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刺激と生きがい

 非日常を味わうことは、日常を楽しくさせるための刺激となり重要なことかもしれない。だが刺激というのは虚無感と隣り合わせな気がしてならない。

 私はポジティブなのかネガティブなのかと聞かれると困る。どちらかというとネガティブな方に分類される気がするが、分類は難しい。

 行動的には多少レールを外れたり、人と違っていても自分が思うように進めれば問題ないとか、ポジティブな行動面もあるのだが、世界観としては社会に諦めを抱いている冷めた人間でもある。

 楽しいことは楽しめるし、やりたいことはある。しかし、根底には冷めた感情がある状態だ。 


 ラッセル幸福論には、こういう言葉がある。

酔いしれることを求める人は忘却という以外の希望をあきらめてしまっている

ラッセル 幸福論 岩波文庫p23

 刺激的な非日常というのは、一種の酔いしれることに近いと言えるだろう。それは快楽であり一時的なものに過ぎないと本書では考えられている。

 確かに非日常な刺激(快楽)と目標・生きがいは違っており、人生にはどちらも必要で、バランス感覚が良い人間が上手くいくような気がする。

 刺激的な日常だけが生きがいになってしまうと、それ以外の日常に刺激を感じられず、退屈に押しつぶされるに違いない。であるから目標・生きがいというのは単に刺激があるものでなく、その過程で退屈さも兼ねているものだろう。

 その目標・生きがいを突き詰めていく過程で退屈さを感じた時に、刺激的な快楽をスパイスに少し入れてみたりする。それが気分をリフレッシュして頑張るみたいなことだと思う。


 余談だが、ラッセルの幸福を求める方法として、自分の関心を内ではなく外界に向けるものという考えがある。これは考えるだけでは幸福になれないという私の意見が重なるところであるかもしれない。



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