時速1700Kmで動く世界の中で
このごろ、僕はよく新幹線に乗る。そのスピードは240Km程らしい。
最新の車両なら400Kmとか500Kmとか出るらしいから、今となっては大したことないなと感じてしまう。
それでも、車よりもずっと短い時間で僕を目的地へ運んでくれる。これは凄いことだ。と、僕は思う。
きっと開発時や、初めての運行の際にはとてつもないドラマがあったのだろう。と車内から思いをはせてみた。
とは言ったものの。僕が車両に乗り込む際に考えることはそんなドラマなんかじゃなくて、財布か鞄に、はたまたジャケットの内ポケットかどこかに入れたチケットの所在についてとか、弁当を買う時間が残っているかとか、そんなことだ。
ドラマはどこにでも、日常の中に隠れている!
………なんて、お決まりなセリフはここでは控えておきたい。僕はロマンチストを自称してはいるものの、お花畑の中を走り回るよりも、そこではしゃぐ女の子に微笑みかけたいタイプなのだから………いや今のは忘れてほしい。
ドラマ性はいつの時代も相対的だ。誰もがロールタイプに当てはめられるのを嫌うし、独自性を求めるし、そういう時には必ずドラマがあるのだといいたくなる。例えば自分の人生とか………
確かにそうだ。僕もよく本を読む。小説だけじゃない、「自伝」とか、「成功本」とか、そこには自分が経験したことのない人生があふれていて、そこがドラマチックに表される。
なるほど僕にとっては魅力的だ。だって僕は何でもない、ごくごく普通の人生を歩んできたのだから。
人並みに遊んで、勉学も少し、恋もしたし、夢も持った。それで今は仕事の合間にこうやって文章を書いている。
たぶん、日本に住む1億と2千万の中を探せば、そういう人生を歩んだ人も、これから歩む人も、山ほど出てくることだろう。
特別な経験をしたことがない!と言うと語弊があるかもしれないが、それでも、通してみれば、概ね平凡な人生だと思う。
それは謙遜でもなく、事実だ。だからと言って、僕の同一性を害することには一切ならないし。僕が大衆の中に溶けてなくなることはない。その中にいて僕は僕自身だし、顔も知らぬAさんもBさんもCさんも同様にそうだろう。
そう!僕らは生まれたその日から特別で意味があって尊くて素晴らしい!!!人間ってのはみんな尊重されるべきなんだ!
なんて、メガホン片手に叫びながら、公衆を闊歩するような人間とは、来世においても仲良くなれそうにない。(僕が生まれ変わるかどうかは別として)
誰だってそうだ。尊重するもしないもそれは誰かが決めた【道徳】によってではなくて、あくまで個人の思いからするはずだ。誰かに決められたから優しくするわけでも、誰かに指図されたからするわけじゃない!
僕はまた高速で動く箱の中でため息をつく。どうしたって人は正しさとか、真実とか、そう言うものに引き付けられる。
「正しいからそうした!」!「間違っているからやめるべき」「これが真実だから広めるべき」「これは虚偽だから削除しよう」………
こういう言葉や言説はいつだって振り子のように揺れ動く。
右に揺れれば左に振れて、その振り子を片方に大きく揺らす言葉があれば、また逆に向ける言葉が生じて、それでもう止まらない。大きく左右に揺れながら、決して静まり止まることのない振り子は気づけばめちゃくちゃに暴れだし、周りのあらゆるものを破壊する。
ああ、此奴が退廃ってやつか!
思ってたより騒がしい!!思ったよりもまぶしすぎる!これじゃあ愁いを帯びて黙祷することもできない!!まるでカクテルパーティ!似たような仮面をつけあって、ピアノの発表会みたいにぺこりと会釈としゃれこむしかない!
こうしてまた振り子は暴れだす。
いったい誰がこんなことを望んだのか?
他人事の様に誰かが言った。僕もそう思ったけれど。きっと誰も望んじゃいなかった。それでも、まるで全てを粉々に砕くみたいな言葉や思想は止めどなくあふれてくる。
なんでだ?誰も望んじゃいないはずなのに!
気づけば僕らのパーティは成分ごとに分離してきれいな色で飾られて。グラスの中で輝いた。
ああそうか。確かにこれだけうるさくちゃあ、誰が何を言ったのか。ほんとのところはわかりゃしねえ。
世界中の振り子はいつも揺れていて、世界中のグラスは汗をかきながらきれいなグラデーションを描いていく。
その中でうごめくあらゆるFACTは砕かれて、分離していく。
本当はそこにドラマチックな物語なんてないはずなのに、それを求める人の熱がそれを作り出していく。
ああ!世の中は救いよりも熱を求めるらしい!!
なにかしら大きな間違いがあって、それを正す人がいて、間違いを促進する巨悪がいて、正義を応援する自分たちがいる。
そうかいたしかにそりゃ気分がいいだろう!
でも世界はそんなにドラマチックじゃあないし、急激に変わっていく事もない。
いいや、僕は最初に言っている。世界は猛スピードで動いている。その時速は1700Kmにもなる。
僕らが寝ているときも、ゆっくりとBarのカウンターでお酒を飲むときも、僕らの立っている地面はものすごいスピードで動いている。
だから何だ。そのスピードの中にある僕らの生活は相対的に見ればひどくゆっくりと動いている。
今僕が乗る新幹線ですら、そのスピードの中では少年の投げるゴムボールみたいに見えるんだろうと思う。
そんな中で、僕らは目の前の振り子を熱狂的に見たり。分離するお酒をしげしげと見つめたりしている。
まあ素敵!これが文化的で社会的ですばらしい生き方だ!
違う!そんなんじゃない!僕らはずっと振り子の上で揺れているし。分離するお酒の一層の中に溺れている。
僕だって同じだ。だからこそ、その中からひとつひとつのFACTを見つめなおして、揺れる振り子を落ち着かせ、グラスの中のお酒をかき混ぜなきゃならない。
いや、それは使命じゃないな……
こんなうるさい世界では、僕自身がひどく疲れてしまうってだけなんだ。
時速1700Kmで動く世界の中で、時速240Kmで走る新幹線の車内の中で、僕は静かに制止する振り子を眺めながら、複雑な味のお酒のグラスを傾ける自分を夢見ている。