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死の床の告白

人々の興味をひく「謎」というのは、その手がかりが少なければ少ないほど、いろんな憶測を産む。
1967年におきたこの「事件」が、今なお東南アジア各国や米国で関心を持たれ続けているのも、まさにそれで、事故説から殺害説まで実に様々な説theoriesが流れている。

そこに、今世紀に入って十年余りになろうとするころ、ある人物が死に臨んだときの告白証言が出てきた。
それによると、かつてキャメロン・ハイランドはマラヤ共産党(CPM)の潜伏拠点で、ムーンライト・コテッジにはCPMの司令部がおかれていたこともあったという。
で、ジム・トンプソンは、そのマラヤ共産党の総書記長CPM's secretary-generalで、当時「最重要指名手配」の対象だったチン・ペンChin Pengという人物に会って話がしたいと言ってきた。
ところが、CPMが調べてみたところ、トンプソンは米国諜報機関の元エージェントだったことが判明した。
実際、彼が今のCIAの前身である戦略情報事務局Office of Strategic Services (OSS)の局員だったことは事実で、有名なタイシルク産業も、OSSのタイ支局勤めの傍ら起こしたものだという。

マラヤ共産党側は、これは米国側のスパイ活動の一環に違いないと判断して、ジム・トンプソンを監視下に置くことにした。
そのことを知ってか知らでか、トンプソンはまさにその月光荘へとやってきた。もちろん、当時そこはすでにシンガポール在住のドクター・リンDr Lingの所有になっており、表面上はイースター休暇を利用した友人の別荘訪問にすぎなかったわけだけど、CPMからするとズカズカと(かつての)本拠地に乗り込んできやがった、という感じだったのであろう。

元来マラヤ共産党は当時の政府にとっては反社会勢力、その党員やシンパはひっそりと隠れ住んでいた。もちろん、キャメロンハイランドには残党が多く、月光荘のスタッフのなかにもシンパが潜んでいた。
彼もしくは彼らは、すでにキャメロンハイランドから離れたところにある党本部に連絡しようとしたが、なにぶんお粗末な通信機しかなく、自分(たち)で「処理」するしかなかった。

そして、「その時」は、3月27日午後三時、彼がひとりで散歩に出かけたとにやってきた。彼(ら)はこっそりとトンプソンの後をつけていき、ひとけのない山中で殺害して遺体を埋めた…。

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ジーン大門
映像プロモーションの原作として連載中。映画・アニメの他、漫画化ご希望の方はご連絡ください。参考画像ファイル集あり。なお、本小説は、大航海時代の歴史資料(日・英・西・伊・蘭・葡・仏など各国語)に基づきつつ、独自の資料解釈や新仮説も採用しています。