人類の繁栄
GWは積読になっていた本のページを捲っていた。人の集中とはこれほどまでにも続かないものなのか、と感じる時間を過ごした。
マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」も、苦節5年ほど経ってようやく読み終えた。
『祖先が起こした過ちを、現代を生きる人が償う必要があるのか』
この問いは面白い。
人に関する「自由」の本質的な価値を問いに含んでいるあたりも、見解は分かれそうな問いだ。
一方でこうも思う。
草食動物を捉えることができるような牙も、捉えるための筋力もなく、菌に対する抗体も他動物に比べて優れているとは言えない人類。(もしかして、農業革命前の人類には牙が生えていて、チーターよりも早く走れた可能性があったりして!?)
僕らはこの世の中に生まれ落ちる前から「共同体」に所属しており、その共同体によって子孫を残し反映をしてきた種族なのだとすると、問いに対する答えも出てくるのかも知れない。
一方で感情的には自分のしていないことに対する償いを追うということに対する抵抗感もわかるが、これはビジネスにおけるマネジメント(誰かのせいではなく、チームとしての責務を追うという点での)やリーダー(向かうべき道を指し示す)の概念と近いものがあるかも知れない。
チャンスがあれば、面接のふとしたタイミングで問うてみよう。(笑)
to be continue..
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