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日記 #24 「生きづらさ」がやり尽くされて生きづらい。
オリンピックの話題で持ちきりの世の中になった。
沢山の努力が、沢山報われ、沢山散っている。
僕は、スポーツを20年も続けたくせに、スポーツが真っ直ぐ見れない。
歴史的なメダルを獲得した選手たち、本当に凄い。
でも、人が成功しているのを見るのは、つらい。特別な存在が光れば光るほど、自分が普通であり平均であり、なんでもない人間なのがわかってしまうのがどうしようもなくつらい。
期待されていた選手がメダルを逃した。
人が失敗したり、挫折したり、辛い思いをするのを見るのもつらい。どれほどの研鑽を、どれほどの期待を、どれほどの、考えるだけでつらい。
そんな中で戦うプレッシャーを思うと、どうしてもつらい。
勝ったら自意識と比べ、負けたら経験と比べ、勝手に辛くなる。僕はスポーツを見るのに向いていない。
でも、もっとつらいことは、こういう辛さが、自分だけじゃないことだ。
生きづらくて、辛くて、それでも頑張るのが、この世界の当たり前であることが、なによりも辛い。
自分はひねくれているので、、笑
という考え方も、ネガティブを売りにしている誰かが、「これは自分のモノ」みたいにしているのがつらい。
俺、スポーツ見れないんだよね、悔しくて
とか
俺、スポーツ見れないんだよね、負けるのつらくて
とか
友達と喋ったことを夜に反省会をしちゃう
とか
仕事、しんどくて休んだことあるんだー
とか
人の顔が覚えられなくて、人間関係が、
とか
モテない
とか
みんなにできることが僕にはできない
とか
忘れっぽくて
とか
味方してくれるのは音楽だけだった
とか
僕の希望はお笑いだけだ
とか
全部、全部、生きづらいという武器を、全員が持っていて、それが辛い。
こういう辛さも、だれかの辛さなんだろ。
ほんのちょっと前まで、不器用で、生きづらくて、足りないことは、みんなの心を燃やす材料だったけど、今はそれがやり尽くされて、燃え尽きている気がする。
みんな、ほんとうにしんどいし、嘘をついていないけど、
ほんとうにみんながしんどい事実は、結構キツいね。
だとしたら、僕はどちらかというと満たされてるよ。
満たされた世界で、頑張るしかない。
頑張ろう。
足りないままで、満たされたことにするしかない。しんどい世界だなー。
秋野でした。