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【就活講座】グローバル人材のマインドセット③「違和感を大切にすること。Don't think, feel!」

今回の講座も、全5回ということで書き始めたが、実は、最初から5つのテーマを選んで書き始めたわけではない。なので、第2回目も、「言葉」と「宗教」というふたつの要素が入り込んでしまった。

しかし、そもそも「グローバル人材に求められるもの」とかいうテーマでは、それこそ、有名無名の多くの先達がすでにのべていることでもあるので、わたしは、わたしなりの直感で書き進めてもよいと考える。ちなみに、わたしが共感できる、先達の言葉は補論で紹介する予定である。

さて、今回、「違和感」という言葉をとり上げた。そして、かのブルース・リーの「考えるな、感じろ」という言葉をそえさせていただいた。つまり、ロジック(論理)だけではなく、自分のフィール(感覚)を大事にしてほしいという思いを込めている。

わたしは、国際協力や日本のまちづくりに30年近くかかわってきているが、これらのフィールドにおいて活躍しているリーダーのみなさんは、ほぼ間違いなくわたしがいうところの「開発コンサルタント」の機能を果たしていると思われる。そして、ほぼ間違いなく「開発コンサルタントは世界で一番勉強している人たち」のカテゴリーに入ると思う。

これは学歴うんぬんではなく、どのようなスタート地点であったとしても、常に学び続けていること、わたしは、そのこと自体に、その尊さを感じている。実は、地域づくりのリーダーたちは、高学歴とか家柄とかで評価されているのではなく、全然違う、いわば「ひととなり」というところで、まわりから認められている。いわゆる「人物」は、老若男女とは関係なく、どんな辺境地にでも、どのような組織にもいるのである。これらの人たちは、必ずしも「開発コンサルタント」ではないかもしれないが、そのマインドを持っており、不断に勉強や学びを続けているという点では同様であるといえる。

ところで、昨日、2000年に東京のシャプラニールという国際協力NGOがおこなった「NGOカレッジ 参加型開発とわたしたち」の受講生の20周年のズーム会議があって半数近くのメンバーで話をする機会があった。自己紹介というかたちで20年をふりかえる中で、講師を務めた定松栄一さん、受講生のみなさん、それぞれ立場も役割も時代によって変わっており、職場が変わった人も多かった。しかし、わたしが思ったのは、基本的にみなさん本質的なところは変わっていないということと、それぞれの現場現場での学びが、今のその人を形づくっていることを改めて感じた。

しかも、みな20年前よりグレードアップしているように感じた。人生100年時代といえども、明日、いやたったこの今に何が起こるかわからない。確かに常に気を張って「世界と戦い続ける」のはしんどいかもしれないが、やはり少しづつでも前進している人は、みていてすがすがしいものを感じる。

そこで、重要になるのが、人生や世界は「論理(ロジック)」だけでは動いていないということ。わたし自身、社会開発の開発コンサルタントとして、いわゆる経営学的なマネジメントやリーダーシップ論、組織論は、ビジネス書から専門書まで、それなりに研究している。ただ、どうにも違和感を感じることがおおい。

では、その「違和感」の根源はなにか。それは端的に、一言でいうと、その「論理(ロジック)」と生身の生き物としての人間の「感情(フィール)」との乖離である。乖離というと大げさな気がするが、「頭でわかってても体が動かない」ということって実は何気にありませんか。

ただ、その身体感覚、あるいは、個々人のとある「体験」や「体感」あるいは「経験」だけでは、それ以外の課題や問題は解決することができない。そこで抽象化がおこなわれ概念として「論理(ロジック)」が組み立てられてきた。その面では、「論理(ロジック)」は、あまたの個別の体験や経験を抽出したエッセンスそのものであるともいえよう。

しかし、「論理(ロジック)」から入ると、特に経験がない人は、個別の「体験」や「経験」に還元することができない。これは、ツール(道具)そのものが持つパラドクスとも同様といえよう。つまり、ツール(道具)はそもそも「特定の目的」のために最適化された。しかし、一旦、ツールとして成立してしまうと、発端となった「特定の目的」とは別の用途で使うことができる。これは、わかっていてわざと転用する場合と、勘違いというか知らなくてとりあえず使ってみたら役にたったという少なくともふたつのケースが考えられる。

いずれにせよ、ツール(道具)は、それが役に立っている限りは問題がないといえる。ところが、「論理(ロジック)」が、人間に適用されると何が起こるのか。まず、人間は、機械やロボットなどの、いわゆるモノではない。しかも、人間は感情を持つ生き物であるから、さきにのべたように原理的に、あるいは論理的に正しいと頭ではわかっていても、そのとおりに行動するとは限らない。

その「感情の動物である人間」を動かすために、心理学などの科学がさらに開発されたりするわけであるが、いくら科学や技術が発達したとしても完全に「論理(ロジック)」による人間の支配やコントロールは不可能である。

でもなぜそれでも、「開発コンサルタント」は学び続けるのか。それは、人間理解にこそ、学びや勉強が必要だからである。「感情(フィーリング)」を前面に押し出した時点で、それは宗教とか洗脳とか非科学的なものになってしまう。確かに、だまされる人もいるかもしれない。しかし、そんなだまされた人たちをみるのも、あるいは逆に、自分がそんなインチキで人をだまして仮に何かを成したとしても、それはおもしろいことだろうか。

少なくとも、「開発コンサルタント」は、そのようなインチキや、ヲタク用語でいえばチートを使うべきではない、とわたしは考える。むろん、物事の裏も表もみた上で、いわゆる「寝技」も使えるのが「開発コンサルタント」である。しかし、それは最後の最後の手段であって、基本は王道で正面から突破するのがあるべき姿であると思う。

この王道を説くのも難しいし、裏技はさらに難しい。「開発コンサルタント」を紹介する本や断片的な情報はあっても、これがそうだというような秘伝の書があるわけではない。仮にあったとしても、ちゃんと口伝えで教わらないと、文字だけではその内容をとても伝えきれない。

結局、「感情(フィール)」が大切なことを指摘しつつも、その詳細や実態について、文字では説明しきれなかった。ただ、自分の感覚、特に人や場に際して感じる「違和感」みたいなところに着目してほしい。人間の直感や感覚が正しいことは近年の研究でもどんどん明らかになっている。とりあえず、「論理(ロジック)」や他人の評価や感覚ではなく、自分の心や体が感じる「違和感」に気がついたら、なぜ、そのように感じたのかを、一度、立ち止まって考えてほしい。案外、その直感はあたっていることが多い。

自分自身、開発途上国で農民や住民相手のワークショップやファシリテーションを、いろいろ経験させていただいたが、そのちょっとした「違和感」が、隠されていた問題や課題をみつけるヒントになったことが多々あった。もちろん、開発途上国のローカルな状況は、自分だけではわからないことばかりなので、カウンターパートとか現地で一緒に仕事をしている仲間に、自分が感じた「違和感」について質問するのである。

この項では、自分がもった「違和感」を大切に、「論理(ロジック)」も活用して最適解に近づこうということをのべた。「論理(ロジック)」を否定しているわけではなく、また、「感覚(フィール)」がすべてというわけでもない。もちろん、両方とも大事であるが、開発途上国の現場では、「論理(ロジック)」だけで動くことはまずなく、「感覚(フィール)」への配慮が必要なこと。それを知るためには、自分の「違和感」という人間としての感情に素直に向き合ったほうがよいことを確認した。

この項 了

初出:国際共創塾ーともにつくる未来 2020年5月3日

http://www.arukunakama.net/worldJinzai/2020/05/post-64bc36.html

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