思い出せないを思い出す

昨日書く事がない、といいながらもダラダラ文字を打っているうちにいつの間にやらnoteが書けた訳だが、とはいえ昨日悩んだ事が今日は悩まずに済むなんて事はないし、よく、一晩寝たら忘れる、とか言うけれど忘れた試しがない。寧ろ朝起きたら真っ先に思い浮かぶ。
そんな訳で今日も書く事が思い浮かばないので、とりあえずまた文字を打ちは消し消しは打ちをしている。
そういえば、昨日自分のはじめての得意・不得意を思い出したり、消灯後に目を瞑りそれについて色々考えたりしていたら、脳みその奥から忘れてた記憶が2,3こほど埃を被って出てきたので、確かにこういう記憶はあるけれど、はてなんだっけ、と埃を叩いてラベルを見てみるが、読めそうで読めない位に字が掠んでいる。再生してみてもほぼノイズまみれで分からない。全然手がかりがない。取り出して記憶をもう一度どまじまじと眺めてみるけれど、やっぱりなにも思い出せない。しょうがないので綺麗に拭いたりして、また場所へ戻す。そのうちまた埃を被って、毎秒毎日押し寄せる記憶の波によって奥へ押しやられてしまう。以下繰り返し。
なんだか回りくどい上によく分からない事を書いてしまったが要するに、記憶にはなんとなくあるが、それが全く思い出せないという事を思い出したのである。表現がヘタで申し訳ない。
もっと簡単にいうと、昔観た物や読んだ物を「観た(読んだ)けど内容は覚えてない」の記憶バージョンである。
書いてるうちに更にわからなくなってきた、バカのクセに小難しく書こうとしてしまうのがおれのわるいくせだ。
でもこの、詳しくは思い出せないけれど忘れてた記憶を思い出す、という感覚は、わかる人には分かってもらえるはずだ…と信じたい。
もしかしたら口頭で伝えたほうが良いのかもしれないが、話すのは文章を書くよりヘタクソなので文章でご勘弁いただきたい。
でも、ふとした事がきっかけで埃を被った「思い出せない」記憶を思い出すのは、少なくとも消えてしまうよりは良い事だと思う。人間生きれば生きるほど消えてしまう記憶の方が圧倒的に多い。忘れてるならまだ思い出せる余地がある。過去を振り返らないで生きる人なんてひとりもいないのだし、どうせならひとつでも多く思い出せる記憶があった方が悪くない気がする。消えてしまう事と忘れてしまう事は違うのである。

なんか最近よく分からないことばっかり書いてしまって申し訳ない。
ゆるく俗っぽく差し障りなくのどれかな感じで書きたいのだけれどなあ。入院生活も長くなると小難しい事ばっか考える気がする。あと、文章書いてる人はみんな尊敬する。上手です。

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