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脳内クラウドより(※)

 人に読んでもらえるような記事を書けるはずもないのに、ときどきこんな風にnote記事を書いている。

 根拠なき万能感か、承認欲求か。

 どちらかというと、脳内イメージを言語化する筋トレの感覚に近い。
 それと、一人間のサンプルとしてただ在るということへの義務感?納税?みたいな感覚もある。
 方向性もなく始めてしまって、もし読んでくださっている方がいたら、お目汚しかたじけない限り。

 理解が遅いので、その場で持った疑問を相手に返すことができた試しがない。
 何かひっかかったことは、種となって頭の中のクラウドスペースのようなところを、ふわふわ漂っている。

 これから書く話は、9年くらい前の種。
 結婚退職して以降ずっと専業主婦だったが、高校受験を控えた長女が塾に通いたいと言い出したのを機に、娘達の学費の足しになればと、長いブランクを経てパートを始めた。
 最初の会社は、事務職としての派遣社員だったが、何せ入れ替わりが激しい職場で、私も6カ月で堪らず退職。今の職場の募集を見つけ、オープニングスタッフの研修を受けていた時のこと。
 その中で、「仕事は、自己表現(※)の場である。」と派遣元の職員さんがおっしゃっていた。私も40代半ばだったし、若い職員さんの熱く語る口調に、違和感のような不信感のようなものを持ちつつ、結局請け売りで「仕事は、自己表現(※)の場である。」と思いながら過ごしてきて、そして行き詰まった。

 ここでまた「寝ながら学べる構造主義」(内田 樹 著/文春新書)の表現を借りるなら、、、、

”自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ「自己実現する」のではありません。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。”(中略)”中枢に固定的・静止的な主体がおり、それが判断したり決定したり表現したりする、という「天動説」的な人間観から、中心を持たないネットワーク形成運動があり、そのリンクの「絡み合い」として主体は規定されるという「地動説」的な人間観への移行、それが二〇世紀の思想の根本的な趨勢である、と言ってよいだろうと思います。”

「寝ながら学べる構造主義」(内田 樹 著/文春新書)

 やりがい搾取のように思えて、前に進めなくなってしまっていたが、私の捉え方が間違っていたと気づく。
 仕事は、自分を表出させる場である。

 種が発芽できたかな。

※訂正について
 「寝ながら学べる構造主義」の引用部分で、当初、誤った転記をしておりました。正しくは、、、、
 ✕「自己表現する」→〇「自己実現する」 
、、、、です。お詫びして訂正いたします。
 
 また、私自身が上の文章で、「仕事は、自己表現の場である。」と派遣元の職員さんがおっしゃっていた。」と説明した箇所も、研修中、マズローの欲求五段階説に言及されていたことを思うと、おそらく”〇自己実現の場である”(←”✕自己表現”)だったのでは、、、、と推測されます。
 研修の内容を記憶違いのまま投稿したことも、重ねてお詫びいたします。

 「寝ながら学べる構造主義」を読み進めて、改めて私自身の理解の浅さを噛みしめている次第です。(2024.11.03朝)