結婚したら、いまのように友人たちと出かけたり、誰かのおうちに集まって遊んだり、難しくなるなって思って、それはさみしくて、考えないことにしています。いつまでも、高速船のデッキから、あれが発電所だとか、飛行機はどこへゆくのかとか、話していたいね。そういうのが永遠だと思っていたのにね。
ちゃんと目線をあわせて、みつめて、どきどきしたいね、いろんなこと。だいじにしたいね、ひとつずつ。自分にどきどきしてほしいなって思ったら、それは恋だと思うよって。
TOTO出版から出ている、「地球家族」って写真集が実家にあって、よく眺めておりましたが、https://jp.toto.com/publishing/detail/A0105.htm 明日の朝から勤め先の私のデスクを新調してもらえるということで、帰り際にごっそり引き出しの中身を出してきました。異動したときに配給された机で、すでに前面が凹んだりガムテープ補強されていたりしていたのですが、特に問題なく使っていたので、上司が可哀想にと総務に掛け合ってくだすったわけです。 それで、
遠くにいる会いたい友人のノートをこっそり盗み見ている。文章がうまいからとても好き。本当はフォローしたいけど、しなくてもまた探せば読めるからいいの。
久しぶりに家を掃除した。 実に半年ぶり、いやもっとかもしれない。 今週、ド平日の真っ昼間に大家立ち合いで室内の設備点検があって、私は仕事でいられないので、まあともかく、見られたらマズイので、重たい腰を上げた次第である。 私の部屋の片付けられなさというのは、始めて部屋を与えられた小学校1年生に遡る。ノートやら漢字ドリルやら、床に散らかしてしまうのだ。家で勉強はしているのに! 実害もあって、漢字ドリルを持っていき忘れたことが何度かあったような記憶がある。でも「忘れた」とは言えな
非常に行き詰っている。寝不足でつくったレイアウトは一晩明けたらとても人に見せられるものではないし、上司にも突き返されてしまって当然のものだった。 そうでなくとも、期限がタイトなものを、人員不足のなか、経験値ゼロなのに担当しているのだ。本当に光のささない泥水の中を水中眼鏡もなく、もがくような毎日。 水泳部だから泳げるんだい、という自身はとうに底に沈んでいる。 それでも営業も事務もやりながら、はじめてなのによくやってるよと上司に言われるが、文章指南を休み時間に受けながら涙をこらえ
高校時代の人気者の彼とぶつかった。いま、彼がどうしているかなんてなにも知らないし、知り得る情報だけで判断すれば私だって一般的な価値基準でひどく劣っているわけではない。でも、彼は高校時代の人気者。彼とぶつかったから、みんな私に良くはしてくれないかも。 どこか劣等感がありつつ、私は彼を見下しているのかもしれない。私達、大人だから、罵り合ったりはしないけど、たぶん人間関係でこれからしんどいことがおきる気がする。良いんだ、私は私が正義だと思うことをするから。
私と手を繋いでほしい 手を繋げる関係の人がここにいないと手は繋げないことに気がついた
友達はしゃぼん玉のよう
おかあさん、わたしはおともだちもあんまりたくさんいるわけじゃないし、たまにいじわるになっちゃうし、ちゃんとおへやかたづけられないし、すぐぐずぐずしちゃうようなむすめで、どうしたらいいのかわからないけど、おかあさんもそういうことってあった?
よく偉そうなことを口にしているのに、ほんとうは色々なことをまだ知らないだけで、不条理に初めてぶつかって、なにもできない。 よく、自立しているって自称していたけれど、実家から何か荷物が届くとそれはとても嬉しいし、どこか期待している自分がいる。
永遠の意味を知ってしまった人間 真昼の月のような記憶は何を救うだろうか 昔から体温だけは嘘をつかないから 巻き戻してよ 私が子供になるまえに 社会では、「続ける」ということが評価される。 「休まず学校に通って素晴らしい」とか「幼少期からのたゆまぬ努力の賜物」とか「祝!勤続○年」とか。 「続ける」ことは難しいこともある。 一方で、たまたま「続いた」こともある。 そんなの ただの 正しさ みたいなものだよ。
「男女の友情は成り立つか」 自分の性別も相手の性別も意識外にあるとき成り立つと思う…が、その場合、男女なのか。
モノレールが面白いのは、たぶん、屋上が見えるから。見られることを意識していない人々の営みを垣間見れるから。
カレンダーをちゃんとめくれる人になりたかったか?
19歳まで実家で暮らしていたんですが、実家が都会ではなかったので、夜中にタクシーはいないし最終バスははやかったし、歩いていく距離にはあちこちに(顔の広い)母親の知り合いがいて、脱走のしようがなかったのが良かったですね