リベットの実験と自由意志の有無について思うこと
リベットの実験というのはモンティ・ホール問題のような知ってる人は知ってる有名な実験で、被験者の脳波、意思決定、意思決定による運動の時間と順番を計測したものである。
実験結果としては
脳波の発生=>意思決定=>運動
となった。
これをもって、運動の意思決定をする前に運動のための脳波が発生していることから、意思決定というのは実際には無意識から下された命令を自分の意思だと錯覚しているだけである、とする説である。
ただ人間に完全に自由意志がないと主張するわけではなく、0.2秒ほどだけ無意識から下された命令を拒否する時間があるとのことである。
*追試もけっこう行われてたが結果は上記と同様になった。
一般向けの記事としては次の記事が詳しいように思う
「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果 | WIRED.jp
また別の証左としてガザニガが行った分離脳に関する実験がある、らしいのだが日本語文献見つけられなかったので以下のゆっくり解説を貼っておく。
そして本題。
この人間に自由意志がほとんどない、というのは人によってはけっこう不愉快な話であるし、実験結果の解釈についても議論がなされたりしてきたらしいのだが、それ以前の話としてそもそも人間は普遍的な物理的・化学的な法則に支配されている存在である。(ここでいう普遍的とはこの世界中のどこであっても同じことをすれば同じことが起こる、という意味である)
これは中学でニュートン力学を学んだ時ぐらいには多くの人が気づいていることだと思うが、そのような普遍的な法則に従った物質同士の相互作用の塊でしかない人間にそもそも自由意志などというものは生じようがないのではないかと思う。
ラプラスの悪魔を持ち出すまでもなく、関連しあう要素が無数にあるので法則性があるからといって人間が計算で完全な未来予知が可能になるわけではないが、それでも予見出来ないだけで一定の法則に従う以上はその物質の相互作用の結果は作用前から決まってるはずなのである。
量子レベルのスケールになると法則が破れることもあるのかもしれないが、とはいえ少なくとも人間の脳が量子レベルの何かに干渉して自由な意思を得ているとは到底信じられないわけである。もしそんなことが可能ならトンネル効果を活用して壁を自由にすり抜けられるようになってそうなものである。
(トンネル効果は量子が確率的に空間に広がっているため物理的な障壁を通り抜ける場合が稀にあることである。集積回路等において実際的な問題となる)
*というか”自由”意思などというものがあるなら人間心理に傾向などなくなり、心理学などといった学問自体が成立しなくなるんじゃないか?
リベットの話では0.2秒だけ無意識からの命令を拒否することが可能と書いたが、一定の物理的な相互作用の塊として人間を捉えると、それもまた意思の存在同様に錯覚ということになる。
なので私の認識としては、人間というのは自由意志があるように感じられるが、実際にはコンピューターがセンサから入力された情報をプログラムされた通りに処理するかのごとく、遥か祖先から遺伝的に蓄積され続けてきた情報と胎内で発生してから個人的に蓄積されてきた情報を用いて今この瞬間に入ってきている情報に反応しているだけとしか思えず、なのでリベットの実験の話は木を見て森を見れてないような状態になってるのではないかと思うのである。
ところで、話のスケールを大きくすると今の世界というのは現在演算中の計算式の途中式かのように、物理的な相互作用による演算の途中式なわけである。そして現在の演算途中の結果である今の世界全体というのは今まさに演算されて出てきたものではあるが、相互作用の法則が一定であるのならばこの演算が始まった時点でこのような途中式が出ることは決まっていたはずなのである。さきほども書いた通り、その途中式は最初の演算式を見て予見出来るものではないがそのような途中式、演算結果が出てくることはこの宇宙が始まったどこかの時点でその宇宙全体の演算式が決まった時点で必然的なものになったはずである。
要は決定論の話でしかないのだが、この宇宙誕生時には現状の発生は必然であった、というのは私はけっこうロマンチックというかポジティブな感情を覚えるのだが一般的にはどうなのだろうか?