2022年・元旦
昨年12月は、母のデイケア2カ所、デイサービス2カ所の体験、その間に介護ベッドとポールの手すりを設置をした。ポールは取外し可能で、歩けるようになったら外すという決意が込められている。玄関、バス、トイレ、リビング、ベランダ......あったらいいな、の場所に設置してその不可を現在お試し中である。そして、デイケア週1回(4時間)、デイサービス週1回(1,5時間)の契約をし、年末ぎりぎりにそれぞれ1回ずつ通った。
大晦日、次女が豪華な料理に刺身、寿司、そしてお酒をたずさえて、「今、そっちに向かってるよ」.........と、まさにそのタイミングで、母はお風呂に入る入らないでぐずり出した。年越しだからきれいになろうよ、と優しく言う長女に向かって、「いいの、もう死ぬから」と拗ねてベッドに入ってしまった。毎回、孫の丁寧な介助あってこその入浴、デイケアも入浴無しの時間短縮で、少しでも家にいられるようにと配慮しているというのに.......。
他者の気持ちを理解しないのは、アルツハイマーの悲しいところなのだが、元々の性格のきつさもあって毎度毎度、やる事、言う事、実に強烈である。加えて何か楽しいイベントの前後を台無しにするのも、今に始まったことではないので、あぁ、また今年の年末年始もか、とトラウマになりつつある恐怖の中、次女到着。まず軽くお風呂に入ってもらい、「おばあちゃん、みんな入ったからおばあちゃんの番だよ!」とさりげなく.....。
お風呂を終えると早々に宴が始まった。目の前に並ぶご馳走に箸はがぜん進み、お酒も楽しみながら母は、「生きててよかったわぁ」と平然と言う。(さっきはもう死ぬはずだったのにね)........ この騒動も明日にはもう忘れているのだろうな。そしてまた同じ繰り返しの日々が続くのだ。でも今夜だけは、家族揃って過ごせる幸せに感謝しよう。その昔、母が楽しい年越しの幾夜をくれたことを思い出そう。
母がすぐに生き死にを言葉にするのは、本人がそれを意識しているからなのだ。もう長くはないと心の底では思っていてそれを恐れ、残念に思っている。思いが通らないと自分の存在が軽く扱われていると思い、必死になって我を通そうとする。その言葉は乱暴で配慮がなくとても残酷だ。何をしてもどんなに思いやっても通じない、まだ足りない、まだ足りないと言われているような気がする。 ......きっとまだ何かが足りないのだろう。
はたして、可愛く歳を重ねるということは可能なのだろうか? と考えることしばしばである。アルツハイマーになったら(そうならなくても)皆、我をはり怒りっぽくなるのだろうか? そうはならないと自分に言い聞かせても、アルツハイマーになったら、または加齢のせいで、私も同じ道を歩むのだろうか? そうならないがために、今から気をつけること、積み重ねていけることはあるのだろうか? 歳があけて春には94になる母の背中は、何を伝えようともがいているのだろう。
それにしても孫は優しい。時々切れそうになる、折れそうになる心をグッと抑えて立ち直る。繰り返される祖母の暴言を浴びながら、きっと多くを学んだのだと思う。去年1年、私たちはどれだけ泣いたことだろう。だが、孫の方が先を歩き出している。娘の私はまだそこまで達観できていない。いないけれども、でも今年もまた一緒に年を越しが出来たのだ。命がまだそこに存在している。だからやっぱりこれはかなりおめでたいことなのだ。
新年あけましておめでとうございます!!!
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