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primevideo三昧
○一つ一つを心掛ける。(自分へ)
自分のなかでつながった言葉があったので備忘録。
○負ける人生とは
primevideoで将棋マンガを映画化した「3月のライオン」を観た。繰り返し観ているうちに、ストーリーに散りばめられている棋士の負けっぷりが気になってきた。
将棋の対局は、「負けました」で終わるという。
「投了」の説明
対局者が負けを認めて相手に伝えること。その時点で対局が終わりとなる。
主人公の桐山零が、宗谷名人との初対局を終え、島田八段のもとを訪れて心境を語った時のセリフも印象的だった。
あのときの指の表面が引き剥がされる感じ。
手を離したときに、あっ、もうあとがないって気がついて。
負けるって分かってからも、終わらせたくないって思って。もしもここから最善手で指し続ければ、この将棋は一体どこまでいけるだろうって。
原作「3月のライオン」のまとめサイトなどで取り上げられている零を取り巻く登場人物のセリフからも、大事なのは結果だけではないというメッセージが伝わってくる。
そして、このときの指の感覚は、映画「ちはやふるー結びー」でのセリフ「くやしさしか残らなかったら(真島太一)」「そんなことはありえない。手触りはずっと残り続ける。何年でも何十年でも。(原田先生)」につながる。
○謡曲における負け人生
ここで、お能に話を移してみる。
演目のうち「勝修羅三番」といわれるものがある。
逆にいうなら、数ある演目の中で、修羅物の中で、勝つストーリーは3つしかないということ。
勝修羅物
かちしゅらもの
能の演目の五分類「神男女狂鬼」のうち、2番目に位置する「男」、即ち「修羅物」(二番目物)には、勝ち戦の武将を題材とした「勝修羅物」と、負け戦の武将を題材とした「負修羅物」がある。勝修羅物は「田村」「箙」「八島/屋島」の三曲のみで、「勝修羅三番」ともいう。勝修羅三番以外の修羅物はすべて負修羅物で、「清経」「敦盛」「頼政」など十数曲がある。
学生の頃は、それを判官贔屓なのだろうと思っていた。勝修羅のシテは、自己陶酔のような囚われを感じて、じわっと怖い。勝つことは、迷いの道なのか。
○仮説
この歳になって「3月のライオン」と出会い、真実は勝利の中には見つけられないということかもしれないという仮説を持った。
○将棋ではないけれど
6月に台湾への家族旅行へ行ったときに中正紀念堂の敷地内で、おじさんたちが木陰でのんびり公園象棋(シャンチー)をしているのを見かけた。
これもprimevideoで「薬屋のひとりごと」を観ていたからなのだが、猫猫(マオマオ)と親父さんが指してたやつ!本物だ!!とうれしくて、旅行から帰ってネットで衝動買いしてしまった。
将棋とは違って、相手から捕った駒は使わないそうで、「勝ち」「負け」の他に「和(引き分け)」になることも少なくないとのこと。
○で?私は?
迷って動けない。何かに焦って鉄砲玉みたいに飛び出しそうになる。混沌。
一つ一つ積み重ねていくこと。
頭では分かっているつもりでも実践できないでいる。
ただ実感を、一瞬の永遠をかき集めている。primevideo三昧の毎日です。
ある日、私は深い実感ととも気がついたんです。二度と取り戻せない光が、この世界にはあることを。
時の流れには誰も逆らえないけれど、この歌が1000年先の未来にも届いたように、私達には一瞬を永遠に留める力が確かにあることを、どうか忘れないでください。
君は、こんな所で何をしているの?