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暮らし日記21 分からないままで

こんにちは!雑貨屋 あるくらし 店主の絢音です。
雑貨屋 あるくらし は、「小さな発見と実験」をテーマに、暮らしのセレクト雑貨の販売とワークショップの主催をしています。現在店舗はなく、イベント出店から活動をスタートさせました。言葉を残すことも大切な活動のひとつで、noteでは、お店の歩みや店主の暮らし日記・勉強メモを掲載しています。

ウルトラライトダウンをジャンバーの下に忍ばせ、手袋をはめ、ニット帽を被り、玄関の鏡に映るもこもことしたゆるキャラのような自分に、あぁ、本格的な冬だなと思います。冬は好きですが、だからといって冬に適応力のある身体というわけではありません。畑の野菜たちの防寒対策に1時間ほど作業をして家に帰ると、「寒さってこんなに体力を奪うんだな」と、ぼぉっとする頭と、鈍い身体の動きに、立ち上がりの悪い古いパソコンを連想します。
暖房をいれ、少しずつ温もる部屋で、だましだまし晩ごはんの支度を進め、
食材に火を通すガスの力で、徐々に自分も温まっていきます。夏のキッチンは「暑い」けど、冬のキッチンは「温かい」なぁと思います。この日は、煮物を作るときに残った大根の皮を使って春巻きを作りました。以前レシピ本をパラパラと眺めていた時、余った大根の皮を春巻きにしているのを見かけ、冬になったら私も真似をしようと思っていたんです。葉の部分は味噌汁や菜飯に、実は煮物、皮は春巻きと、まるっと大根を使い切り、小さな達成感に浸ります。
そんな12月上旬の夜からこの記事を書き始め、師走のスピードに必死になって過ごしていたら、本日2024年の最終日。今年、最後のnote投稿です。

今回のテーマは、分からないままで

9月に種を植えて11月の半ばに収穫した大根。12月にゆっくりまるっと完食。
それまでの時間を思ってじんわりと嬉しかった。小さな畑を借りて数か月、
些細なことにもオロオロしたり、感動したり、無力さと新しい発見を知れる日々です。

12月に入り、もう1年が終わるのかと、ここ数か月の事を思い返していました。8月・9月は、秋からのイベント準備を進めたり、新しい学びをスタートさせ、比較的穏やかに目の前のすべきこと、やってみたい事を黙々と進めていました。10月・11月はずっと温めていたイベントを開催したり、チラシの制作をさせていただいたり、嬉しい出会いや有難い反応もいただき、心が温まる日々もある一方、体調を崩したり、物が良く壊れたり、悲しいお別れが訪れたりと、プラスにもマイナスにも大きく感情が揺れ動く時期でした。秋ごろは来年以降の活動についても考え始め「私はどうしたい?」の問いがずっと頭のどこかにちらついている状態でもありました。
12月に入ってからは、あんこワークショップの最終イベント、マルシェを無事に終え、やりきった達成感と、もれなく体力疲労もどしっとやって来て、フルマラソンのあと1㎞地点の事を思い出しながら、年末に向かって過ごしていました。(20代前半にフルマラソンを完走したことがあり、「あとちょっと…!!!!!」の時に思い出すシーンなんです)。
今年は、「暮らしのワークショップ」をスタートさせる事、ワークショップの企画→運営を複数回チャレンジする事、暮らしの興味関心について「勉強・妄想・実験」を絶えずする事を意識していました。1年の最終日、「やりきった。」とちゃんと思えて過ごせているのは、手探りな状態の挑戦を、「一緒にやろう」といってくださった方、面白がってくださるお客さま、協力してくださった方、気にかけてくださる方、夫。そんな、周りの方のお力や優しさがあっての事だなと、改めて有難い事だと胸が熱くなります。感謝したい人の顔がたくさん浮かぶ1年でした。

一方、忙しなく過ぎた12月、自分自身と向き合う時間を上手く作れず、秋頃から継続して「どうしたい?」の問いに答えを出せずに大晦日を迎えました。来年をイメージするキーワードがチラついたり、来年の企画の準備をスタートさせたり。予定が全く何も決まっていない訳ではないし、何かに絶望している訳でもなく、今イメージできる事を、コツコツ前向きに進めています。ただ、今予定している事以外のイメージは靄かかっていて、しんどくは無いし平常だけど、すっきりはしていない状態です。

消化しきれていない「問い」と心の隅っこで同居する今月、久しぶりに会った友人のおかげで、ひとつ気づけたことがありました。お昼ご飯を食べ次の駅に向かう車内、今年の振り返りや来年の事を話していました。隣に座る彼女が「私、●●とか、●●ができるんだって気づけて。“できる事”も、仕事にしていけたら良いな、と思って。」という話をしてくれました。
それを聞いて、「できることって、私はなんだろう。昔は労働基準法とか、法律の本をずっと読んでたから、今に活かせる事なんてないと思う…」
聞き上手な彼女に、ぽろぽろと異業種で働いてきた自分の話をさせてもらっていると、「…難しい言葉を分かりやすく、なるべく“分かる”ように伝えられるよう言葉を探し続けてたかも。」「あ!言葉を探したり、理解を深めるために勉強をする事、それを伝えるために尽くす事が、私にとってのできる事なのかもしれない。」と気づけたんです。
彼女と会う前、来年以降どうしようかと考えていた時、「今の自分にはまだできていないけど、将来したい事をできるようにするためにどうすればいいか」と、足りない部分に重心を置いて考えていました。
一方、「自分がこれまでで出来るようになったことに気づいて、その「出来る事」を次にどう生かしていくか。」という視点は欠けていた事に気づきます。ペりペりと自分の固くなっていた考えがはがれる気持ちでした。
彼女と別れた後、その日の会話を反芻して、気持ちの靄が少し晴れるような感覚になります。「ありがとう」、そう感謝できる人の存在を感じた事自体も嬉しかった。
ちょうど1年前、「暮らしのワークショップ」を企画して実際にやってみたい。と動いたところから、たくさんの方に協力していただいて開催した1年。この1年の中にも、目を向ければ、たくさんの「できた」が積み重なっていました。人のできる事は見つけられても、自分のできる事ってよっぽど意識しないと見落として、自分の「力」と認識できずに過ごすしている事にも気づきます。
「問い」の答えは今はまだ分からないけれど、来年は「どうしたい?」の問いを持ち続けながら、自分が持っている「力」を認めて、その力を磨くこと、その力を活かすこと、「やってみたい事」に対して、「力」を使う方法を考える事も意識しながら動いていきたいです。

・WALK(“ある”く)
=あるくように一歩ずつ、自分の希望に気づき実験するように生活する。
・BE(“在る”)
=在るだけで直感的に嬉しいと思える自分の価値観に気づく。
・ONE(と“ある”ひとつ)
=自分だけの、たったひとつのとある暮らしを積み重ねていく。
「あるくらし」には、こんな3つの“ある”の意味を込めています。

自分事だと、とるに足らないように感じてやり過ごしてしまう、暮らしの中の小さな「やってみたい」や些細な「もやもや」を掬い取る事。そんなささやかな希望や願いに気づいて、一歩、「歩み」を進めるような事。
「在る」だけで嬉しくなるような雑貨や作品と出会って自分の価値観に気づける事。そんな小さな「できた」や「発見」が、積み重なって、自分を信じ、たったひとつの自分だけの「ある暮らし」を作れるようになる事。
そんな繰り返しが「あるくらし」のライフスタイルで、私が大切にしている根幹の部分であり、雑貨屋あるくらしの目指している事だなと改めて思いました。

この思いはぶれずに。決めないと!と焦っていた来年の目標は「分からない」ままで。無理に答えを出さず、考えながら2025年は進んでいきたいと思います。

今年も1年、ありがとうございました!皆さま、よいお年を!

はじめましての方も引き続き読んでくださっている方も、お付き合いいただきありがとうございます。今後も焦らずゆっくり続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

店主 絢音


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