王子の中庭 2
【シーン2】
居間の暖炉では、低くパチパチと心地よい音を立てて薪が燃えている。マキシミリアン(マックス)、マリア、フェリペ、マルガレーテの親子四人はその前の絨毯に腰を下ろし、暖をとりつつ笑いさざめいている。
フェリペは母マリアの膝に抱かれ、マルガレーテは父マキシミリアンに寄り添うようにして座っている。
居間の壁面の一つは、豪奢なタペストリーで覆われている。そこには、マリアの父シャルル突進公の結婚式とそれに伴う祝宴の様子が描き出されている。
「これって、お祖父様の結婚式の絵なんだよね?」フェリペはそのタペストリーを指さしながら、母親の顔を見上げて尋ねる。「どうして槍を持ったり、騎馬試合をしてる人たちがいたりするの?」
「婚礼の祝宴のアトラクションよ」マリアは息子の頭を軽く愛撫しながら答える。「他にも行列や演劇なんかも開かれたそうよ、九日間にもわたってね」
「ふぅん、そうなんだ…」フェリペは妹の方を見遣る。「ぼく、大きくなったらマルガレーテと結婚する」
「おいおい、それはダメだよ」と、父親のマクシミリアンは笑う。「実の妹だからダメなのはもちろんだが、私たち貴族や王族にとって、結婚というのはそんなに簡単なものじゃないんだ」
「簡単なものじゃない…って?」と、フェリペは目をしばだたかせる。
「そうだな…」マックスは宙を見つめて考える。「それじゃ、私たちの結婚のことを話しておこう。マルガレーテも聞いておきなさい。でも、眠くなったらいつでも眠っていいんだよ」
幼い娘は父を見上げて笑顔でうなずく。
「世の中には許嫁という制度がある」マックスは、まるですでに一人前の青年にでも対するように息子に語り掛ける。「まだおまえたちぐらいの年頃でも、将来の婚姻関係を約束するという制度だ。もちろん、本人同士ではなく、親や一族の間での取り決めだけどね」
「そう。私をマクシミリアンの許嫁と決めたのも、私のお父様、あなたのお祖父さまのシャルル公だったの」と、マリアが言い添える。
「ふぅん…」フェリペは壁のタペストリーの中央に坐す勇猛そうな人物の絵を見つめる。「いつ?」
「いつだったかしら」マリアは微笑んで夫と目くばせしあう。「さあ、お祖父様がマックスとそのお父様の神聖ローマ皇帝フリードリヒ三世を、こちらにご招待したときだったんじゃないかしら?」
「あのとき私はまだ年端もゆかない少年だったけれど、シャルル公はとても親切に接してくださって、私なんかが見たこともないような豪華な宴席を設けてくださったんだ」
「そうして、何を訊ねても才気煥発な返答をする、きりっとした、それでいて控えめな態度のマキシミリアン少年をとても気に入って、フリードリヒ三世に『我が娘をマキシミリアンの許嫁としてはもらえないだろうか』と申し上げたの」
「ところが、私の父はご返事を避けて、私の手を取って逃げるようにしてウィーンへと帰ってしまったのだよ」マックスは肩をすくめて苦笑する。
「どうして?」フェリペは不思議そうに尋ねる。「それじゃ、許嫁には…?」
「そうね、お互い許嫁の取り決めはできないままだった」マリアはややうつむき加減になって言葉を継ぐ。「私自身も、自分がマキシミリアンの許嫁になってるとは思ってなかったの、シャルル公が突然亡くなるまではね…」
「どういうこと?」フェリペも子供ながらに好奇心を刺激された様子だ。
「あれは、忘れもしない、一四七七年一月のこと。シャルル公がナンシーの戦いでお亡くなりになってしまったの。そのときブリュッセルにいた私は、突然世界がひっくり返ったようなショックで、これからどうしていいやらわからないままおろおろしていた。だって、ブルゴーニュ公家の跡継ぎは私しかいないというのに、貴族たちは私なんて無視して強欲な主張ばかりするわ、ガンやブリュージュでは市民たちがもっと自治権をよこせと騒ぎ始めるわ、そのうえ隣の国フランスのルイ十一世が領地を奪い返そうと軍隊を国境に送ってくるわで、万事窮す。そのとき助け舟を出してくださったのが、マーガレットお祖母様だったの」
映像プロモーションの原作として連載中。映画・アニメの他、漫画化ご希望の方はご連絡ください。参考画像ファイル集あり。なお、本小説は、大航海時代の歴史資料(日・英・西・伊・蘭・葡・仏など各国語)に基づきつつ、独自の資料解釈や新仮説も採用しています。