洗礼を受けた経緯【カトリック信者なんです 1】
私はカトリック信者です。
幼児洗礼を受けているので、1歳の時に洗礼を授かりました。
母が敬虔なカトリック信者で、20代で結核患者となり施設に送り込まれその時に出会った神父により聖書を読むようになり、洗礼を受けたとのことです。
当時同じ施設にいた父も同じく神父の話を聞いていただろうに、洗礼は受けずに晩年まで信者になることを拒み続けた。
そんな母の考えで、私の知らないところで、意識もないような時に洗礼を授かりました。今、この瞬間よかったと思っています。
物心ついた時、幼稚園に入るか入らないかのあたりには教会を中心とした生活が当たり前。
毎日の食卓でのお祈りは手を合わせて唱える。
日曜日の朝はミサを授かるために教会へ行く。
小学生になると日曜ミサは当たり前でもあったが面倒で行きたくない思いもあったりしてました。
小学3年くらいになると、聖書の勉強やらなんやら合宿みたいなものに時々参加した。
侍者といってミサ中に神父の手伝いをするための勉強会が毎週土曜日の夕方に教会で行われ、中学入学まで結構真面目に通っていました。
でも、だんだんと教会に行くことは多感な時期に入ってきた私にとって、疎ましいものになってきていました。
私が生まれて出会う知ってゆく認識してゆく大人達は、カトリック信者達がほとんどで真面目で良い人たちばかりに囲まれた環境でした。
良い行いをすることが当たり前であった私が、幼稚園で出会ったガキ大将や小学校で出会ったやんちゃなクラスメートに驚かされたり、戸惑ったりしました。
真面目で優しくいることが、先生からは認められるが、同級生からは嫌われる。そんな小学校時代 自分がなんなのか、わからなくなっていってたように思います。
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