毎日コンビニのパンを食べて生きている
2年ぶりの更新です。こんにちは。
この2年間、うまく生きられない自分がいやでそれなりに死にたくなったり、ある晴れた日にとつぜんもう死んでしまおうと思ったりして、でもぜんぜん死ねなくて、はたから見たらなんてことのない平凡な毎日を生きていた。本を読むこともあったけど、心が疲弊しているからかそれは「読んだ」という事実以上にはなりえなかった。かつて私は、本を開けば見たことのない土地に遊びに行けたし、この世には存在しない動物の毛並みをなでたこともあった。でも、しばらくはただ文字を追うだけの生活。こうやって人は鈍く、のろまになっていくのだなと感じていた。
つまるところ、私はなにも考えたくなかった。いや、考えられなかった。ものを読んでも、思考するという行為がわずらわしかった。
でもすこし落ちついたので、またnoteの投稿をはじめようと思います。読んだ漫画や小説の感想がメインでしょうか。私もこの間いろいろと思うところがあって、自分が生きていたことを自分自身が忘れてしまいたくないなと思い、これからは日々のことも書き連ねてみようと思います。あいかわらず不定期更新です。またよろしくお願いします。
で、コンビニのパンの話。
ここ3ヶ月ほど、毎朝なじみのローソンかセブンイレブンで昼食兼夜食のパンを買い、気が向いたら(小腹がすいたら、あるいは集中力が切れたら)それを食べて生きている。パンの種類はだいたいメロンパン、チョコチップのスティックパン、たまに期間限定のやつを買うときも。
昼ごはんはだいたい11時、14時、17時の3回。だいたいなにかをしながらひとつのパンをぼそぼそ口に運んでいるので、なにを食べたか記憶がない。でも朝に買ったはずのパンの包装紙が、机の右側に置いてあるゴミ箱に捨てられている。ああ、食べたんだ、となにかの拍子に気づく。
もうかれこれ3ヶ月くらい、そういう生活をしている。
たぶんこういう生活ってむなしいのだけれど、私にはそのむなしさがわからない。
なにを食べているか覚えていないというのは、たぶんむなしいこと。食事をするという行為を楽しまず、パソコンとにらめっこしながら惰性で口に運ばれるパンはかわいそう。でも、それらの行為が私の心を蝕むということはない。いまのところ。
朝はおおよそ冷凍ごはんをレンジでチンして、生卵をわり、カツオ節と醤油をかけて食べる。昼夜のパンも合計で300円くらい。たまにチョコを買うこともあるけれど、とても食費が抑えられている。でもエンゲル係数を減らしたくてとか、ダイエットが理由とかではない。そんなことはけっしてない。
この毎昼夜コンビニパン生活は、不安定な私を落ちつかせるためにできあがったルーティンみたいなやつなんだろうか。日常や習慣がきらいだったはずなのに、なんにも考えずに生きることをいま、自らが選ぼうといている。そういう生き方に抵抗がなくなってしまった。
はやく死にたいと思いながら毎日自転車を漕いでるし、夜空がきれいでむなしくなることもあるし、ぜんぜん辛くないのに被害者ヅラすることもある。
そんなとりとめのない私の人生。
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