暮らしの勉強メモ①民芸について
こんにちは!雑貨屋「あるくらし」店主の絢音です。
(といっても、初回投稿の通り、雑貨屋「あるくらし」オープンに向けての歩みの記録をつけています。詳しくはこちらの記事に記載しています!)
店主の暮らしの勉強メモって?
雑貨屋オープンに向けての歩みの記録や、店主のリアルな暮らし日記を続けていく中で、「暮らしの中のモヤモヤや、興味を持った分野に対して、もっと調べたり、勉強する時間を確保したい…!」と感じる場面がでてきました。
・暮らしのモヤモヤについて
「日々のちょっとした料理や、掃除のモヤモヤ」のような、些細だけど毎日の暮らしに係わる家事は、近道はなくて、トライアンドエラーを重ねて、自分や家族にあった方法を探していくしかない。と、総合職としてがっつり働いたり、不規則なシフト勤務で働いていたひとり暮らしを経て、結婚して夫と暮らすようになった今も日々感じています。
その試行錯誤は「やっちまった…」と悲しくなることもあるんですが、それだけじゃなくて。
できなかったことができるようになる喜びや、快適さが必ず潜んでいます。
その、小さく煌めくハッピーな光を見つけられるよう、雑貨屋「あるくらし」は、試行錯誤の第一歩が少しでもウキウキ始められるように、実直で、見ていても愛おしくなるような生活道具で支えたい!と思っています。
私が実際使っている実直だわぁ…愛くるしいわぁと感じる道具のことや扱い方を、伝えられるようにまとめていきたい!そもそも自分が持っている知識で足りない所は勉強を重ねていきたい!
と思ったのが理由のひとつです。
・興味を持っている分野の勉強
毎日の暮らしに、ひとつひとつ、自分の心が震えた雑貨やアートが家に増えていく度に、実用品を使い、効率的に物事が進められたときの達成感とは違った、理由のない感情レベルの嬉しさがあることに気づきました。
雑貨屋「ある暮らし」はそういった自分の暮らしに「在る」だけで自然と微笑んでしまうような、温かみがあり、年代を問わない普遍的な雑貨やアートを、実直な生活道具と共に取り扱いたいと思っています。
どちらかというと感覚派で、心が震えるモノとの出会いを優先して、モノの背景にある、郷土や製造過程、作り手の方、歴史の勉強があまりできていないことに引け目を感じている私。。
モノへの理解を深めるだけじゃなくて、勉強をしてこそ開ける次の好奇心の扉も気になるし、そういった知る楽しみや知りたいと思うワクワクを共有できるよう、自分が興味を持った雑貨やアート関係の勉強もしていきたいなと思います!
そういった「学びたい!」と感じる瞬間をチャンスに、こちらのnoteを利用して、少し立ち止まる時間を確保し、学んだ内容を残していける「勉強メモ」コーナーを作成し、共有してゆきますので、どうぞゆるりとお付き合いをいただければ嬉しいです!
(私の勉強のモチベーションにもしちゃえ~という魂胆も少し(笑))
今回は、「民藝」について。
大学4年生のとき、沖縄旅行で「やちむん」に出会い、人生で初めて自分用の器を購入してから、はじめて「民藝」という言葉を知りました。「民藝」ってやちむん以外にどんなものがあるの?そもそも「民藝」ってどういう意味??と頭の中でクエスチョンマークが点灯していたので、当時、枻出版社から発行の「別冊Discover Japan_DESIGN[完全保存版]うつわの教科書」を購入し、少しずつ「民藝」の考え方を知り、日用品に美を見出す価値観に感銘を受けました。
その後社会人になって、旅行に出かける際、こちらの雑誌を参考に産地に向かったり、雑貨屋さんや民芸店で出会う器を調べたり、少しずつ世界が広がる感覚を楽しんでいました。しかし最近夫に、「ところで民藝ってなに?」と言われた際、ぱっと説明ができず、とてもふんわりとした理解であることに気づきました。
ぬぬぬ…これは、勉強のチャンスじゃんよ…!と熱がフツフツと湧き、今回のテーマにしました。
初心者マークの私がもう一度雑誌を振り返り、日本民芸館や日本民藝協会のサイト、大阪日本民芸館でいただいたパンフレット等を参考に基本的な情報を、私のなんとも言えないイラストとともにまとめました!(昔から勉強するときは、何とも言えない絵をかきながらするのがすきだったんです。。)
・民藝って?
思想家の柳宗悦(やなぎむなよし)は、無名の作家が作る大衆的な日用品で、当時「下手物(上手物と呼ばれる茶道具等の精巧につくられた高価な工芸品と差別化するために呼ばれた名称)」と呼ばれ、誰にも見向きされなかった庶民的なものの中に、健康の美を見出します。
そして1925年、濱田庄司(はまだしょうじ)や河井寛次郎(かわいかんじろう)と共に、「下手物」に代わる新しい言葉として『民藝』という言葉を創造し、明治時代以降、日本の近代化の中で失われていく各地の手仕事の復権や美の生活化を目指す生活文化運動として、新しい美の視点を持つ『民藝運動』を提唱します。
・民藝の定義は?
以下の8つの定義に集約することができます。しかし、現代においては、①~⑧をすべて満たすことが現実的でない部分もあり、柳宗悦の長男で3代目日本民藝館館長の柳宗理(やなぎそうり)は、機械で作られたものであっても素晴らしいものは積極的に民藝と認め、父、宗悦の思想の解釈をアップデートさせています。
① 実用性
富裕層向けの鑑賞品ではなく、庶民を対象とした実用品であること
② 無銘性
芸術的な評価や社会的な地位を求めない無名の職人によって作られたものであること
③ 複数性
民衆の需要に応じるため、数多くつくられたものであること
④ 廉価性
素材や製造プロセスに工夫が施され、民衆が日用品として購入できるものであること
⑤ 地方性
かたち、色、模様等に土地の暮らしに根差した地域の特徴がみられること
⑥ 分業性
量産を可能とするため、熟練者による共同作業でつくられていること
⑦ 伝統性
先人が培ってきた技術や知識の蓄積にのっとっていること
⑧ 他力性
個人の力よりも、気候や風土などの他力に支えられていること
・民藝運動に携わった主要人物
① 柳宗悦
大正時代から昭和初期にかけて思想家・哲学者として活躍。人道主義を基盤に理想主義・個人主義を追い求める『白樺』創刊に携わる。
朝鮮陶磁器と出会い、朝鮮時代の生活雑器に注目し、これまでに感じたことのない美の感覚を覚える。関東大震災後、京都に転居し、濱田庄司や河井寛次郎と共に北野天満宮の朝市等に繰り出し、大衆的で素朴な、「下手物」と呼ばれる品々には、「無事の美、自然の美、健康の美」があると主張した。そして大衆から生まれた美しい日用品を「民藝」と名付け、濱田庄司・河井寛次郎と共に、全国を行脚し、「民藝」を広く紹介する「民藝運動」を行う。また、「民藝」の研究・調査・収集を進め、1936年には「日本民藝館」を創立する。
② 河井寛次郎
中学時代に焼物の道を志し、1910年に東京高等工業学校窯業科に入学。卒業後は京都市立陶磁器試験場の技師として入所し1920年、京都市に工房を構える。翌年、初個展を開催したところ、一般には好評を博すが、柳に「古い陶磁器の模倣にすぎない」と酷評される。
その後、柳主催の「朝鮮陶磁器」展に衝撃を受け、柳と親交を結び、これまでの東洋古陶磁を参考に技術の枠を集めた作品から作風を一変させる。以後、民藝運動の主要メンバーとして活動を牽引する。
③ 濱田庄司
河井と同じくに東京高等工業学校に入学。卒業後は京都市立陶磁器試験場へ入所する。
東洋と西洋の伝統を融合した、独自の美の世界を創造していくバーナードリーチとともに、ロンドンに渡り、その後ロンドンにて陶芸家デビューを果たす。
帰国してからは京都で河井や柳と出会い、栃木の益子を生涯の活動拠点として作陶を行った。
民藝運動の思想に忠実で安定感があり、暮らしの伴侶となる器を作り続けた。
・民窯
一般民衆の日用品として焼物を焼く窯のことを指し、沖縄県やちむんの里にある『読谷山焼北窯』大分県にある『小鹿田焼』栃木県にある『益子焼』が当てはまる。
・私個人の民芸に対する感想
民藝という言葉と定義を見て、「民藝」とは、一様に〇〇が民藝で〇〇が民藝でないと判断する基準というより、「非常に利他的でストイックなモノづくり」に宿る「美しさ」を発見したときに、個人がその「美意識」を肯定できる、ひとつの価値観だなと思いました。
柳等が貴族的な価値観にとらわれず、誰の目にも見向きもされないようなモノであっても、自分の琴線に触れるモノを「美」と捉え、その視点を広めるべく活動した歴史があるからこそ、守られ、そして進化した文化や技術、モノがあり、こうして令和を生きる私も実直で愛おしい道具に心が揺さぶられるのかもしれません。
歴史や概念を学ぶのも難しいですが、楽しいですね!
まだまだ民藝の、はじめをかじったところなので、随時勉強メモを残していきます!
始めましての方も、引き続きの方もお付き合いいただきありがとうございます。
今後も焦らずゆっくりと続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
店主 絢音