ハイカー
この地球には荷物にすべてを詰め込んで何ヶ月、何千キロと歩く人々が存在する。
バックパッカーとかハイカーとか旅人と呼ばれる人種だ。
黒人、欧米人、アジア人と呼ばれるように、彼らも数ある人種の中の一種である。
長い距離を歩く彼らは、見ている景色も、考えていることも、生活様式も、歩かない人と比較した時に全くもって異なっているはずだからだ。
僕はどちらかというとそちら側の人間であるように思う。
歩くことが趣味だ。
趣味とは、目的を達成するための手段そのものが目的になったコトで、例えば、釣りが趣味な人は魚を食べることが目的ではなく、こんなとこでこんなサイズの魚を釣っただとか、そいつを釣り上げるまでにこんな闘いがあったのだとか、ルアーはこんなに種類があってこれは自作しただとか、釣る過程や釣りに関連する物事を追求したりすること自体が喜びであったり、大切に思えることなのだ。
歩くことが趣味であるから、それに関連する物事、旅の計画を立てたり、旅の道具を選んだり、そのためにトレーニングしたり、旅の本を読んだり、実際に歩いたり、歩きに帰着するものはなんだって楽しいのだ。
以前、歩くことは嫌な空間から遠くへと逃れる手段だった。
逃げるための手段だった。
距離と時間をおけば、大抵のことからは逃げることができる。
学校の課題から逃げ、人間関係から逃げ、バイト先から逃げた。
いろんな人に心配と迷惑をかけた。
物理的に離れていても、精神的にはつながったままで余計に苦しくなることも多々あった。
逃げるほどのものだったのか。
当時は逃げなければ自分が死んでしまう、魂の抜け殻みたいになってしまうと本気で思っていた。
他人の期待に応えられない自分が嫌だった。自分を責めてマイナスへマイナスへと負のスパイラルに陥っていた。
自分独りでなんとかしようと考えていた。ダメな自分を見たくなかったし、見せたくもなかったから。
問題を大きく大きく捉えていた。実際は大したこと無いのに。
自分への期待が高い分、期待はずれだった時のダメージが大きかった。
過去を断ち切るのが難しい。
負のエネルギーがたまりにたまった時、僕は外に飛び出した。
歩けなくなるまで歩いた。
夜のテンションでなんか鬱々としてきた。
でも、今は前を向き始めている。歩くことで良い未来につなげようとしている。逃げるのは辞めた。感情的になる時はあるけど、前向きな歩みを止めないようにしよう。
ダメな日があっても、そのことでその日を、明日をダメな日にしないようにしよう。感情を持ち越さない。寝て切り替える。
今僕は何もない状況から学んでいる最中だ。失敗も無理ない。できないのも無理ない。一歩ずつ踏み出すのみ。
下調べをして、準備すれば何千キロだって誰もが歩ける。いきなり手ぶらで歩こうとしたらよほどの幸運に恵まれない限り無茶だ。ちょっとずつステップアップしていけば良い。
雨の日は休んでいい。
迷ったらゆっくり引き返せばいい。
たまには誰かと一緒に歩んでもいい。
行き先を変更したっていい。
遅々として進まない日があってもいい。
歩き続ければ、どんなに遅くともたどり着くだろう。
こっちに美味しい水があるよと呼ばれれば行ってみてもいい。
だが行くと決めるのは自分だ。
行きたい所に行く。
逃げの手段だった歩くことから僕は多くのことを学んでいる。
僕にとって歩くことで出会う景色や人、感情はすべてが愛おしい。
手段は愛するものになり、また手段となって僕を連れて行く。
僕は歩くことを辞めない
旅先で出会った人に渡す花束代とさせていただきます