【キャリアアドバイス】国際協力で働くには勉強が先か、現場が先か
【原題】ひとりNGOの勧め -ODA50周年に寄せて-
<But I’ m not the only one. John Lennon, Imagine 1971より>
最近、特に開発関係の仕事に進みたいという人から相談を受けることが多い。当然、その場で結論をだせないにせよ、本人と直接会って話しをするほうがよいのはわかっている。
しかし、必ずしもお互い時間を取れるわけでもないし、このHPをみてのE-mailをくださる方も多いので、とりあえずE-mailで回答することも多い。
その質問内容をみると、それぞれいわば生まれも育ちも違うはずなのであるが、質問に一定のパターンがあるようにもみうけられる。ここでは、そんな典型的な?質問に対する私の基本的なスタンスを述べたいと思う。
1.勉強が先か、現場が先か。
すでに大学を卒業して社会人として働いている方からの問い合わせに多くみられるのだが、きっかけはいろいろだが仕事として「開発」に関わりたい、今、実際に働いている分野は、直接、開発と関係ないのだが、将来的に開発の開発専門家としてのキャリアパスを見つけたいのだがどうしたらよいかという質問が非常によく寄せられる。
その背景をもう少し細かく見ると、自分の大学で専攻したことと仕事のいずれもが、自分のめざす開発専門家として求められる資質と違うのではないかというケースと、自分が大学や仕事で専攻した分野での経験を生かして、国際協力の仕事に転職したいのだがというケースの二つに大きく分かれるようである。
いずれにせよ、個人の問題意識を述べられた上で次にくる質問は、何々の分野の専門家になりたいのだが、専攻した(したい)分野を生かすためにあらためて海外の大学院に留学したい、もしくは国際NGOなりでとにかく途上国開発の現場にでたいのだが、どこにアクセスしたらよいかと問い合わせだ。もっとダイレクトに、留学したほうがいいのか現場を先にみたほうがよいのでしょうかという質問だ。
言い訳ではないが、わたしは別に就職のカウンセラーでも何の権限をもっているわけでもないのだが、そうは言っても、せっかく質問していただいた人たちには、大体、次のようなアドバイスをしている。
2つの優先順位の考え方
1 自分の好きな分野を大事に。
確かに実務の現場として技術的に求められる分野やこれからはやりそうな分野はあるが、あくまで本人の興味関心にあったことをやってほうがいい。しかしながら、逆に社会人の人はその仕事として経験した分野から大きく離れた分野にいきなり挑戦するのもかなり厳しいとも思う。
2 自分の好きな世界の地域を選択して、実際に現場に触れてみることがよいのではないか。
ある程度自分の専門としたい分野が決まった人に次に勧めるのは、自分が好きな地域をある程度、絞って実際に現地に行くことをお勧めする。詳細な理由は、後述する。
上記を一言でまとめると、好きな分野と地域をある程度、決めてかかったほうがいいですよということである。確かに、あたりまえのことだ。
当初の「勉強が先か現場が先か」という問題にもどると、私としては、もし時間が許すなら、まず自分の関心のある地域にいって、これは単なる旅行でもNGOのスタディツアーでもなんでもいい、もしその国や地域が気に入ったのなら、その地域や国をベースに、その国で求められている技術やレベルを基準に、自分の学ぼうとする専門性とのフィードバックをしつつ、具体的に、自分のやりたい(勉強したい)ことや、自分の弱点、強みを見出してみるのがよいのではないかと思う。
私は、某国立大学の外国語学部でアラビア語を勉強したのが、その時に、同窓の友達、先輩をみて、入学当初の言語、すなわち地域の選択が、いかに難しいかということをつくづく感じた。別のところでも書いたが、私は大学地代を通じて結局、卒業するまでアラビア語圏はもとより外国旅行をしなかった。確かに15年も以前のことで通貨価値もちがうし、他の理由もあるのだが、今になって思うと、アラビア語を選んだのは、非常な賭けであったと思う。
幸いにも関心をもって今まで勉強を続けてこれたが、少なくとも私の知る限りの二つの国立の外国語大学では、1年生から専攻言語の授業があり、少人数の蛸壺教育で、1年生から専攻語学の単位がとれないと進級できなかった。つまり、その言葉なり地域なり、もしくは先生にあこがれて入学した人はいいが、逆に、英語や他の言葉をやりたいのだが、とにかく外国語大学に入ってしまえと入学したはいいが結局、専攻語になじめなかった方は、実に辛い思いをしたと思う。
また、最初は関心があってはいったが、実際に現地にいってみたらあまり思ったほど楽しい地域ではなかったという話しを、実に意外なほど多く見聞きした。
当然、こちら側の思い入れも大切なのだが、相手というか言語や地域も、人を選ぶのだ。これは結局、相性としかいいようがない。
言葉を学ぶとしたら
別のところ(歩きながら考える[013])でも書いたが、言葉を学ぶとしたら、英語を中心に、フランス語、スペイン語ができるといいが、それに加えて、私はぜひ自分のフィールドというか好きな国の言葉を学んだらよいと思うのである。どんなきっかけでもよい。たまたまというか、自分の気に入った国があって、それが結果として途上国であるかもしれないが、そこで現地の人と友達になれたら、そこはあなたにとって単なる開発援助の対象でも国際協力の対象ではなく、あなたの友達が住んで生きている現場なのだ。(これでは、まるで『星の王子様』の世界ではないか^^?)
2.「3つのC」で考える
ちょっと脱線するが、最近、3つのCというものを考えている。これは、いわば気づきの3段階のキーワードを並べたものだ。
1 Conscious, Concern, Care: まず気づくこと。かまうこと。
2 Collaborate, Cooperate: 共に働く(遊ぶ)こと。共に生きること
3 Commitment, Courage: 自分の立場に責任をもつこと。励ますこと
実は、まだ漠然と考えているだけで、2と3の順番や、どの単語がそれぞれの段階でベストなのかは決めかねているのだが、援助の現場で求められている他者(世界)の認識には、上記のステップがあるのではないか。
まず、自分とは違う他人に気づくこと。そして、一緒に考えたり遊んだりすること。さらに踏み込んで、例え地球の裏側であってもその他人を仲間として自分の中に位置付けて、一生の友達として自分なりに覚悟をきめること。そんないわば赤の他人を受け入れることには当然、勇気が必要だ。
今の日本の現状をみても、非常に世知辛い世の中ではある。特に、都会では「袖ふれあうのもなにかの縁」などいうことわざは死語と化しているであろう。また逆に、「一期一会」とはいう言葉もある。
そういえば「小さな親切、大きなお世話」などというCMが日本の流行語大賞を取ったのは果たして何(十)年前のことであろう。
それはさりなん、逆に今の世のだこそ、‘仲間’の問題を自分の問題として共に考えようとする、ちょっとした勇気が今の世の中に求められているのではないか。
世界を開発している主体はだれ(なに)なのか
国際協力とか開発援助とかいうと、確かに今では日本の社会において社会的関心も高まり、それなりのステータスというか地位を得ているが、これはそんなに昔のことでもない。
また、別にODAやNGOだけが、この世界を「開発」しているわけではない。市井の本当に普通の人たちの経済活動が、この資本主義(国民国家)世界を現実的に形成しており、世界を回しているのだ。現在の「日の沈まない帝国」とはすなわち「多国籍企業」でもあるのである。
今までの、いやこれから先もずっと先進国は先進国だけでは生きていけないし、逆に途上国は途上国だけでは生きていけない。日本もしかり、決して孤島ではなく、地球上の全ての地域や国と、簡単には目に見えなくても密接なつながりをもって存在している。
もう「官」とか「民間企業」とか「市民社会(NGO)」とか便宜的なラベリングをやめようではないか。だって、私たちは、「役人」であったり「会社員」であるのと同時に「家族」の一員であり、たまには「市民活動(NGOなど)」に参加したりしている、普通の人たちではないか。ひとりひとりが、いろいろな仮面を持って、この現実社会に実際に生活しているのである。
「友達」や「仲間」として
最近、大学の中国の地域研究をしている恩師と開発についてE-mailでやり取りすることがあった。ちょうどその私の返信の中に、まさに今の私の心境を表している一文があるので、以下に転載させていだたく。
「 ~前略~ 私のHP上でも、いろいろ紹介しているように、若い援助に関心のある仲間は、本当に自然体で「開発援助」を考えていると思います。今、この文章を書きながら、たまたま、ふと思ったのですが、私にとっては、この援助の仕事も、ある意味「遊び」でやっているところもあるし、なにより”援助”される人を、私は「友達」というか「仲間」として認識していることに、あらためて気がつきました。
たまたま、生まれや育ちが違うだけで、本質的には、同時代を共有している仲間じゃん。 実は、2年前にフィリピンに出張にきたときにパナイ島のイロイロで知りあった国家灌漑庁の灌漑事務所で働く女性の友達(歩きながら考える[019]を参照)から、「Mr. Shibataは、他の日本人と全然ちがう。30パーセントが日本人で、30パーセントがフィリピン人で、後の40パーセントは、何人だかわからない。」とコメントされておりますので、とても私が標準的な日本人とは思えないのですが、ただ、私が日本で「若手会」と称してつきあっていた日本人の仲間は、ある面、同じような思考パターンをもっていました。彼女達とは、駐在してからも出張を絡めて遊びにいって今でも仲間としてたまに連絡をとりあっています。 ~後略~ 」
以前、開発教育を語ったとき(歩きながら考える[013])にも述べたが、日本のことと、英語圏のことと、そしてもうひとつの定点観測をすべきフィールドをもつこと。つまり、三角検証(Triangulation)できるようなポジションに自分を置くこと。特に海外に一生つきあっていけるような仲間を持つことが、大切なのではないか。
3.ひとりひとりずつの花を咲かそう
一昨年であろうか。人気グループ(スマップ)の歌で、「世界にひとつだけの花」という歌が日本で大変はやった。うろ覚えで申し訳ないが、「Number One でなくてよい。Only One でよい。世界でひとつだけの花を咲かせよう」という意味の歌詞であったと思う。実は7年ほど前に同じような言葉を聞いていた。1997年の日記の「今年のはじめに」の欄にこんなことを書いていた。
「・・・今年は一歩進めて地域社会に生きる。普通の人々のなにげない生き方に共鳴し、共感する。そんな人の間で生きてゆくことに心をそそぎたい。昨年末(1996年)のテレビで見た海援隊ライブで、武田鉄矢が恩師の言葉として引用した言葉「折れたるは折れたるままに、小さきは小さきままに咲くコスモスの花」にあるように、物事をありのままにうけとめ、決して自分の尺度で計らずに、皆がそれぞれの立場で花を咲かせる、輝けるような一年に今年はしたい。」
それぞれの人たちが、それぞれの立場でプライドを持って生きていけたらどんなにか素晴らしいことかと思う。
今、開発援助業界は、日本に限っていえば、とてつもない買い手市場で、競争も激しいときく。特に、すでに社会で働いている人にとって、隣の芝は青いではないが、なにかとても崇高な‘社会貢献’をしているようにみえるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。公務員であれ民間企業であれ、自営業であれ社会人として社会のため人のために働くということは、それぞれが貴重で大切なことだと思う。
私は、途上国でも日本でも、路上で日々の糧を得ようと手を伸ばす人たちにコインを渡すようなことはしない。なぜならば、私は日々の実践として、これらの貧困やよりよい社会を築くために闘っているという自負があるからだ。
それぞれの立場でがんばること
別に‘開発援助’の現場に働くことだけが人生ではない。それぞれの立場で、よりよい世界を目指してがんばることに意味があるのだと思う。観光旅行でもいい、NGOのスタディツアーでもいい。自分の足で歩いて自分で良かれと思うことを実践する。ちょっと問題意識をもって、世界のさまざまの土地に生きる生身の人々と対話を始める。それぞれが、ほんのちょっとだけでもお互いに‘よい想い’を共有できたらそれだけで十分な国際理解であり‘開発援助’ではないか。
「歩く仲間通信[018]」で冗談みたいな話しとして語ったが、会社や組織の一員というだけではない、自分で考え自分で動ける自分というものを持つこと。すなわち、「ひとりNGO」という生き方を提唱したい。
これはいわずもがなのことであるが、単なる帰属集団や体制批判でもないし、社会に背を向けて勝手なことをやるということではない。あくまで社会の中の自分というのを踏まえた上で、‘自分’を語ってよいのではないかという、ささやかな独立宣言の勧めである。
1954年10月6日は国際協力の日です。
2004年10月6日は、日本が戦後コロンボプランに参加して50周年、つまりODA50周年となる。例年のごとく、10月の第一週の土日の2日間、すなわち2004年10月2日、3日と東京の日比谷公園で、「国際協力フェスティバル」が行われる。残念ながら、私はマニラで参加できないが、関東近辺の方は散歩がてら足をのばしてみたらいかがであろうか。
やはり、何をやるにも、「旅は道連れ、世はなさけ」である。歩く「仲間」とのよき出会いを。
(この項 了)
初出:歩く仲間HP、ひとりNGOの勧め -ODA50周年に寄せて-<But I’ m not the only one. John Lennon, Imagine 1971より>、2004年10月1日