毛皮を着たヴィーナスからマゾヒズムについて考える
本編について
タイトル 「毛皮を着たヴィーナス」
作者:L・ザッヘル・マゾッホ
マゾヒズムの語源となった小説です。
今回はこの小説のネタバレを極力避けながら、私が感じ取ったことを抽出して書いていこうと思います。
感想
文学として面白かったのですが、MとSの関係性について考えさせられました。
マゾはわがまま
マゾといっても永遠におあずけで良い人っていないと思います。散々屈辱を受け、屈辱に快楽を見出し、屈辱の状態で通常の快楽も味わいたいのだと思います。そういう点ではかなりわがまま度が高いです。
SとMの関係性
SとM、おそらく好みはあっても、どちらにもなれるというか、なれなくても演じることはできると思います。意外と演じてみたら、その魅力から抜け出せなくなったりとか。あると思います。
マゾのわがままさというのは、まず第一は献上なわけで、相手に「私をあなたの好きなようにして」と自由を与えるというのが最初です。
これは自分に自由が与えられるし、相手もそれで快楽を得られる。Sで無いといってもそれならいいかなと受け取ってしまいそうな条件だと思います。好きにしていい(条件がない)と思わせるのですから。
しかし実際蓋を開けてみるとMは要求が多く、自分の身を捧げて自由を与えているように見えても優位にいるのはM側だなーと思ってしまいました。
ギャップの魅力
ギャップというのは良い意味でも悪い意味でも怖いものです。冷たいお姉さんが少し見せる優しさにはゾクっとしたりするでしょ?・・()
まぁ好みの問題もありますが、少なくとも意外性があればそれは強い刺激になるはずです。クーデレとかツンデレとかありますね。たまにデレるからそれが刺激的な訳です。
落差が大きいというスリルを味わってしまえば、どんどん欲しくなります。普通の優しさだとしても、落差が大きいとその量が多く感じるのです。
通常の優しさがプラスだとすれば、スパイスにマイナスが欲しくなり、最終的にマイナスを求めていくでしょう。
総量を多く感じるだけでなく上りあがるような快楽がそこにはあるでしょう。正直なところ優しさに包まれたさがあるとも言えるかもしれません。
作者
作者の実体験を織り交ぜて書いたのも驚きですが、何よりも現実世界でヒロインを実際に作ろうとしたのが衝撃でした。
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