「クールベと海 展 ―フランス近代 自然へのまなざし」
私の生まれ故郷は大分県だ。海といえば別府湾を思い出す。瀬戸内海の西端に位置する内湾は台風でもこないかぎり荒れることがない。私にとっての海はおだやかな「とじた海」。なので琵琶湖を訪れたときはなにか懐かしい気がした。24歳のとき高知県で太平洋をはじめて見たときのおどろきは忘れられない。青い海と青い空を分かつ一本の線。サーファーという人たちが背の高さを超えるような波に乗っている…。「ひらけた海」だ。
19世紀フランスを代表するレアリスムの巨匠ギュスターヴ・クールベ(1819−1877)の回顧展「クールベと海 展 ―フランス近代 自然へのまなざし」が東京・新橋のパナソニック汐留美術館で開催された。1860年代以降に集中的に取り組んだ「波」の連作が本展の中心となっている。
フランスとスイスの国境に近いジュラ山脈のふもとオルナンに生まれたクールベは22歳のときにはじめて海を見た。それは私の見た高知の海とは比べものにならないほど大きなおどろきだったろう。
「波」の連作でクールベは人物のいない海を、その波をひたすら丹念に描きつづけた。レアリスム以前の神話や聖書の世界を描く宗教画において、海はその物語の舞台装置でしかなかった。また19世紀になると鉄道の発達で海岸の町に富裕層のための保養地が多く誕生していた。クールベと同時代の画家はこぞって「社交場としての海」を描いた。しかし、クールベの作品に人物はでてこない。それは写実への探求心と海への畏敬のように感じる。
1870年にパリ・コミューンの反乱に加担し、ヴァンドーム広場の円柱を破壊した罪で莫大な費用の支払いを命じられ、その後スイスに亡命する。そのまま再び海を見ることなくクールベは58年の生涯を閉じた。生まれ故郷の山国に戻った彼はやはり海に心惹かれたのだろうか? 彼にとっての海は偏西風で荒れる「ひらけた」大西洋だったのだろう。私にとっての海はやはりおだやかな「とじた」別府湾の海だ。「港町」なのに海を見渡せない街・東京でそんなことを思った。
渡抜貴史