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50代・行政書士副業開業の記録(40)~あの派遣会社1~


心地よい秋の陽気が続いている。ときどき朝の散歩をしているが、静かな明け方は本当に気持ちがよい。まもなく寒くなるだろうが、この時期を満喫したいものです。

ずばり、〇ットウィルのことを書いていこうと思う。覚えていますか?2008年の秋以降、リーマンショックを機に「年越し派遣村」「日雇い派遣」「データ装備費」「業務停止」などの言葉が世間を駆けめぐった。コブラみたいな頭をした会長が頭を下げた映像を記憶している人もいるかもしれない。

私は「中のひと」だった。2005年に正社員として入社し、ほんの数年ではあるが、信じがたい(理解しがたい)光景を幾度も目にし、ジェットコースターのような日々を過ごした。

いま考えてもなかなか得難い経験であると思っている。いつかまとめなければならないとなんとなく感じていた。

前職は教育関連のサラリーマン。ややワンマンではあるが、ノルマもさほどなく数年のんびり仕事をしていて飽きたため、他のことをやってみたかったという、今思えば非常に危機感のない動機だ。

転職サイト(リクナビNEXT)で求人を見つけた。いくつかの募集職種のなかに店舗開発がある。かなりの勢いで出店しているようで、人が足りないようだ。前職で多少物件探しに関わったことがあったので応募し面接の連絡をもらう。このとき、すでにいわゆる「ブラック臭」を感じていた。人事担当者の女性からの電話が連日深夜22時過ぎに来るのだ。当時の私の仕事の定時が22時までなので、合わせてくれているのかな~と一瞬思ったが、完全に通常運転であった。なかなかである。

そして面接へ。場所はオープン間もない、六本木ヒルズ森タワー。セキュリティーゲートを案内の方の社員証で通過する。建物にセキュリティーなど無縁の零細企業勤めであったため、舞い上がっている自分がいた。すごいテナント料のはずだ。創業から短い期間でここにオフィスを設けるには「普通のこと」をやっていてはできないだろう。まもなくそれを目の当たりにすることになる。

初出社の日。自己紹介も終わらない間に、退職の決まっている前任者との引継ぎ。彼ははどうも体を壊して辞めるようだ。いやな予感がする。予感というよりは確信に近い。恐ろしい。激務。過労死。いやなワードが早くも頭を駆けめぐる。

当時は1か月に10~20支店のペースで出店していた。年間150超。今も同じかもしれないが、当時の派遣会社は得意先の業種によって支店を分けており、1つのフロアに複数の支店(ストアスタッフと引越しなど)を入れることもあったので実際の物件数は店舗数より少し少なくなるのだが、いずれにせよ普通の出店ペースではない。その出店業務をわずか3~4名程度でまわしているから・・ということだ。当時は800支店を超えたころで1,000支店に向けて突き進んでいたころである。あらためて驚きである。

世間一般にはネガティブな印象しかない会社である。残念ながら完全に事実である。不安定な雇用を促進し、貧困ビジネスが明るみになったともいえる。
無理やりプラス面を探すとなると、仕事の力はついた。圧倒的なスピード感が重視されるため、コトの数歩先を考える習慣がついたのは財産である。決済も速い。正社員だけで約1,000人越、非正規を合わせたら6,000人以上いたはずである。決裁権のある10数名は実績のみで上がってきた猛者ばかり。学歴・前職もさまざま。年功序列、前例踏襲などという言葉はここでは存在しない。かれらは一般社員にはかえって優しい。物件提案の会議等では、ひとことで鋭い質問が来るため、そこには相当の準備を要した。

これだけ支店数が激増すると人材育成などという概念はほぼなく、支店の人材もまったく足りないのは明白。それでもこのビジネスモデルは拡大しかないらしい。ということはしばらくして分かったが、このときはそんな余裕もなく、初日の勤務が終了。次回は毎週の朝礼について。

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