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しんくうのれん教室vol.3 原研の森を歩く

今年実験的に始めた「しんくうのれん教室」の3回目を終えて、何かがちょっと定まった感じがするので、記録を兼ねてマガジンをはじめることにした。

私は、生きていくために必要な、電気・水道・ガスといったインフラが好きなんだなということに、大人になってから気がついた。気がついたけれども既存の巨大なエネルギーシステムの中に、私の居場所はないように見える。ないように見えるけれども関わりたい。関われるはずだ。

「しんくうのれん教室」は、そんなことを思って始めた場である。

今回は、原研(東京都私大原子力研究所を省略して原研と記載する。建設当時は武蔵工業大学で、隣の日立の炉も合わせて川崎市原子力センターと言われていた)の炉の見学ではなく、外の敷地を歩き、田瀬先生流ランドスケープ的な視点の一端を、参加した方々と共有できた。

田瀬先生というのはランドスケープデザイナーで、そのデザインの思想や方法、あり方に痺れて、会いに行かないと!と思った人だ。ああいう時って本当に強い電流が身体を流れている気がする。そして運よく、ほんの数日だが遠野のクイーンズメドウで一緒に過ごす時間を持てた。あれは穏やかで豊かで贅沢な時間だった。その時のことを、企画した西村佳哲さんが書いてくれている。大切すぎて自分ではその時のことを未だにちゃんと書いてはいないので、記録が残されていることがありがたい。

そんな田瀬さんと長く一緒に仕事をしてきた造園家で樹木医の小島さんが比較的近くに住んでいて、今、色々と教えてもらっており、原研の森散歩にもぜひと言ったら来てくれたので発見も多かった。とくに地層のこと、太古の昔はこの辺りも海だった形跡に触れられたことは、想像力を大いに刺激される。

原研の佐藤所長は「自分はきこりだ」と言い、敷地内の自然にも関心が高い人なので、そこに価値があると思っている私たちの目や態度は心強いのではないかと思うし、実際とても喜んでくれていた。

私にとっては、この辺り一帯の緑は、生活空間の中の大切な森であり、未利用の資源がたくさんある宝の山であり、いきものたちの棲家であり、目に映る風景としても、なくてはならないもの。

そんな風に感じている者がいることを、ここを通過する多くの研究者や学生さん、また、周辺地域に住む人たちにも、深く理解してもらいたいなと思っている。

打ち合わせの際に、佐藤所長がみんなに見せたいと話していた巨大な葛の根っこ。
地面から、はみ出して見えるのは珍しい。ここから葛粉を取り出す作業を体験してみたい。
黄色い花が咲く桜の木があると聞いて、目印を追って、どの木なのか探っているところ。少し弱っているので、挿木をしてみたらどうかということになった。
日立研究所との境はさらに小高い丘の上の広場のようになっていて、この辺りに2階建ての宿舎と土間つきキッチンでもあれば、海外からも研究者が喜んで来る場所になるのでは?と思った。
今はどうやら日立側は除草剤を撒いているようで枯れ草だらけ、死んでいる感満載で残念。
どんぐりいろいろ。それぞれ拾ったものを持ち帰り、実生苗を育ててみることに。

原研の原子炉は既に廃炉しており、燃料もないので中は空だとはいえ、廃棄物の保管はしており、国の規制もあり、入れないところも多い。守衛さんが毎日いて、名前を書いて誰に用事があるかを記載しなければ中にも入れないので、今回のお散歩は、さらに奥へと行ける貴重な機会だった。

四ツ田緑地といって、少し前に開放され、ボランティアでお手入れをするなど、ちょっと活気がある活動場所があり、一度、私もトーアと散歩がてら行ってみたことがあるのだが、その時に見た広場等がフェンス越しに眼下に見えて、グーグルアースで見た景色と、現実の風景とが重なり合ってくるのも楽しかった。

昔は地元の人が雇われてきれいに手入れされていたという森も、今は放置され気味だ。全体的に葛に覆われているので、それを取り払うだけでもだいぶ景色が変わるだろう。残したいものを選択的に残し、この土地にあったやり方で管理していけば、いきものも人も居心地の良い、美しい緑に覆われた研究所になる。それは、地域住民にとっても誇りになるものではないだろうか?

世界的に、原子力分野に女性研究者をもっと増やさなければという動きがある中で、日本は特に少ないのだと原研の岡田先生が話していたが、そのためにも表面的なきれいさとは違う、本当に落ち着ける良い空間づくりについて考えることは大切だと思う。たまたま目の前に住んでいる、いち住民、いちアーティストとして、私も、できることはやっていきたい。

教室の入り口を「のれん」と「中国語版元素周期表」でおめかし。
vol.3のために用意した本。技術と芸術と哲学と。
國分功一郎さんは、今、東大の教授のようだ。東大といえばキャンパスデザインの一環で小島さんらが植栽の管理に入っている。時々、授業の中で学生とバイオネストをつくったりもしているため、もしかしたら接点ができるかもしれないなどと、今、改めて心が先走ったりしている。

原子力発電所にしろ、研究所にしろ、どうしても、ぶ厚い「壁」や「境界」をつくって囲むとか、窓のない空間ではたらくことが必須条件になってくるところがある。そうすると、いきものとして、日々他の無数の命と交わりながら生きている幸せ、という当たり前のことを実感できなくなるのが当たり前になってしまう感じがして、なんだかなと思うのだ。
それでいいのだっけ?

今、福島第一原発の近隣に住む人、廃炉作業に関わっている人たちの生活空間は、どうかな、とずっと気になっていて、10月に見学できることになったので、よく見てきたい。

岡田先生から紹介していただいた、「福島ダイアログ」に参加することにしたのだ。「とても素敵な方よ」と前から聞いていた安東量子さんに会えるのも楽しみである。夫さんが植木屋であるというのも興味深いところ。

「しんくうのれん教室」では、私は企画と創作・しつらい担当で、今回は、創作の手前の情報共有のために、原子力研究黎明期の1895年くらいから2024年の今を経て、2050年までの年表と、原研周辺の水と緑の環境が見える地図を用意した。年表や地図の解像度が今回の企画でちょっと上がったが、まだわからないことの方が圧倒的に多いことにも気づき、それもあって、noteを書くことにした。

vol.3から始めたので、順序逆になるが、前回、前々回のことにも、そのうち触れていく予定。

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