「書き写す」ために必要なこと
例えば
学校にて
先生が黒板に書く文章を
ノートに「書き写す」という作業があったとする。
文章は2つ
1.
『おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。』
2.
『ぼくら兄弟の頭上には、数多の星がむ数にきらめく夜空が広がっている。』
どちらも
文字数は、同じ。
漢字は、2年生までに習うもの。
では、
ここで質問
すらすら「書き写す」ことができるのは
どちらの文章ですか?
1.の文章は、
どこかの昔話で聞きなじみのあるであろう文章
2.の文章は、
1.の文字数に合わせて私が今適当に作った文章
たぶん私も含めてほぼ全員が
1.のほうがすらすら書き写せるのではなかろうか。
すらすら書き写せるかどうかは、
「書き写す」作業中、
黒板 ⇔ ノート 間を
どれだけ首を動かし、目線を往復させたか?
の違いともいえる。
そこで
この目線移動の回数を計測してみる。
(/ :黒板を見るために顔を上げている箇所)
1.
『おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。』は、
丸暗記しているならば1回で
『/おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。』
もしくは、
『/おじいさんは山へしばかりに、/おばあさんは川へせんたくに行きました。』の2回
『/おじいさんは/山へしばかりに、/おばあさんは/川へせんたくに行きました。』の4回
『/おじいさんは/山へしばかりに、/おばあさんは/川へせんたくに/行きました。』の5回
最も時間の掛かる子でも
文節ごとに区切って、
『/おじいさんは/山へ/しばかりに、/おばあさんは/川へ/せんたくに/行きました。』の7回といったところか。
知っている一文
知っているフレーズ
知っている言葉の羅列 である
1.の文章はおそらく
知っている単語と単語とを
ある程度ひとまとまりのものとして捉えることができるため、
誰もがすんなりと
「書き写す」ことのできる一文であろう。
対する
2.
『ぼくら兄弟の頭上には、数多の星がむ数にきらめく夜空が広がっている。』は?
まとまりのある1文として捉えられる子だと、1回
『/ぼくら兄弟の頭上には、数多の星がむ数にきらめく夜空が広がっている。』
句読点で句切って覚える子なら、2回
『/ぼくら兄弟の頭上には、/数多の星がむ数にきらめく夜空が広がっている。』
で済むが、
それが、
文節ごとに区切る子だと、9回に
『/ぼくら/兄弟の/頭上には、/数多の/星が/む数に/きらめく/夜空が/広がっている。』
単語ごとに区切る子だと、16回に
『/ぼくら/兄弟/の/頭上/には、/数多/の/星/が/む数/に/きらめく/夜空/が/広がって/いる。』
と増え、
そこからさらに、
兄弟
頭上
数多
む数(無数)
きらめく
夜空
広がって
これら文中に登場する
単語や熟語や漢字、言葉の意味を知らない子だと
ほぼ1文字ごとに区切って…、
『/ぼく/ら/兄/弟/の/頭/上/には、/数/多/の/星/が/む/数/に/き/ら/め/く/夜/空/が/広/がって/いる。』
ちょっと数えるのももう面倒くさい。
単語や熟語や漢字、言葉の意味を知らない…
そういう子らにとって、
『ぼくら兄弟の頭上には、数多の星がむ数にきらめく夜空が広がっている。』
という一文は、
『/ぼく/ら/兄/弟/の/頭/上/には、/数/多/の/星/が/む/数/に/き/ら/め/く/夜/空/が/広/がって/いる。』
ほぼほぼ1文字ごとに独立した文字の羅列でしかない。
それはもはや、
『ぽ木くイさを手っツぽ台大ぬにドずくぉびヴりざュぁーく魚ちを白き口ダ。』
こんな文章を見せられているのと
何ら変わらない状態ということになる。
聞いたことがある
見たことがある
読んだことがある
書いたことがある
そういう
単語や熟語や漢字…
言葉 を増やすことが
授業を聞く
授業を聞いて理解する
以前
「書き写す」という作業にまで影響を及ぼすと考えると…
子どもの語彙を
脳内辞書 の掲載語数を
増やすことが必要なんだと思う。