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僕たちは、サイゴン川を見下ろすラウンジの壁際のカウンター席に並んで座っている。僕はジンフィズをすすりながら、連れはタンジーレモンを飲みながら、街の夜景を眺めている。
夜の闇の底をぼうっと見つめていると、川面に映って揺れる街の灯りが、ペナン島の奥に位置する或る村の夜景と重なってくる。
「あれって、何だったんだろうね?」僕はなんとなく呟いてみる。
「そうね、意外にもほんとのことだったのかもね」連れも同じことを考えていたのだ。
クアラルンプールからホーチミンに向かうマレーシア航空MH758便の中で、僕たちはそれぞれのiPadに落とし込んだジム・トンプソン失踪事件に関する記事や資料を読み返していた。
それは以前ざっと調べてみた事実関係や仮説の再確認というか、記憶をよみがえらせる作業でもあった。
ただ、今回は一つだけ新たな情報が加わっている。
マラヤ共産党による暗殺説だ。
「あのお爺さん、たしかにマラヤ共産党がどうたらって言ってたよね」連れの口調もいつになく真剣だ。「ジムはマラヤ共産党の最高幹部に会おうとしてたって」
「うん。もう少し真面目に聞いてあげれてればよかったよな…」実際、迂闊過ぎたと思う。「でも、いまさらどうしようもないしさ…」
「そうでもないかもよ」連れは窓の向うに広がる夜景をみつめたままつぶやく。「できるだけ再現してみればいいのよ。事実として証明できるかどうかより、あの人の言ってたことはちゃんと筋が通るってわかったことの方が重要だわ」
「なるほど」けっこう真理かもしれない。「僕も、これまでの情報とできるだけ細かく照らし合わせてみたら何か見えてくるかもしれないと思う」
「名前、なんていってたっけ?」連れは僕の方を見て瞬きする。「覚えてる?」
「あの爺さんでしょ?」連れはもちろんというふうにうなずく。「僕もよく覚えてないけど、別に名乗ったりはしなかったんじゃないかな? それに、たとえ名乗ってたとしても、本名じゃなかったはず。やたら『ジムが、ジムが』っていってたから、ジムでもいいんじゃない?」
「それだと話がこんぐらがっちゃうわよ」と連れは笑う。「じゃあ、トムにしょう。いい?」
「いいよ」