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52回のプログラムを受けることにします
置き手紙を書くときには、
私が離婚を希望している、というメッセージにならないよう注意した。
あくまで責任は夫側にあるということをはっきりさせたかった。
あなたがしているのはDVで、
DVをふるうあなたと同居するのは無理です、
でもあなたが変わるなら、また一緒に暮らしましょう、
でも変わる必要はないというなら、あなたのその選択を尊重します、
と書いた。
変わって再同居をめざすのか、変われという妻とは暮らさないのか、それは夫次第、ということ。
置き手紙をして息子を連れて家を出て二日後、夫からメッセージがきた。
「わたしもあなたと子どもといっしょに暮らしたいと思っています。
DV更生プログラムのサイトを見ました。
時間はかかると思いますが、待ってください」
手がふるえて、泣けてきた。
喜びというより安堵で。
黙って家を出ることで起こりうる最悪の事態
ー実家に怒鳴り込んでくる、とか、家を特定されて息子が連れ去られる、とかー
はもう心配しなくていいだろうと思ったからだ。
夫が変わるか変わらないかはわからないけれど、そうした不安に怯えることは、とりあえずないだろう、たぶん。
たぶんだけど。
そもそもほんとうに変わるかもわからないけれど。
置き手紙には、DV加害者更生プログラムを実施している団体名を書いておいた。
プログラムをうけて変わってほしい、と。
私たちが家を出て二週間後から、夫は全52回のプログラムの受講を開始した。
予想以上の展開のはやさで、よかった、と思った。
とりあえず今のところは順調なのかもしれない。
とりあえずこのプログラムを受講完了するのが次の目標で、
それが終わるまでは、次のことを考えなくていい。
息子と二人で暮らしていければいい。
二人なら穏やかに暮らせるのだと思っていた。
でも、実際にはそうではなかった。
家を出て、精神的に不安定な息子と、精神的に不安定なわたし。
そのころ仕事が非常にいそがしくなったのだが、残業できないので持ち帰らざるをえなかった。
しかし、持ち帰っても息子は抱っこ抱っことつきまとってくるので仕事はできない。
いらいらがつのり、積み重なった。
息子さえいなければ仕事に集中できるのにと思ってしまった。
だんだんと眠れなくなり、仕事ができなくなっていった。
新しい仕事を任されても、物事に優先順位がつけられない。
進捗が遅れ、ミスが目立ち、上司から注意を受ける。
落ち込み、うつうつとした気分のまま、終わらない仕事を抱えて帰宅する。
そんな日々のなか、ついに息子に手を出してしまった。
こんなだめな母親なんていなくなればいい、近くの線路にとびこめばいいかと考えるようになり、
気づいた。
わたしはうつ病ではないか。
いま倒れるわけにはいかない、ぜったいに。
通える範囲内の心療内科を検索し、サイト内の医師自己紹介が好印象だったのでその病院を予約した。
翌日出勤して上司に、
わたしはうつ病だと思います、仕事を減らしてください、診断書は後日取ってきます、
と伝えた。