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描いても描かなくても。~今年を振り返って~


振り返ってみると

絵の勉強、絵の修行って、私にとっては「技術を上げる」ことではなかった。

何年も絵を描きながら勉強していた(というより否応なく勉強させられた)のは、けっきょく

「人間とは何か」「自分とは何か」ということだった。

先輩後輩 違った形の創作も含めて、いろいろな人を見ながら

時には暴走しそうになる自分の中の怪物と、どう向き合い どう飼いならすか ということでもあった。

自分の中の怪物というのは、それこそ自己愛、傲慢、焦り、鬱、怒り

と書いててふと思い出したので改めて調べたのですが、七つの大罪って

高慢、物欲、嫉妬、怒り、色欲、大食、怠惰  なのですね(wikipediaより)

以前はこの言葉を見ても「はぁ??だから??」という感じだったのですが……

「まるで絵描きのためにあるような言葉じゃないか!」と思うくらい、わかるようになった。


まあ私なんて、もっとエネルギッシュな人から見たら「上手に回避してる」「引きこもってる」くらいに見えるかもしれない。

でもそんな私でも、ただ描いてネットに上げてるだけで、たくさん勉強した、というかさせられた。


これはIKKOさんの著書に書いてあった言葉で
その本がいま手元にないのでうろおぼえですが

たぶんヘアメイクアーティストとしての下積み時代の話だと思います。

「人からこう思われている」とか「周囲の人から、この程度だと思われている」ということは受け止めつつ、でも、そこに甘んじてはいけないこともある

というような一文があって、ずっと印象に残っています。

実績や知名度のない自分が、周囲から「おまえはこの程度の雑魚だ」と思われるのは仕方ない。
でも、だからってそれをそのまま「自分」ということにして諦めるんじゃなくて
「本当はこうありたい」という理想や目標も、見失わないようにしようね
ということだと思った

(もしくは、オネエタレントとしてどんな役割を期待されているのか理解して、ある程度合わせる。でも本当はどうありたいかという希望も捨ててはいけないという意味だったのかもしれない)


そしてこれ、創作活動する上でも何するにも、ほぼパーフェクトな解決策だと思うのです。


時には思いっきりナメられたっていい。

ダメなやつだと思われてもいい。

実際だめかもしれない。もっと優秀な人はいくらでもいるし。

実力以下の評価しかされず、期待もされないかもしれない。


でも、それも全部「相手が思ってる私の姿」でしかないから
それをそのまんま、自分が自分を評価する時の基準にするんじゃなくて。

相手に「この程度だと思われてる」というのは認識しつつ
いちいちガッカリする必要ないし、合わせ過ぎない(甘んじない)

心はフリー °˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

いつだって、飛んでいける。

自意識と、世界。そのバランスをとるための知恵が凝縮された言葉だったんですよね。


なんかもう今、やっと人間修行第一段階を終わったくらいの気がしてるので

絵自体や創作自体の事でいったら、今からが本当のスタートかもしれない!

そんな気持ちです。


イラストbyありしゅ






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