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◆怖い体験 備忘録/第34話 水曜日のカメラ

あれは、父が亡くなって2年目くらいの頃でしたでしょうか。
1年目くらいの頃に、事故で亡くなった父のことで色々あったこともすっかり落ち着いて、本当に毎日のように涙が出てくるような精神状態もやっと少しずつ回復して、何とか前を向いて歩けるようになってきたかな…くらいの頃だったかと思います。

ちなみに色々あったお話はコチラから!⬇️⬇️

その頃わたしはまだ独身で、父が遺してくれた家をリフォームして1人で暮らしていました。
妹一家は車で10分くらいのところに住んでおり、わたしのめちゃくちゃな食生活を心配した妹に、よく晩ごはんに呼ばれていたのです。

その日も、やはり妹が電話をくれ、妹と義弟、そしてまだ5歳くらいの甥っ子と鍋を囲んでいる時でした。
みんなで和やかにキャッキャと談笑していると、会話の隙間に「ジーーーーー」という微かな機械音がするのです。
最初にそれに気づいたのは妹でした。

何だろ?と呟いた妹に続いて耳をすませたわたしたちも、音の出どころを探します。
すると、それは普段妹たちが寝ている寝室から聞こえてきているようでした。

ドアを開けると、確かにその音は真っ暗な寝室から聞こえてきていたようです。
さっきよりも些か大きく感じられるその機械音は、自分たちの背よりも高いところから漏れ出していました。
そこで妹は「あ!」と叫び、本棚の上に手を伸ばしたのです。
妹の手には、黒い小さなバッグが握られていました。

「これ、父さんの形見のカメラだよ」
言いながら取り出された旧式の一眼レフは、紛れもなく父が大昔に購入して、大切に使われていたものです。

お若い方は知らないかも知れませんが、昔のカメラはフィルムという記録媒体をセットしないと使うことができず、それは撮れる枚数が24枚、36枚などと決まっており、全部の容量を使い切ると自動的に取りはずしできる状態に巻き取られる仕組みになっていました。

これが旧式のカメラとフィルム

そして、この時の「ジーーー」という機械音は、カメラがフィルムを巻こうとする物音だったのです。

変だな、と妹は言いました。
何故って、そのカメラにはフィルムも入っていなかったのです。
それに、電源をつけた覚えもないという。
本棚の上にしっかりしまってあったのだから、そうでしょうね。
この時は結局、不思議だねえなどと言い合いながらも、特に気にせず妹の家を後にしました。

それから、どれくらい経った頃だったでしょうか。
また、わたしは仕事帰りに妹に呼ばれてお邪魔していました。
その時は何を食べたのだったか…
でも、とにかくまた同じような時間、あの音が聞こえてきたのです。

ジーーーーーーー…

さすがに、この時はみんなで顔を見合わせました。
もう、何から発せられているか判ってしまったその音。
間違いなく、父のカメラです。
妹は無言で立ち上がり、またあのカメラを持って居間に戻ってきました。
そしてポツリと「今日、何曜日だっけ」と呟いたのです。

その日は、水曜でした。
その旨を告げると妹は些か青ざめたような顔になって、そっか…前にこのカメラが動いたのも水曜だったんだよね…と言いました。
水曜は、職場でやらなければならないことがあるので、何となく覚えていたのだそうです。

「それがどうかした?」と、わたしは訊きました。
あのカメラと曜日の間に何かの関連性があるとはとても思えなかったのです。

しばらく黙った妹は、意を決したように「水曜日なんだよね」と言いました。
「え?何が?」と、わたしたちは意味がわかりません。
妹はまたぽつりと、父さんが死んだ日だよ、と続けたのでした。

なるほどそうなると、俄然関連性が出てくる気がしてしまいます。
父さんがあの世へと旅立った曜日に、しかもわたしたち家族が集まっている時にだけ、入っていもしないフィルムを巻こうとするカメラ。
色々落ち着いて、やっと少しずつ悲しみも癒え始めた今、もしかすると「忘れないでくれよ」というメッセージなのかも知れないね、とわたしは言いました。

 「…忘れるわけ、ないじゃんねえ」

そう言って笑いながら、妹は「本当はせっかくだから使おうと思ってたんだけどさ」と言い、カメラの電池を引っこ抜きました。
さすがにそれからは、父のカメラが独りでに動き出すことはなくなったのだそうです。

愛着があった故人の持ち物はあまり取っておかない方がいいという話をたまに聞くことがありますが、こういうことなのかな?と思った出来事でした。

それでは、このたびはこの辺で。



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