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◆怖い体験 備忘録/第26話 本当の弔いとは①

だいぶ間が空いてしまったので、お忘れの方もいらっしゃることと存じますが、実は怖い体験備忘録もやっていた北海道のどら焼きレビュアー、アサです。どうもこんにちは。
7月には父の本命日があり、8月までは運気が下がりがちだったので、記事を温存していましたが、そろそろ再開です。

そして、またしても父の死にまつわるお話で恐縮です。

今回は、わたしの体験の中でも最も忘れ難く、最も怖かったお話を致しましょう。
長くなるため、3部構成にしますね。
それでは、どうぞお付き合いください。


父が亡くなって1年も経とうという頃、立て続けに危ない目に遭うことがありました。
1度目は、車の運転中に何故か突然ブレーキが効かなくなったこと。
ちょうど信号にさしかかった時で、前の車のブレーキランプが点灯したので、自分も減速しようとブレーキを踏んだのですが、スコンと抜けてまったくブレーキが効かない。
その時は咄嗟にサイドブレーキを引いて、危うく追突は避けられました。
予期せぬ故障に驚きながらも、7〜8km先には父の釣りのお弟子さんが勤務している整備屋さんがあったので、何とかサイドブレーキを使いながらそこまで行きました。
しかし、不調を告げて見てもらうも、どこにも異常はないと言う。
確かに、もう一度乗ってみると、ブレーキは何でもありませんでした。
わたしは恥ずかしさに顔を紅らめつつも、お詫びを言って整備屋さんを後にしました。

2度目は、自宅での出来事。
部屋でパソコンをしている最中に喉が乾いて居間に行くと、居間じゅうが腐った玉ねぎのような匂いに包まれている。
何だろう?と一瞬首を傾げましたが、すぐにガス漏れの匂いだ!と直感し、慌てて窓という窓を開けました。
開けている最中に、口や手に痺れのようなものを感じて気分が悪くなったので、もしかすると結構な濃度だったのかも知れません。
あのまま気づかずにいたらと思うとゾッとしますね。
ガスコンロを見てみると、火がつかないままの状態でスイッチを押した形になっており、そこからかなり長い間ガスが漏れ出していたようでした。
しかし、我が家にはちゃんとガスの警報機が取り付けてありました。
ガス漏れなら必ず警報が鳴るはずなのに、全く鳴らなかった。
故障だと思ったわたしはガス会社に電話しました。
しかし、厳正に検査した結果「まったく警報機に故障は見られない」と言うのです。
またしても何でもないのに専門業者さんの貴重なお時間を頂いてしまった居た堪れなさに、顔から火が出そうになりました。

このふたつのお話は、一ヶ月も経たない間にわたしの身に置きました。
悪いことは、大抵続くものです。
わたしは妹にもそんな話をして、お互い色々気をつけなきゃね、と注意し合いました。


それから、どれくらい経った頃だったでしょうか。
おそらく、それほどの時間は経っていなかったと思います。多分一週間…くらいかな。
わたしはいつものように朝風呂に入っていました。

前にも朝風呂の最中に寝入ってしまい、その時に尋常じゃない夢を見たことを契機に、その後長いお付き合いとなるY先生と出逢った話を書きましたが、この時もわたしはすっかりお風呂の中で二度寝してしまいました。
(あ、Y先生との出逢いのお話はこちらです↓↓)

夢の中でも、わたしは例のごとく全く現実と同じような格好で、湯船に浸かっていました。
すると、また前のようにお風呂場のドアを誰かがノックする。
え?と思ってみてみると、父が立っていました。
自分がまっぱであることより先に、亡くなったはずの父がそこにいることに驚いて「えぇ!?父さんどうしたの!?」と問いましたが、真っ青な顔をした父は何も答えず、お風呂場に闖入してきます。
やがて父はおもむろにわたしの首に手をかけたかと思うと

「一緒に死んでくれ」

と言ったのでした。
そこでわたしは目が覚めました。

起きると、お風呂に入っていたのに全身冷や汗でびっしょり。寒くて堪りません。
絶対にこれは尋常じゃない夢だと直感しました。

折しも、その日は妹たちがBUCK-TICKのライブに行くために札幌に前乗りしようとしていた日。
こんな日に遠出なんかした日には、互いにどんな厄災に巻き込まれるか解ったものではないと、何故だか強い確信がありました。
わたしは妹に電話をかけ、夢の内容を全て伝えた上で、もしかすると父が何か危ない目に遭わないようにメッセージをくれたのかも知れない、というようなことを言いました。
しかし、ずっと楽しみにしてきたライブ、妹は絶対に行くと言って譲りません。
ただ、ライブは翌日の夕方からだったので、とりあえず今日からの前乗りだけはやめる、ということになりました。
そして「そんなに怖い夢見たんなら、お姉も一人じゃ心細いでしょ。今日はみんなで泊まりに行ってあげる」と言い、一家総出で遊びに来ることになったのです。当時は独身でしたので…。

時節は、父の一周忌を終えて間もなくだったので、お盆を少し過ぎたくらいだったでしょうか。
その日は遅くまで父の思い出を語り合ったりして、ライブを翌日に控えた妹と義弟は上機嫌でした。
まだ3歳だった甥っ子も連れていくと張り切っていましたが、わたしは今朝の夢が心に引っ掛かって、不安で仕方ありません。
何度か妹に行くのを取りやめるよう言いましたが、念願のライブなんだ!絶対に行く!と言って譲りません。そりゃあそうですよね。

まぁ、気持ちも充分に解りますし。
最近立て続け厭なことが起きてるから、過敏になってるんじゃない?という妹の言葉にも一定の説得力はありました。
それならいっそ、わたしも一緒にライブは無理までも、札幌まではついて行けるじゃん。ライブのあいだ、甥っ子の相手でもしていれば、心配な気持ちも紛れるかな…。
そう、考えを改めようと思い直したのです。

だいたいにして、あの強靭な精神力と腕っ節、明晰すぎる頭脳を持った父が「一緒に死んでくれ」なんて、わたしたちが危ない目に遭うようなことをするわけもなく、仮に危ない目に遭うのなら、黙って見過ごす筈がありません。
じゃあ、そろそろわたしたちも寝ようかねー、なんて言いながら、妹と義弟と3人でテレビを眺めている時でした。

その時、3歳の甥っ子は父が使っていたベッドに、一人で寝かされていました。
寝室は居間と直接繋がっていたので、ドアさえ開けておけば小さな愚図り声にも気付ける距離です。

時刻は、夜中の0時頃でした。
突然、甥っ子が火がついたように泣き出したのです。
それは、本当にわたしまでもがびっくりして寝室に駆けつけるような激しい泣き方でした。
妹は、慌てて甥っ子に駆け寄り、抱き上げようとしました。
しかし甥っ子は手足をバタバタさせてヤダーヤダーと泣き叫んでいます。
「えー!完全に寝ぼけてるよ!まだ寝てるもん!怖い夢でも見てんのかなあ」と、妹。
しかし、次の瞬間に甥っ子が口にした寝言で、わたしたちは全員その場に凍りつくことになりました。

じぃじー!!!いやだー!やめてー!


あの時の妹の表情を、わたしは生涯忘れることはないでしょう。
妹は真っ青な顔をわたしに向けたあと、小さな声で
「明日、行くのやめる」
と言いました。

じぃじ、とは、まだたどたどしい言葉しか話せなかった甥っ子が、だれあろう亡き父を呼ぶ時の呼称だったのでした。


翌朝、妹たちはすっかりしょげ返っていました。
もしかすると朝になったら気が変わっているかも知れないと危惧していたのですが、義弟は義弟で自分がうちの父に燃やされる夢を見たと震え上がっており、とても出かける気にはならない、と言っていました。

そこまで来ると、もうわたしはすっかり確信していました。
これは絶対に、父が何かを訴えているのだと。

その日、わたしはY先生を頼ることに決めました。
念の為、家を出ていた母も一応血族なので、何かあったら大変だと思い、一連の出来事を全て話しました。
そうでなくても母は割と霊感がある方だったので、すんなり話を受け入れた上で、わたしもY先生のところについていく、と言い出しました。

そこで、わたしたちは「亡くなった人を弔う」ということの大切さを、改めて知ることになったのです。

長くなったので、このお話は初めて2話構成でお届けいたしますね。

それでは、このたびはこの辺で。

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