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同調について考えてみた

私は人に考えを押し付けるのが嫌いだ。
自分も押し付けられたくない。

他人に関しては、その人の基準で考えればいいと思うし、自分は自分の基準で判断したい。
もちろん、迷えば意見は聞くし、なるほどと思えば同調もする。

自分が決めたことは自分で責任を持つしかないけれど、人に決めてもらったことが上手く行かないと、その人のせいにしたくなる。
私は、私のせいにされたくはないし、人のせいにもしたくない。

みんな、自分の中に軸のようなものがある。それは尊重されるべきだと思う。

自分と他人を切り分けていれば何のいさかいも起きない。

ところが、意見を聞いておきながら同調しないとキレて攻撃してくる人がいる。
だったら意見を聞いてこなければいいと思うのだが、何故かそういう人に限ってわざわざ意見を聞いてくる。

それで、その人にとってわざわざ意見を聞いてくるメリットは何なのかを考えてみた。

見えてくるのは、同調してもらえば自分の責任を回避できるということ。
ただ、どうしても自分の意見は通したい。
だから相手が同調しなければ「キレる」という圧力を使ってでも同調させようとする。
なにしろ同調してもらえれば自分ひとりで責任を取らなくて良い。

なにか問題が起こった時「そうしよう」と言ったではないか!と言えるんだから。

私は屈しない。
意見を聞かれれば、自分の意見を言う。それだけだ。
ただ、意見が違ったとしてもそれを押し通すつもりはない。
相手の意見と自分の意見をすり合わせて、より良い策を考えたい。それが平等というものだと思う。お互いを尊重し合うということだと思う。

でも、いつも、『キレる』人にかかるとそこにはたどり着けない。
逆に「こちらの意見に反論して、自分の思い通りにさせようとする自分勝手な人間」と言われる。

そうなると、お手上げだ。

「こう思うけど、それで良いよね?」
「うん。良いよ」

それしかモメない選択肢がない。


でも、私は絶対に屈しない。

自分の言葉に責任を持ちたいから。

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