうだったので、わたしはそれを同僚たちへのお土産にするつもりでいた。
ちなみに、盛岡駅から光原社までの道のりは徒歩で約10分ほど。
冷麺を食べた盛桜閣さんはほぼ駅前にあったので、とりあえず駅のロッカーに荷物を全て預けてから、ミニダンジョンみたいになっている地下道を経由して目的地を目指す。
駅では「銀河鉄道乗り場」と書かれた看板を発見し、テンションがブチ上がってしまった。浪漫ー!!
かくして辿り着いた【光原社】さんは、まるでそこだけ時が止まったような風情を残すレトロでオシャレな空間なのでありました。
基本的に中はほとんど撮影NGだったが、南部鉄器や民芸品が売られている雑貨屋の他には、宮沢賢治の直筆原稿や挿絵の原画が飾られているギャラリーなどが併設されており、かなり見応えがあった。
ここへ来て初めて知ったのだが、そもそも【光原社】というのが宮沢賢治の命名によるものらしい。おまけにここの看板は、かの棟方志功が彫ったのだというから意味がわからん。
大正・昭和サブカルを代表するビッグネームのコラボ看板とか夢ありすぎん??
その昔傾倒した昭和文学のカホリに存分に酔いしれながら時を過ごし、いざ名物の『くるみクッキー』を入手して帰ろうかと雑貨屋を訪ねたところ、悲しい現実が待っていた。
ない。
くるみクッキーが!!
なんとめちゃくちゃ人気商品らしく、出すと同時に全部売り切れてしまったのだとか。
北海道にいるときから!!ここのくるみクッキーだけは買おうと心に決めてたのに!!
「またお越しくださいね」って言われたけどさすがにむーりー!!!
もうガチのガチで凹みまくりながら「あの…どこか他に売っているところがあればどこへでも行くんですが…!」と縋りつくと、苦笑したお店の方は「ええと…他におろしているお店はないんですが…運がよければそこの可否館(コーヒー館。これも宮沢賢治の当て字らしい)に、お召し上がりになる分くらいは提供されている可能性がございます」と教えてくださった。
んもう!買えないならせめて!!自分だけでも食べて帰りたい!!
そんな意地汚い執念を胸に大慌てで裏手にあるカフェスペース『可否館』に滑り込むと、何と「本日、最後のふたつでございます」というくるみクッキーをゲットすることができた!!
光原社さん、宮沢賢治さま!!ありがとうございます!!
こちらのカフェスペースも、昭和レトロを感じさせる大変味のある建物だったが、やはり基本的には撮影NG。
中ではめちゃくちゃ雰囲気のあるバリスタのお姉さんが小気味よく動き回っておられ、本当にうっとりするほど絵になるお姿だったのだが、画像を残せなかったのは大変残念なのであった。
注文したのは、くるみクッキーふたつとカフェオレ。
撮影NGということで、くるみクッキーを画像に残すのも無理なのか…としょんぼりしていると、お姉さんが「お手元だけなら大丈夫ですよ」とご許可をくださいました。神かな!???
さくほろに焼き上げられたクッキーにはさまっているのは、バターが香るキャラメル風味のヌガー??みたいな何かに絡められた、たっぷりのほろにがくるみ。
これがもう…マジでめちゃくちゃにうまい!としか言いようがない。
クッキーのほろり、クリーム?のしっとり、くるみの柔らかいナッツ感が見事なハーモニーを奏でており、大げさでなく本気を出したら10個はイケるやつ。
あー!!マジでお土産3箱くらい買いたかったなー!!!
余談だが、ここのくるみクッキーはお取り寄せもできず、他店での販売もされていないのだそうだ。つまり、ガチガチのガチで「ここにしかない」味。
本当に岩手まで足を運ばなかったら出会うこともできなかった最後の盛岡グルメを存分に堪能し尽くし、我々は光原社さんを後にしたのでした。
5.おわりに
本当はあと1日お休みがあったので、どこかのホテルに滑り込んでも良かったのだが、何となく旅に区切りがついた気分だったので、わたしたちはそのまま盛岡駅まで戻り、狂ったようにお土産&岩手県産のどら焼きを買いまくるのに時間を費やした。
岩手県は、どこへ行ってもくるみとずんだ。
くるみくるみずんだくるみずんだずんだくるみずんだ、のくるみずんだ天国。どっちも大好きなわたしたちには、本当にたまらん場所なのでありました。
あと印象に残っているのは、どこへ行ってもみなさん最初は控えめながら、お話するとすぐに打ち解けて人懐っこく色々なお話をしてくださる。
それが温かくて優しくて、嬉しかった。
どこへ行っても嫌な想いはしなかったなあ。
15時37分発の新幹線の中では、二人して爆睡してしまったけれど、もう少し歳を取ってからまた、岩手は絶対戻ってこようね、と話をした。
下手すると盛岡は「将来住んでみたい」まである。
自然と都会、歴史と文化、少し歩けば手の届くところにぎっしりと魅力が詰まった県。わたしたちにとって、岩手はそんな印象になったのでした。
18時にはたどり着いた北海道で晩ごはん難民になり、結局は家に帰らず室蘭で一泊して、そのままの勢いで丸一日をまたしても道の駅めぐりに費やしたアホ話はさておき。
もし、最後まで読んでくださった方がいらしたら、本当に本当にありがとうございました!
そして、この蛇足だらけの備忘録的駄文が、少しでも岩手を旅するどなたかのご参考になれば幸いです!
最後に、今回の旅でゲットした狂気の数のどら焼き画像を貼っておきます。
それでは、このたびはこの辺で!
今回の旅を最初からご覧にたりたい方はコチラから↓↓
新幹線de岩手旅①
新幹線de岩手旅②