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店主の暮らし日記⑫「山を登るように」の話

こんにちは!雑貨屋 あるくらし 店主の絢音です。
雑貨屋 あるくらし は、現在、店舗を持っていませんが、
イベント出店やオンラインストアからスタートした雑貨店です!
こちらのnoteでは、お店の歩みを記録中です!
(雑貨屋 あるくらし についてご興味のある方は、
マガジン「雑貨屋 あるくらし を開くまで」にまとめておりますので、
良ければそちらをご覧ください!)

先月、何も予定がない休日のある日。
天気も良くなく、夫と2人、家の中で1日をのんびりと過ごす日がありました。部屋着のまま、人をダメにするクッションに上半身を預けて本を読んでいた時。ふと、部屋をぐるりと見渡し、
「部屋、かわいいなぁ。めちゃくちゃかわいい。
誰の部屋よりも1番、この部屋が好きやなぁ。」と思ったのです。
(センスが良いかどうか、整っているかどうか、という所は棚に置いておいてですよ。)
そして、併せて「そういえば…」と思い出したんです。
その時々の「今」を起点に、昔の自分の部屋の写真をみて、
いつも似たような事を感じているかも。という事を。
部屋の写真を撮影したという事は、かなりの確率で、今回同様、
「部屋、めっちゃ可愛いやん!」と思っているはずです。
そしてそんな写真を見て、小恥ずかしく、でも微笑ましく毎度思うんです。
「まだまだ、知らない事がいっぱいやったよね」と。
過去の自分の手数やアイデアの少なさに、「アタタタ…」と頭をかきます。
それでも当時、「めっちゃかわいいやん!」と部屋を眺めて意気揚々と写真に収めたことは嘘じゃないし、その時の価値観は今の「好き」な要素に繋がっています。
その時々の精一杯の「かわいい」を詰め込んでいる昔の部屋に、
「段々、かわいい!の景色が積み重なっていくから。
私も、かわいい!を掬いあげ続けるね。」と声をかけたくなるのです。
なので、きっと数年後、今が過去になった時、まだまだ青いネって思いつつ、だけどニヤリと、ありがとう。を言う気がしています。

今回のテーマは、「山を登るように」の話

登山は、細く長くずっと続けたい趣味のひとつです。

「山を登るように」の話に入る前に、私の「初登山」のお話をさせてください。私、登山が好きなんです。登山といっても、名だたる山々を登る事が趣味ではなく、山をコツコツと、景色を楽しみながら登っていくことが好きです。なので、山に対するこだわりはあまりありません。気候の良い日に、行こう!と思った山に登れたらラッキー!という心持です。

登山を始めたのは、社会人2年目、23歳の時です。
社会人になったら、「登山デビュー」したいなぁとふわりふわり思っていました。すると幸運な事に、職場には、私にとっての登山の、そして仕事の師匠がいらっしゃったんです。
バリバリと働き、長期休暇には、日本を飛び出し世界の山々に向かう軽やかで逞しい女性。その先輩に、帰国後、見た事のない景色の写真と旅の絵日記を見せてもらい、素敵なお土産話を聞かせてもらう事が楽しみでした。

そうだ、先輩と一緒に山に登るようになったきっかけって、なんだっけ?と、登山デビュー当時の日記を引っ張りだし、ページを振り返ります。
「湊かなえさんの「山女日記」を読んで、挑戦してみたかった登山。
この日に叶える事ができました。」と書いていました。
それで、そうだそうだと思い出したのが、その先輩も同じ本を読んでいて、「あの本、良いよね。今度一緒に登ろうか。」という話になったのでした。

そしてその先輩ともうひとり、冬山登山の経験を持つ先輩と3人で登山に行くことに。職場の休憩時間に、「集合」がかかり、作戦会議がスタートします。道具の事、登るときに注意する事等いろいろと教えていただき、初めての登山は、福井県の青葉山と決定します。当時の勤務地からのアクセスも考慮してくださり、「ここに行ってみようか?」とおふたりが勧めてくださったんです。

ちなみに来る初登山に併せて、アウトレットに行き、憧れの先輩を真似してマムートでウェアと靴を揃えたのでした。

登山当日は、幸運にも天候に恵まれ、とても気持ちが良い日でした。
山に入ってスゥ―ッと深呼吸をする。ただそれだけでとても清々しく、スタート地点ですでに満たされた気持ちになります。
登山初心者の私、登山口から最初の数十分は、はぁはぁと息があがります。「ここでもうキツくなるなんて…」と途方に暮れながら、歩みを進めると不思議な事に段々と身体がほぐれ、しんどさが無くなっていきます。
身体が慣れてきて「楽になってきた」というポイントが出てくるのです。

「山はいい匂い」がするんです。

「山はいい匂いがするね。」先輩がいいます。
匂いを意識していなかった私は、先輩の声でクンクンと鼻を動かします。
「ほんとだ!良い匂いがします!」
土と植物とが合わさった瑞々しい香りが鼻を通り抜けます。
道中、それぞれが気になる植物に足を止めたり、気づいたポイントをシェアしたり、しなかったり。

“馬の背”と呼ばれる見晴らしの良いポイントに到着。頭をぐるり、景色を見渡していると、思わず口角がグッと上がってしまいます。馬の背はゴツゴツとした岩肌なんですが、そこに生えるコケがなんともかわいらしい。

ぜぇぜぇと登る事に必死な所から、段々と楽しむ事に集中できてきました。

そうそう、少しスリリングな鎖場も体験したんです。
「鎖場みたいに足場の悪いところは、絶対にあなどらないこと。手と足の3点が地面や鎖に接してるかを意識してね。そうすると安定するから。」
登山経験が豊富なおふたりからアドバイスをいただき、歩みを進めます。
途中、足場の悪い急な斜面に遭遇すると、心の中で、「3点、3点。」とつぶやき自分の手と足の位置を確認。慎重に、でも冒険をしているかのようなワクワクとした気持ちにぎゅっと嬉しくなります。

途中、座れそうな場所を見つけて腰を掛け、各自が持ち寄ったお菓子や冷たいゼリーをつまんで休憩タイム。雲の動き、木漏れ日、視点を落として気づく愛らしい植物を見ていると、景色は登っている時だけの楽しみじゃないんだと気づきます。

「じゃあ、そろそろ行こうか」の掛け声で、うっとりとした休憩も終え、
気を取り直して進んでいきます。

「あそこが頂上だよ。」
先輩の声に、ドキドキと頂上に向けて、残りの道を踏みしめます。
「頂上にたどり着く前に、既に十分に満足な登山だったな」と
これまでの道を振り返りながら、山頂に到着。

そこで、とても心に残る光景に出会います。

「ほんとに、ほんとにあったんだ…。」

頂上からは若狭湾が見渡せるんです。

うねうねと入り組んだその複雑な海岸線を見ていると、
これが自然にできた地形である事に、ただただ感嘆し、
その美しさに感動してしまいます。

若狭湾の写真は、学生の頃、嫌というほど教科書で見ていたはずなんです。
だけど当時、その写真は、「リアス式海岸」という言葉と繋げて、解答用紙をクリアするだけの記号でした。本当にあるはずの地形なのに、どこかフィクションと感じてしまう、それぐらいに他人事に写る写真だったんです。

ですがその日、山の上から自分の目ではっきりと見る若狭湾は、おかしな言い方ですが、圧倒されてしまうほど「本当」でした。
若狭湾は本当に、複雑な地形をしてそこに存在するし、私達は、あんなにも向こうに見える登山口から、本当に山に登って、自分たちの足でここまでたどり着いた。そして今、「本当」に若狭湾を眺めているんだ。
美しい景色と、その確かな事実がガツンと胸に迫ります。
自然の膨大な時間の蓄積に「かなわないよ。」と感服しつつ、自分の歩いてきた歩みの蓄積が、なんだか景色と重なって、さらに心が揺さぶられました。

下山の時は、頂上の事、これまでの山道のあれこれを話しながら、グッと足に力を入れながら下っていきます。下山後、靴擦れが起きないようにしっかりと靴ひもを縛って固定していたトレッキングシューズを脱いでサンダルに。靴を履き替える時の「うはぁーっ」とすっきりする爽快感は、下山の安堵と合わさって実は何とも言えない気持ちよさがあります。

初登山を終え、すっかりその魅力に惹きつけられ、数年かけて少しずつ登山に出かけるようになりました。
登山が趣味の親友とも「久しぶり〜」と山を目的に旅に出かけたり。会社の先輩ともまた登山にでかけたり。ひとり登山にも2回挑戦。夫とも大阪や奈良の山に出かけました。

山道、不意に思いもよらない絶景や発見に出会います。
しかし、その出会いは、山頂で遭遇するとは限らないのです。ここがみそ!
ひとり登山の際、偶然に遭遇した雷鳥。
下山の途中にこんにちは。なんてかわいいの。

山に登る回数が少しずつ増えていくと、初登山の時の事を思い出し、ご一緒してくださったおふたりに、より感謝するようになりました。「登山が楽しい」と感じるポイントが詰まった山を選んでくださった事、そして楽しみ方を教えてくださったこと。初登山の経験は、本当に有難く、そしてじんわりとずっと、嬉しく記憶しています。

やっとタイトルに戻ります。
「山を登るように」は、私が暮らしをしていく上で、よく心の中で唱える言葉です。

挑戦してみたい!と足を踏み入れる時のワクワク。
身体が慣れるまでの息が上がる時間。
段々と身体がほぐれ、自分のペースで山頂に向けて進み、
その時々の景色に気づけるようになる瞬間。
休憩中の会話やごはん、そして止まって見つける景色。
ようやく到着する山頂の感動や、下山後の解放感と安心感。
そんな登山の様々なシーンが、暮らしの中で頭に浮かび、
「山を登るように」とつぶやくのです。

部屋を自分の理想に近づけていく時
上手くなりたいと料理をする時
新しい勉強やチャレンジを始めた時
そんな日常の断片も、暮らしそのものの大きな流れだって。
それぞれに「山を登る」ときのイメージを重ねます。
そうすると、
好奇心が溢れている時も、苦しい時も、成長が止まったように感じる時も、凪のように穏やかな時もそれぞれの時間が積み重なって、やっと目指す理想に近づいたり、ホッと一息つく所まで進む事ができるようになると思えるんです。
そして、その道中も意識さえすれば、素晴らしい景色が確かに存在していて、その景色を楽しめるかは私次第だ、とも。
私はできるなら、自分の道中での各フェーズを楽しみたいし、愛したいんだな、と思います。だから、暮らしの中で、「山を登るように」と唱えるんです。
道中は何があるかは分からないし、私の歩幅でしか進めないけど、
自分が願って登れば、景色は見えていくし、変化していくのだと信じています。

「やってみたいという気持ちがあれば、新しい出会いや感動、価値観に触れ続ける事ができるんじゃないかと思えた。これからも、やりたい気持ちを大切に、新しい事に挑戦する事を楽しみたい。」
この記事を書く際に見返した、初登山後、23歳だった当時の私が書いた日記の言葉に、最近考えていた事とおんなじやん…と、変わらない自分にまた小恥ずかしくなります。

登山を教えてくれた先輩は、にぃっと笑いながらよく、「あなたは、ラッキーだよ。」という言葉をかけてくれました。それは、苦しい時も、楽しい時も、どちらの時にも投げかけてくれた言葉です。当時は、苦しい時に、「ラッキー」と聞いても、失礼ながら口を尖らせてありがとうございます。と言っていました。(先輩、ごめんなさい。)
今では、苦境の時があるから、見える景色があるし、「ラッキー」という言葉は、道中の景色を楽しむために、顔を上げてみなよって事だったのかもしれない。と思います。
「私はいつだって、ラッキーなんだ。」
「山を登るように」と併せてつぶやく大切な言葉です。

はじめましての方も引き続き読んでくださっている方も、お読みいただきありがとうございます。今後も焦らずゆっくり続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

店主 絢音

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