あの人に馳せる0721
オナニーの日。
一般的には下品な語呂合わせのちょっとしたくだらなく、ネタ的で、出オチで、まあハレンチな日なのだけれど、ほんの一部の人々にとっては至って大真面目な、なんなら神聖…いや真性といっても過言ではない。言わば晴れの日だ。
その"ほんの一部の人々"というのは、オナニーマシーンという性春パンクバンドのファンの事である。
そんなオナニーマシーンのボーカル/ベースである「童貞のカリスマ」こと、イノマー(小銭を拾うピエロ)がこの世を去ってから5回目のオナニーの日を迎えた。と同時に、その前年の同日に公表された彼のガン告知から早5年がたった。早いものである。
この日のショックは今でも覚えている。
この頃に受けた余命宣告は3年。でもイノマーなら大丈夫だろうし、なんなら余命なんてオナニーでブッとばすだろうという期待があったのだが、実際はこれから約1年半であの世へいってしまったんである。なんという早漏。
そんな早さでこの世を去ってしまったのと引き換えに、彼が遺したものはあまりにも多い。
いやはや、10年来のファンとしてはまさかその死自体も、イノマーが死後評価されるようになる人となるとも夢にも思わなかったんである。
伝説のティッシュタイムフェスティバル、彼の生き様が世に知れ渡るきっかけとなった「家ついて行っていいですか?」、イノマーロックフェスティバル、闘病記の出版…
そして、何より彼の書いたオナニーマシーンの曲や、彼のブログ「ニッキンタマ」や、彼が手がけた書籍や連載の数々は未だに褪せることなく多くの人に触れられて、愛されている。もちろん僕もその1人だ。
彼の遺した言葉や文章は、個人的に甲本ヒロトや中島らもに匹敵するくらい胸に刺さるものが多い。
その中でも僕がかなり大好きで、たまにふと思い出しては励まされている文章を紹介したい。
イノマーがTHE BLUE HEARTSのベスト盤に寄せたライナーノーツの一文だ。
初めてこれを読んだ時、「よく生きてるな」側の人間である僕は、この一文に多大な衝撃を受け、同時に肯定された。歌詞でそんな気持ちを抱くのはあれど、文章で抱くのは初めてだった。そしてその後に続くTHE BLUE HEARTS「ロクデナシ」の歌詞の如く並んだ叱責を、
「だって僕は奴等が知らない楽しいことをいっぱい知っているんだから。」
と、一蹴する言葉に泣いて、そして励まされた。
それから10年来、落ち込んだ時やしんどい時にふとこの一文が思い浮かんだり、読み返したりする。忘れる事はあっても消えることはない。
今こうして読んでみてもやはり励まされるし、これやっぱりまんま自分のことだな、自分に向けられた一文だな、なんて気にもなる。カン違いも甚だしいのは分かっている。けれども、そう思わせてくれる程の効力が彼の言葉や文章には確かに、ある。
かつて「家は焼けても柱は残る」というキャッチコピーを打ち出したのは中島らもだが、それに肖れば「人は死んでも言葉は残る」のだな、と思う。かつてイノマーが「昔、あの人が言ってた」と歌っていたように。あ、でもビートたけしは生きてるか…。
イノマーがこの世を去ってから、彼を思い出す度にいつも考えることがある。
イノマーが生きていたら、今の世界をどんな言葉で形容し、どんな文章で表わすのだろう。
そして何より、イノマーなら今の世界をどう面白がるのだろう、と。