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FF16 一部の絶賛派に言いたい!説明表現について

あんまり書きすぎると粘着してる熱心なアンチみたいな感じで凄く嫌なので抑えてたのですが

SNSで流れてくる「FF16の良さをわからないのは説明台詞がないとわからず、演技や演出を読み取れないから」的な(超意訳かつ総括)感想をたまに見ます。

もちろんそうかもしれないとは思います。

自分でも見ておくべき、これを楽しめるべき。と思うようなゴダール映画やアメリカンニューシネマ以前の作品などはイマイチ楽しく見れていない未熟さには自覚があります。

今のリズム感や、マーケティングに基づいたようなライド感も勿論ありませんしね。


ただ説明台詞と、演出による説明に関しては違います。

前提として究極、説明台詞は一切必要ありません。

分かりやすい例を挙げると「2001年宇宙の旅」

本来であれば冒頭、猿がモノリスによって進化を促されるシーンは終盤、デイヴィットが見せられる映像として用意されていたものを、キューブリックの奇天烈なアイディアで順番を入れ替えた結果、放り投げた骨が衛星兵器にマッチカットされる。さらにその衛星は兵器という説明も表現もありません。(本当の宇宙開発関係者のインタビューも冒頭に流すはずだった)

しかし最低限、人類がモノリスによって宇宙まで進出している。ということは分かります。

この間いっさい台詞は無く、猿の演技と美術設計等々の演出で事足りるわけです。

そういった裏の事情や、本当はこうだった。といったことを知らないでも、それを補って余りある美術センスや展開や映像表現が、様々な論争を呼びカルト映画として数多の影響を及ぼしました。

とはいえそれは意図して説明を抜き取った結果である。という点も重要です

(もちろん2001年宇宙の旅は原作があり、補助線的に用いればすべて謎に合点がいきますが)


演技の面に関しても

例えば小津安二郎の「東京物語」はメソッド演技以前のものですが、笠智衆や杉村春子の演技は今と違って淡々としているように見えますが、確かにその人物がどういう感情を抱いているかは伝わります。

つまり演技は演技法や時代に関わらず、言語化出来なくても不思議と誰にでも伝わるものです。


ではFF16にそういった、設定の矛盾や提起された問題の投げっぱなしを補うだけのものや、実はこうであるといった説明や補完、言語化できない無意識化でも伝わる感情などはあるのでしょうか?

百歩譲って、以前のnoteに書いた多くの部分を

”難癖"や、演出が理解できない自身の未熟さとしましょう

なのでここでは、物語の根本的な問題である「黒」と「アルテマ」にだけ焦点を絞ってみましょう

理解度の共有として大雑把な流れを振り返ると

遥か昔アルテマ一族は自分たちの土地を黒が浸食し、一族は絶滅の危機に瀕する。その後別の大陸へと移動し一族復活のための魔法レイズを使えるだけの肉体のため人類を生み出し、そのためのエーテルを集めるために各地にマザークリスタルを配し、両方が揃う時まで眠りについた。

ここまでの認識に相違ないかと思います。

ここからは”説明台詞”には無く、劇中大きな疑問となる点を

どこで演出や演技によって表現されていたのか分からなかった、自らの無知をあげつらっていきたいと思います。


まずアルテマも使用していたことから、召喚獣は全てアルテマ一族のもの(あの個体だけ?)であるとして

なぜそれが各国に、それも別々に発現するのか(マザークリスタルと共に分散した?ねむねむアルテマが国ごと、ドミナントが死ぬ毎に与えて均衡を保っていた?そういうシステムを作った?)

また、リスクがないはずのクライヴはアルテマの力を使った結果、体の一部が石化の上死んでしまう。と

もちろんアルテマの精神とセットじゃないから。とか、いくらでもここに関しては汲み取って理由付け出来ますが…そこで事前に明かされている情報と祖語があるとやはりノイズになってしまいます。


何より説明されないと何も解決されていない、黒によるエーテルの枯渇。

マザークリスタルが大地のエーテルを吸うことで黒が浸食する。と序盤に
”説明台詞”にあったので覚えているのですが

ここだけを取ると、当然「エネルギー戦争」をモチーフにしているということから、黒は環境破壊のメタファーだと捉えていました。

しかしアルテマ一族が健在であった時代でも対処できず逃げるしかない。と

つまりマザークリスタルの有無が問題なのではなく、魔法が存在する限り黒の浸食は続く。

だから魔法がなくなることによって、黒の浸食が止まると!なるほどそうか!

と汲み取りに汲み取れば分かりますが、アルテマに関するあれやこれやは
最終決戦の直前に明かされ、その後は直ぐにラスボス戦に突入してしまい演出や演技で表現されるタイミングがなかったように思いますが

ここもきっと

”演技演出とはなんたるかを理解している”一部の絶賛派の皆様には

難なく理解できるのかもしれません。

と、極々一部の例出しましたが


とはいえ人気シリーズの最新作でそういった受け手のリテラシーを強く求めることは酷です。

私を含めて読み取る力のない人が多数派なので。

ので、好きになったから深読みしたり汲み取りをすることはファンの楽しみではありますが

ゲーム内では補助線もないような謎や欠落を、自分の中でこねくり回した結果を出して「理解力の問題」というのは明らかに暴論です。

ましてや現実にあるセンシティブな問題を取り扱っている中で、差別被差別の意識の変容が一切無くなる。という夢物語はあまりにも無責任です。

「12 Years a Slave」のような苦々しい現実を伝え、暗澹たる気持ちにさせることに意味を持つ作品もありますが、そういったベクトルでもありません。


それらすべての設定や展開の謎がロアやサブクエストで解き明かされたとして、そこまでやり込まないと大筋が理解、納得、没入できないというのは

それは作り込みではなく優先度を勘違いした支離滅裂そのものです。

世界設定の作り込みは基本的な土台となりますが

例えばスターウォーズのタトゥイーンという砂漠の星にある水分凝結機についてや二重太陽の説明がなくても、片田舎の若者が世界に飛び出して世界を救うという話は不足なく完璧に成立します。

あくまでそういった小物や環境や文化はエッセンスです。

そういったものが有る無しに関わらず成立させないといけないものが

メインプロットでありキャラクターの動機です。

もしかしたら、ここに関して絶賛派 否定派のズレがあるのかもしれませんね


また「ゲームなんだから」とか「FPSは銃で人を殺してる~」

というのはお門違いで

では本来作り手は「所詮○○○なんだから適当でいいや」という姿勢で作っているでしょうか?

FPSはゲーム内で銃による被害について問題提起をしていますか?

もちろんそういった言説で問題を有耶無耶にしたい。自分が楽しめればそれでいい。と思うのは自由ですが、それは思考停止であって真剣に作品に向き合っていないのと同じですし、そういう人の話に意味はありません。



もちろん作家主義的に考えれば吉田直樹、前廣和豊が手掛けたものは全て傑作と定義できますが

いかんせん私はそうもいかず、良いところは良い、悪いところは悪い。と棲み分けるのが誠実な姿勢だと思っているし

当然私は 面白い!と感じる人を貶めたり理解が足りない。とは思いません。

何故なら好き嫌いは千差万別で、それは両立し共存できるからです。

またバハムート戦やりたいな

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