「愛だろ、愛っ。」
なんとなく気づいて、Twitterで呟いた投稿が伸びていた。いわゆる「バズり」だ。
銀杏BOYZが2007年に台湾でライブをした時に峯田が全裸になった日が今日7月28日だ、という旨のツイートである。
いつも通りに銀杏BOYZのことを呟いたら思いがけない方向へ盛り上がってしまった。びっくりである。世の中、何が盛り上がるかよくわからないものだ。
けれども、こうして見知らぬ色々な人が話題を共有して良い意味で盛り上がってくれる、というのはありがたい。SNSの良い点だ。
銀杏BOYZのファンになってちょうど10年が経ち、限りなく一方的ではあるけれど、長い付き合いになったもんだなあ、とふと思う。
銀杏BOYZを好きになって峯田和伸にすっかりかぶれた事から始まり、さまざまな音楽や本や映画を知り、あらゆる場面や喜怒哀楽も共にしてくれたり、銀杏BOYZがきっかけで出会えた人たちもいる。
幼少期から自分のことはあまり好きではないのだが、銀杏BOYZを好きになれない人達の方が圧倒的に多いであろう世界で、銀杏BOYZを好きになれた自分は好きだ、と言える。
もっと大それていうと、好きな物・事・人を好きになれた自分は好きだ。他人から「そんなもんが好きなんてどうかしてる」とどんなに言われようが「好き」と言えるし、手垢のついた例えだけれども、世界で自分以外にそれを好きな人がいなくなろうが好きでいるだろう。
ただ、自分の「好き」を守る或いは輝かせる為に他人の「好き」を攻撃したり汚したりする事だけはしたくないし、他人の「好き」を理解はできなくとも否定はしない、といういつかの自分が結論したスタンスは死ぬまで貫く所存だ。
それにしても、「いつか どこか わからないけど 何かを好きになるかもしれない」とクロマニヨンズが歌っていた事は確かだなあ、とつくづく思う。
先日、病棟の本棚の隅でずっと追いやられていた文庫本と目が合い、タイトルに惹かれて手に取った一冊を今日読み終えた。穏やかでやさしくて良い作品だったので一発で好きになった。本を閉じた時にパタリ、と好きなものがまたひとつ増える音がした。きっと大丈夫だろう。
生きていれば好きは増えていく。好きが増えていくということは、優しさが増えることでもあるのかもしれない。やさしくなりたい。
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