CATS愛→死生観

ミュージカルのCATSが大好き。
猫が、スキ。
歌が、スキ。
動きが、スキ。
舞台が、スキ。
リズムが、スキ。
テンポが、スキ。
メイクが、スキ。
世界観が、スキ。
死生観が、すき。

CATSを知らない方に、大雑把に説明すると。
年に一度、生まれ変われるジェリクルキャッツを決めるため、色々な猫たちが自分の人生をアピールする。最後に、年老いた元娼婦の猫が、『メモリー』を歌いあげ、満場一致で旅立つというもの。

一匹一匹の猫たちを、人間に置き換えると、視点が変わって見える。我々が最後に選ばれる瞬間とは。


作り込み方が素晴らしく、猫アレルギーの方でなければ、一度はみて欲しい。

キャッツシアターに足を踏み入れたときの感激は、忘れられない。今で言う、没入感。
前半から泣きすぎて、舞台を堪能できないどころか、友人には心配を、周囲には迷惑をかけまくった。なので、DVDで楽しむことにしている。


察しのいい方だと気づいたと思うが 。
ジェリクルキャッツに選ばれ旅立つということは、死が迎えにきたことだと解釈している。



死生観は、時代、宗教、個の価値観によって、全く異なると思う。
そもそも、死生観なんて、考えない、思いもつかない人もいるだろう。そんな事を考えるなんて、無駄だとか、余計な事だとか、怒る人がいるかもしれない。



ここからは、私の死生観の話。

美しいと言われて、最初に思い浮かぶ映像が、チベットとかの年老いたお婆ちゃんの笑顔だったりする。
風景とか、宝石とか、女優ではない。

私にとっての美しさは、精神的な豊かさなのかもしれない。

生まれた瞬間から、良いこと、悪いこと、厳しい環境、恵まれた環境、苦しみ、悲しみ、喜び、幸せ、経済的な安定、不安定など、多くの経験を積み上げていく。

今の私が気づいた事は、所有しない豊かさ。
お金も物も家族も友人も、全て自分のではない。
それぞれが、ただそこにある。
所有しないから、盗まれない、固執しない。
自由で、解き放たれている。

感情すらも、所有しない。
湧いた感情が、そのまま言葉となり、放たれる。
それを受けとりたい人が、受け取る、だけ。

そうやって、少しずつ所有物を手放し、自身の感情や若さエネルギーも手放し、私は分解される。

細かくなった私は、おおきな自然界へ溶け込むように帰っていく。

全てが分解され、入れ物だけになったとき、おそらく召されるときなのだろう。



意味不明ですね。なんか、そんな感じなんです。

さて、重くなりましたが、しばらくはお迎え来ないと思うので、家も車もお金も、がっつり所有して、まだまだ逞しく生きますよ✨
ただ、子どもたちは、もう大きくなったので、緩く手放そうとしています☺️
本当は、まだ手を繋いでいたいのですが😅













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