まあ要するに、出会いと別れ。

今日またひとりふたり退院していった。
おふたりとも入院してしばらく経った頃に話しかけてくださり、お世話になった方なので、やっぱりどこか寂しさもひとしおなのである。
そのうち1人は手書きのメッセージをくれた。驚きであるし照れくさくもあるのだが、こんなどこの馬の骨かもわからぬような人間に律儀に手書きのメッセージまで、、、と思うと有難い。一生持っておこうと思った。
退院していったおふたりともに次どこかで会う場所は、敢えてこういう言い方をさせてもらうと、病院なんて辛気臭いところではなく、外の世界の、見慣れてる街の片隅というようななにも特別でない場所で。シチュエイションなんかも細かく注文させてもらうとするなら、ふらふらと街をさまよっていたら、たまたま鉢合わせて、なんか気恥ずかしくてにやにやしながら「あ、どうも…」なんてかしこまったりする。そんなのが良い。


頂いたメッセージ。ありがたい。綺麗に折りたたまれた紙の凄さ。開くのも忘れしばし眺めた。

入院生活も長くなってくるとそれなりに出会いも別れもあるのだけれども、ここで出会った人たちは、自分がこのタイミングで入院しなければ本来出会うことのない人たちだった訳で。
まあここでなくとも別のタイミングや機会があるのかもしれないけれど。
入院病棟ともなると、本来出会わなかった人たちの集まりで構成されている。そこでは出会わなかった人たち同士の出会いと別れが日々孕んでいる。そう思うとある種の不思議さを感じずにはいられない。人生はよく旅や列車に例えられるが、そういう意味でいうなれば、入院病棟のような場所は、本来出会わなかった人たち同士が一度だけ出会う駅みたいなものだな、と、少し静かになった病棟の隅でぼんやり考えたりしていたら眠りこけてしまい、入浴の時間に乗り遅れそうになったんである。

ここまで書いてやっぱり自分で思っている事がうまく言語化できないのが悔しい。文才の無さを感じる。文才が無いからといって今更落ち込むことも無いけれど。気ままに書くのである。書くというか垂れ流し。また、悔しいと落ち込みは同じようで違うところにある。

まあなんとなくふんわりでも読みとってくださったら嬉しい限りである。

全然関係ないのだけれど、自分が死んだ時にあの世とかの類があるならば、真心ブラザーズ「空にまいあがれ」のMVのように、おれが人生で出会った人全員とわちゃわちゃするのが夢である。長い付き合い人から一瞬だけ関わった人まで全員。もう二度と会えそうにない人も、生きてるうちに再会が叶わない人も、そこでまた再会できたら素敵だ。これ人生最後の夢。いや、この場合は死んでから叶うので死後最初の夢か。となると、死後も最後に向かう頃の夢が気になるところでもある。物事には全て始まりと終わりがあるのだから、きっと死にも終わりがあるのだろう。

……何の話をしているのやら。

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