行きたかった人たちの思いを背負うことが僕の生きる使命と思うから、その気持ちをとりあえず書いてみた
しゃーないしゃーない。切り替えていこうぜ。
そう思わないと人生生きてらんないよ。大人になればなるほど、ただ授業に集中して、放課後になったら、小学生の時は宿題終わらしたら遊べる環境が懐かしいもんだ。
でも大人はそういう環境が大切と言う人もいるけど、当時は全然わかんなかったな。
大人の大変さは独身でもあるだなんて。これで結婚して子供もいる人は、なんだ鉄人か?
もうドラフトでプロ野球に入ったルーキーのような感覚でこの数年生きてるよ。全くとんでもないよ。
ただ、もう私の人生はどこまでいっても我慢とどうやり過ごすかで出来ているから、何とかグッと我慢してやり過ごしていかなければいけない。
しょぼんのようなハードゲームでも、他の人がどんな選択しようがそれはその人の自由だからいいけど、俺は生きたかった人たちのために生きることがなんにも出来ない自分のたった一つ生きてる意味だと思うから、どんなに辛くたって、その分人生を楽しむことに目を向けて最後の最後のその日まで生きようと思う。
だから能登の豪雨で死んだ人たち、そして若く死んだ人たちの思いも背負わせてもらいたい。それが私に今できることだから。
みんなも共に生きて生きて生き抜きましょう。よろしく。