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わたしが出自にこだわらないわけ(プライバシーポリシーについて)

1.他人の出自が気になる人がいる

国際共創塾のポリシーに関わることなので、少し丁寧に説明します。とあるケースですが、あるわたしの日本人の仲間のAさんについて、その方の名字から誰かの血縁の方ではという質問が、別の仲間のBさんからなされたことがありました。

Aさんと特に親しいわけでもないので、家族や兄弟など立ち入った話をする関係でもありません。単純に知らないので、知らないとしか答えようがないのですが、わたしが気になるのは、なぜ、Bさんがそのような質問をわたしにしたのだろうかということです。

2.出自を仮に知っていたとしても他言しない理由

今回の場合は、知らないから教えようがないのですが、わたしは基本的に、仮に知っていたとしても興味本位で聞いてくる人に、わたしの仲間の個人情報を教える必要はないと思っています。

最初にそもそも、仲間について、どのような質問があるのかということから説明します。話の流れでAさんとBさんで説明します。

A.仲間本人についての質問(わたしの見立て)

Aさん本人そのものについての質問であるならば、わたしの仲間あるいは友人としての「わたしが見立てたAさんについての感想」くらいのことであれば、Bさんに伝えることはできましょう。

なぜならば、わたしが当該の本人(Aさん)について、別の人(Bさん)に語ったことが、100パーセント本人(Aさん)に伝わっても問題ないと考えていることしかBさんに話さないからです。

仮に後日、AさんがBさんからこんなことを聞いたと、わたしに照会にきたとしましょう。Bさんが口外することを想定しているので、わたしは当初より本人(Aさん)に説明する心づもりをしているし、説明できるという自信があります。

つまり、わたしとAさん本人の間での秘密とか信頼関係をこわしてしまうようなこと、本人(Aさん)にわたしがこう言っていたとBさん経由で伝わってまずいようなことは、最初から外部に話すつもりはないのです。

B.仲間本人の家族や親類などについての質問(本人の事情)

知らなければ答えようがないのですが、ある程度の付き合いのある仲間について家族や兄弟、親類などの情報を本人からあかされることがあります。

必ずしも秘密の情報ではなくとも、本人としては大っぴらに明らかにしていない。できれば隠しておきたいというようなことを抱えている人は、実は想像以上にいらっしゃいます。

例えば、家族が芸能人や有名人の子どもであったりとか、親族、親や兄弟姉妹に病気を持った人がいたりとかの場合です。知っている人は知っている「公然の秘密」なのですが、本人はさまざまな理由で、特に初対面の方には伏せていることがあります。

わたしも経験がありますが、しばらく経ってから教えてもらって、なんで教えてくれなかったのと聞くと、本人からは「聞かれなかったから」と軽くいなされたことがありました。そうは言っても、おそらく本人は聞かれたとしても言いたくないのです。

他人からしてみれば、そんなこと隠すことではないとか、誇らしいことだから自慢すればとか勝手なことを考えるのですが、本人にとっては興味本位で触れられてほしくないものなのです。

特に親が著名(偉大)であると、その子どもは、めちゃくちゃ苦労します。政治家、医者、研究者、芸能人、スポーツ選手なんでもいいですが、一芸に長けて、全国区あるいは特定の業界で名の知られた親を持つ子どもは、例外なく子どもの頃から親とくらべられて育ちます。

この親子関係のよい例も悪い例もごまんとありますので、みなさんも自分の興味のおもむくままにゴシップ記事を読んでいただけばよいのですが、実は、偉大な親をもって苦しんできた仲間を複数名知っています。

単に知っているというより、親しく付き合っているがゆえに、彼や彼女の心情まで知ることができたといえましょうか。一定以上の仲間だからこそ教えてもらったことなのでここでは言えませんが、いろいろ世の中あるものです。

このような場合は、まだ訪ねてきた人(Bさん)が、わたしとも仲間(Aさん)とも関係性ができていない時点では、何もいうことはありません。たとえ、Bさんが「Aさんって、こんな人の子どもなの?」とか聞いてきても、わたしは、「そうなんだ」というのみでしょう。

このように、本人について質問するのはまだしも、本人の家族などについて、なんの必要性もなく興味本位で質問することはあまり意味がなく、聞かれたほうも本人および本人の家族などのプライバシーを考えれば、おいそれと開示できるものではないということがわかっていただけたかと思います。

C.本人や家族などのネガティブな背景についての質問(本人を取り巻く環境)

おそらく誰か(Bさん)がわたしに誰か(Aさん)のことを興味本位で聞く際に、一番多い理由が、誰か(Aさん)が隠しておきたいネガティブな背景を暴きたいというものでしょう。

最初の事例の、BさんがAさんの出自を明らかにしたいというようなものは、上記Bで検討した、例えばAさんが有名人の子どもかどうか知りたいというのと、同時に、誰々の子どものAさんだとしたら、どうなんだろうというポジティブとネガティブの両面からのチェック(品定め)をしたいというBさんの意図があるものと思われます。

上記Bのケースでは、本人(Aさん)の意向をおもんばかると、本人が伏せていることを他人のBさんにはわたしから伝えることはできません。しかし、もし、Aさん本人がBさんに伝えればBさんの探求心も満たされる可能性があります。

しかしCのケースについていえば、例外なく、わたしの立場からBさんについて、Aさんの情報を提供することはないでしょう。

悲惨な環境下で生まれ育って、大人になって成功している人はごまんといます。その過程で大変な苦労や努力をして、本当に地獄の底から這いあがった人たちの話も、映画やドラマや新聞などでも広く見聞きすることができます。

しかし、その本人が成功して広く公にみずからの出自や苦労談を告白(カミングアウト)したのは、どの時点なのでしょうか。おそらく本人の中で、今の自分に自信をつけて、過去の辛く大変な思いをしてきた自分自身を表にだしてもよいと、なんらかの心の整理をつけた後のことだと思います。

ふりかえれば、悲惨な環境や苦労の日々は、美談や感動の物語となるかもしれませんが、その悲惨な環境や苦労の日々の渦中にいるときは、とても余裕をもって美談や感動をもって振り返ることはできません。生きるのが精いっぱいで、生活に手一杯の中で、のんきに美談や感動を物語ることはできないのです。

3.まとめ

これまで、2の中で、AからCまでケース分けして検討してきましたが、同じ共通の仲間とはいえ、仲間のAさんのことを仲間のBさんに伝えることの難しさがわかっていただけましたでしょうか。

誰にとってもポジティブで前向きで建設的な話題であったらよいのですが、特に仲間の本人や家族のプライバシーなどに関する質問については、慎重に対応せざるを得ません。

国際共創塾では、日本や世界の具体的な事例をまな板にのせてみんなで議論や研究する都合上、どのように事例(ケース)をあつかうのかが、とても悩ましいところです、

匿名性を重視するあまりに、例えば、事例(ケース)を「X国のAさんが、いついつに、BでCを使ってDのことをして、・・・。」などと、簡略化して抽象的にしてしまったら、全然、臨場感も実感もわいてこないでしょう。そもそも、これって作り話ではないの?と思えませんか。

文章で書く場合、特に学術論文を書く場合は、このようになることはやむを得ません。しかし、オンラインやオフラインの講義やセミナーなど、直接、言葉を交わせる環境であるならば、極力、現場のリアルが伝わるように「実名顔出し」でやっていきたい。

それが、われわれ「実務家」の「裸足の研究者」の集まりである国際共創塾のライブの講義やセミナーの特徴であってほしいとわたしは思っています。

(この項、了)

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