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ODしたらICU行きになった話。
2024年も終わりが見えてきた今日この頃。
気付けば前回の投稿から8か月。
4月に更新していたんだね、私。
明日はクリスマスイブだっていうから月日の流れは年齢とともに早くなる。
シャンメリーを買いました。
当日になると売り切れるから。
そんなこんなであるぐ家でもクリスマスはパーティーをしようと計画中です。
それも命あってのこと。
あの夏の日に、一度は消えかけた命の灯が再び点火されたからです。
7月某日。
私は18時頃に夫に一言「ODしたいです」とLINEを送りました。
何だか全てがやるせなくて、言葉通り憂い、悲しみを紛らわそうとしても晴らしどころがなかったです。
アームカットという自傷行為はもう1年以上はしていませんでした。
切っても良かった。今思えば。
でも私、趣味でクラシックバレエを始めてしまっていてね。
只でさえ猛暑の中、レース素材とはいえ長袖のレオタードを着ているのに、そこに包帯グルグルは避けたかった。
透け透けだしね。明らかに浮く。
変な人と思われたくない。
見栄でアムカってやめれるんですね。
そんな訳でアムカという選択肢はとらず、ODで飛びたい。
忘れたい、何を、分からない。
でも、見たくない、感じたくない、この途方に暮れた感情を。
仕事中の夫からはすぐに返信がありました。
「外に出る、待ってて」と。
そして通話記録が残っていました。
何を話したのかはもう覚えていません。
その夜。
私はまだまだ世界がどうでもよくて、何を食べても、何を観ても、どうでもよくて、思考停止を願っていました。
そこで夫にひとつ提案をします。
「エチゾラム10錠ならどうでしょう?」
夫は唸りつつも「10錠なら…」と承認。
それもどうかと思うけど。
でもそこは夫だって慣れっこです。
私は以前、ハルシオンやらレボトミンやらを100錠は飲んで、野外でぶっ倒れはしたけど、帰宅後は普通にお風呂に入ってストレッチまでしている人間です。
10錠如きでどうこうなる訳ない。
しかもエチゾラムだよ、エチゾラム。
ドラクエで言ったらスライムみたいな存在じゃん。
というわけで10錠投下。
そうしたらエンジンかかっちゃって。
10錠ぽっちでも意外とまったりする。
あれぇ?なんかスライムの癖に良い感じじゃーん。
+30錠投下。
夫に隠れてポチポチと追加する私。
するともっともっとと欲が出ちゃって。
クエチアピンに手を出しちゃった。
これがいけなかった。
クエチアピン、初めて処方された時はあまりにきつくて、深夜にトイレの中で寝落ちしてしまうくらい私には強いお薬です。
今は耐性ついているけど、初クエチアピンの夜は夫に「酔拳してるよ!」と言われるくらいフラフラのメタメタ。
主治医からも「たくさん飲みたくなっても7錠までにしてね」と言われていたクエチアピン。
何故7錠という半端な数なのかよく分からないけど、7錠なら四捨五入して10は良いよね!ってことで、
クエチアピン+10錠投下。
私の記憶はここまでです。
ここからは夫から聞いたお話。
翌朝。
夫が起床すると私はリビングのソファーに座りながら、テーブルに突っ伏していたそうです。
私の早朝覚醒はあるあるなので、夫は「また起きちゃったんだな」と私を寝室のベッドに促したそうです。
でもどうも呂律が回っていない。
それでも私は千鳥足でベッドに向かったそうです。
それを見て、夫は違和感を感じたと振り返ります。
前日の「ODしたいです」といった切羽詰まったLINEも気になっていたと言います。
昼。
夫はお昼の休憩時間に様子を見に帰宅をしてくれたそうです。
私はベッドの上のままで、夫は「まだ眠っているんだな」と思いながら、昼食の準備を始めたそうです。
今こうして書いていると偉いな夫。
仕事の休憩時間に昼食作りに帰ってるのか…。
まぁそれは置いておいて。
昼食が出来、夫は私を起こしに向かいます。
そこで初めて異変に気付くことになります。
起きない。
いくら声をかけても、全力で身体が千切れるくらい揺さぶっても、全く反応がない。
これはおかしいと思った夫はゴミ箱を漁り、出てきたのが、
クエチアピン7シートの残骸。
要するに70錠ですね。
7錠までって言われているのに70錠飲んじゃってたみたい。
エチゾラム40錠にクエチアピン10錠までは覚えているけど、70錠…うーん。
本っ気で記憶にない。
青ざめた夫はすぐさま救急車を呼んだそうです。
救急車を呼びつつ、職場へ仕事の調整の連絡をし、私の保険証、お薬手帳、飲んだであろう薬の残骸を全て確保、そして奥さん(私の母)にまで緊急連絡をしたそうです。
いやぁ。。。
冷静ですね☆
私ならパニックになっちゃって、保険証云々は吹っ飛びそうだけどなぁ。
数分後、マンションに救急車が到着。
めちゃくちゃ早かったと夫は言う。
担架が家の中に入り、泥人形のように重い私を運んでいく。
そんな体験したことないから、マジで覚えていたかった。
数分で着いた救急車ですが、しかしそこからが長かった。
受け入れ先の病院が見つからない。どこもいっぱい。
マンションの駐車場で40分近く停車していたそうです。
その間、他の住人は駐車場に車を入れることが出来ず、迷惑千万。
でもみんな待っていてくれたそうです。
というか待つしかないよね。すみませんホント。
よく医療ドラマや映画で心電図?心拍数?がピコン、ピコンって鳴るシーンがあるじゃないですか。
死んだらピーーーーーみたいな。
私は何かに繋がれていて、鼻にも管を突っ込まれて、まさにドラマのような状態で、夫は現在そのピコンピコンの音がトラウマになっています。
焦る救急隊員、ピコンピコン中の私、成す術のない夫。
生きた心地がしなかったと夫は言います。
そんな膠着した空気の中、一軒の病院から折り返しがあり、受け入れますよ~とのご連絡。
即走り出す救急車。
車内は想像以上に揺れるそうですね。
それは私の住んでいる地域の道が悪かっただけかもしれませんが、バインバインと揺れたそうです。
良いなぁ、一度は乗ってみたい救急車とパトカー。
乗ったけど乗ったカウントされない気分なのが悔しいです。
あ、クズでごめんなさい。
そして受け入れ先の病院へIN!!
ICUへ運ばれさぁこれから諸々の処置だ!って中、
あるぐさん失禁。
いやあああああああああああ…!!
もう殺して…私を殺してぇ…。
なんて言える訳もなく、というか意識そのものがない。
看護師さんは慣れた手つきでバリケード?みたいなものを持ってきて、テキパキと私の下着を取り、オムツに変更したそうです。
このバリケードって何だよって思うんだけど、夫曰く「バリケードだったんだよ!」って言うのでそのまま採用しています。
そして面会謝絶になり、夫は別室の「親族専用待合室」へ。
そこには今夜が山であろう親族を持つ人々が2組ほど沈んだ顔で待っていたそうです。
そこで看護師に呼ばれる夫。
「奥さん失禁です!これ汚れた下着です!」
とビニール袋に入れられた私の下着をポンと渡されたそうです。
捨ててくれよそんなもん…。
そこから私は丸一日昏睡。
でもどうやら命は助かりそう、そんな感じだったそうです。
こう書くとフランクですけど、夫がお昼に帰ってきてくれなかったら、私は自室のベッドで失禁しながら召していたことでしょう。
どうも長年のOD癖で、内臓が弱っていたとか何とかかんとか。
私が気付いた時にはまだまだお薬ラリラリ中で、視界は真っ暗でした。
背中に洗濯ばさみ?みたいなものがつけられており、身体を起こそうとするとブザーが鳴る仕組みでした。
そして看護師さんがすっ飛んでくる。
でも私の視界は真っ暗なままで、見えるのはこんな世界。
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なんかピンクの点々なの。
頑張って頑張って目を開いてもコレ。
そして妄想と現実の狭間にいるせいで会話が成立しない。
「夫が待ってるんです。車で地下で」
「あるぐさん、ここは〇〇病院で今は深夜ですよ」
「わかっています。私は大丈夫です。坂道を上ります」
「横になりましょう」
「大丈夫です。坂道を上れますから」
全然大丈夫じゃない。
何故か坂道を上れることを必死にアピールしていました。
あとは夫から電話があった妄想をしていて、地下で待っていると言われていました。
ついでを言うなら処置されている時なのか、何の時なのか分からないけれど、「あ~腕も傷だらけだ」と言われた気がするのだけど、妄想なのか現実なのかは分からないままです。
夫は私が目覚めた時に知らない場所にいることでパニックになる可能性があると医師に伝えたそうで、私のベッドは部屋の中央から部屋の壁側に移動されており、片方は壁、もう片方はフェンスがつけられているという状態になっていました。
再びの目覚め。
もう時系列はサッパリなのですが、次に目覚めた時には普通にICUの室内がしっかりと見えました。
そして右半身が激痛。
右半身の筋肉繊維がやられたそうで、歩くなんて無理無理。
お手洗いどうしよう…と思った時に初めて自分がオムツをしていることに気付きました。
まじかぁああああああああ。
そして枕元にはスマホが。
これも夫がパニック防止に差し入れてくれたそうです。
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これでとりあえずの状況を把握。
ご丁寧に私を客観的に見た写真まで送ってくれていました。
奥さんまで駆けつけてくれるということで、申し訳なくなり、奥さんへLINEするも、
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全っ然、薬が抜けていなくてこの有り様。
後日、見返してビックリしたもんね。
全ウマー焼ってなにほんとに…。
この頃には鼻の管だかチューブだかも外してもらえたと思います。
そんなこんなでお花畑を行ったり来たりしていても訪れる尿意。
オムツにすりゃ良いじゃんってお思いかもしれませんが、いざしようとしても出来ないのが人間の尊厳だと思うのですがどうでしょう。
とりあえずナースコールをして、お手洗いに行きたい旨を伝えました。
すると車椅子を持って来てくれて、激痛走る右半身を支えてもらい、何とか椅子の上へ着地。
車椅子を押してもらい、点滴を引きづって、初めてICUから出ました。
他の部屋もチラリと見ましたが、ご高齢の方ばかりで、私ってマジで迷惑者だなと実感。
出来る限り尿意は我慢して、看護師さんの手を煩わせないようにしようと決めました。
面会の日。
15時から面会時間だと聞いていたのですが、朝9時に来た夫。
どうやらICUともなると、多少の融通は効くみたいです。
お願いしていた水2リットルを4本と、下着、そしてBAPE。
私、2日間、水分すら摂ってないんですよ。
一度看護師さんに「お水飲みますか?」と聞かれて喜び勇んで返事をしたら水道水を出されて涙。
なのでお水をお願いしました。
そしてBAPE。
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入院生活、勿論禁煙です。
でもBAPEなら…!!
煙草じゃないよ!これフレーバーのついた水蒸気だよ!!
という願いも虚しく、
看護師さんにソッコー取り上げられました。
此処…ICUやけんね…あたいも分かってはいたんよ…。
でも万が一に…期待してん…。
夫はその他にもお菓子を大量に持って来ており、PCも持参。
横たわる私の横で仕事をして、面会時間ギリギリまで付き添ってくれました。
まぁ、お手洗いに行った時に「院内持ち込み禁止」って貼り紙があったのですが、看護師さんたちも事情が事情なだけに「まぁ沢山のお菓子良いですね~」と見ないフリをしてくれました。
意識もしっかり戻り、もう退院して帰りたかったのですが、血液の数値が見事にバグり、身体も痛く、3日目の夜も退院には至りませんでした。
就寝前の薬はサイレース1錠。
眠れるぁあああああ!!!!
って感じだったので、延々と闇金ウシジマくんの漫画版YouTubeを見ていました。
あれ、1エピソード3時間くらいあるから滅茶苦茶助かった。
夫の仕事中には奥さんが面会に、夫の仕事が終わると奥さんと交代というローテーションがいつの間にか組まれていました。
そしてついに行政まで動き出しました。
私の住む市役所の福祉課から2名派遣され、面会。
今後、同じようなことをしそうになったら是非にでも電話をしてほしいと。
「いのちの電話系、繋がったことないですよ…」
と私が言うと、
「うちは大丈夫です!
私もよく掛けますが繋がります!」
と返ってきました。
あなた様の方が心配だよ…と思いながらも名刺を受け取り、現在では2ケ月に1回くらいのペースで電話が掛かってきます。
こちらから掛けることは今のところないです。
噂ではシングルマザーさんとかがよく掛けてくるそうです。
大変やねぇ。
退院の日。
もう何日入院していたのか分かりません。
血液の数値がいくら点滴をしても戻らない。
只、まともな眠剤を貰えないので、私はほぼ不眠不休です。
沐浴が一度あっただけでお風呂にも入れていません。
このままではおかしくなる。マジで。
なので懸命に直訴。
「数値がおかしくても、これじゃあ頭までおかしくなります…」
※なんか健常者ぶってますが、既に頭もおかしいです。
そうしてこの願いは3度目くらいで聞き入れて貰えました。
やったぁあああああ。
こうして約1週間くらいに渡る私の入院生活は終わりました。
奥さんと退院の準備をしていると、看護師さんから
「オムツ余ってますが、どうされます?」
と聞かれ、どうするもこうするも捨ててくれ…。
持って帰って何に使うんだ、想像力を働かせろ。
と、思っていたらオムツ代というのも請求額に入っていました。
だから私は購入者な訳で、病院側も勝手には捨てれないみたいでした。
そういえば入院中、スタットコールを生で聞きました。
緊急事態が起きた時にスタッフを招集する緊急コールです。
「スタットコール!スタットコール!〇〇号室へ!!」って。
今にも危ない人がいて、それを助けようとする人がいるんだなぁと思うと、闇金ウシジマくんをボーっと見ていた私は情けなくなりました。
今回のODについて。
私は只、やるせなくてODをしたと冒頭で書きましたが、根底にあったのは希死念慮です。
これに抗う手立てはODしかなかった。
何で、どうして、希死念慮が出たのかは分かりません。
なんなら希死念慮さんとは親友で、上手く依存し合って生きていくしかないと私はずっと思っていたのですが、希死念慮さんが唐突に暴走を始めました。
私は毎日幸せです。
今日も些細だけどとても満足出来る嬉しいことがありました。
でも、見たくない、感じたくない、この途方に暮れた感情を。
そしてまだまだ世界がどうでもよくて、何を食べても、何を観ても、どうでもよくて、思考停止を願ってしまいました。
まとめると、
死にたくなくてODした。
これに尽きるんですよね。
このままじゃ死んでしまう、やばい、だから薬で紛らわそう、そんな感じ。
夫はよき理解者で「死ぬのを我慢したんだね偉いね」と言ってくれますが、病院側や行政からするとあまり意味が分からないみたいで説明に苦労しました。
でも過ぎ去って思うのが、あのまま死んでいても良かったなと。
これはとんでもない傲慢な考えなのは重々承知なのですが、やはり助かって一番に思ったことは「助かってしまった」だったんですよね。
私は一瞬一瞬がバラバラの不安定で、どうしても刹那的にしか生きれないです。
目先の快楽にしか興味がないし、将来的なことなんて考えただけで気が滅入る。
それでも、共に歩もうとしてくれている夫がいるのが現状で、それが時に足枷になる。
難しいね生きるのって。
皆、どうやって折り合いをつけているのだろう。
そんなことをふと今日思いました。
最後に。
ICUへ向かう途中、失禁した私ですが、その下着を看護師さんに丸投げされた夫…。
「その下着どうしたの…?」
「ちゃんと洗面所で手洗いしてから洗濯したよ!!」
この顛末を友人Yちゃんに話したら、
「夫さんがユーチューバーなら私スパチャするわ」
と返ってきました。
私もしよ…。
ではでは皆さん、本日も長文を読んで頂きありがとうございました。
年内に1本書けて良かった。
みんなODには気をつけてね!
私たちの身体は予想以上に弱ってるよ!!
じゃあねん♡
イラスト描いてます⬇覗くだけでも是非!
いいなと思ったら応援しよう!
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