病院難民
世の中にはどうしてこんなにたくさん病院があるのだろう。そしてその数ある病院の中で安心できる病院がなんと少ないのだろう。母が少しでも歩く機会を持てるようにシルバーカーで行ける所……その条件下にも病院はたくさんある。内科の主治医を探そうとして今、苦戦中である。
綺麗な外観、素敵なカフェ完備、看護士さんはいい感じなのに、どうせ年寄りなんだからこんなものでいいでしょう、と言わんばかりの雰囲気を醸し出す先生、あたった曜日が悪かったのか? 否、3回違う科を受診したけれど、どの先生も似た感じ、こりゃダメだ。長期療養で入院させる患者歓迎みたいな感じ。ざんねん、母の内臓は極めて健康なのである。
地元に根ざしたクリニックで経験豊富な先生、そう思って受診したら横柄で無神経な言葉を投げつける老医師だった。祖父母との関係が深い若い医師がいいのかも?と思ったりもするけれど、そんなこと事前に知る方法も無く....... 老人に老医師はマッチングしないのかもしれないと、結論は概ねそんな感じに落ち着いたが、やはり年齢ではない人柄である、と病院難民の彷徨いは続く。
熱心な先生、明るい先生、そういう整形外科と皮膚科には辿り着いた。整形外科医は若くて元気な医師。転倒防止のための運動法を伝授され、骨粗相症の注射を受ける。詳しい血液検査をして説明もしっかり受けた上での接種である。皮膚科は初老の医師で、乾燥肌のためのクリームを多めに出しておこうかね、と大らか! ケアマネさんに、内科は決まりましたか?と問われて、地域に君臨しているような意識の爺様はダメですと告げる。ま、これはたまたま運が悪かったのだろうと思うことにする。それにしても不快感が残る。
認知症のある93歳の老人に対する命の重みは非常に軽いのである。もうどうでもいいでしょう、余禄の命なんだから….そんな態度で診察する医師は、家族は長生きされて困っていると頭から決めつけている。小さな変化を見逃したくないから何か起こってからではなく、普段から気をつけていたいと思う、その気持ちを汲んでくれる心優しい医師に出会いたいものである。
母のように集団が嫌いで訪問介護週1回40分だけだと利益を産む利用者ではないからなのか、デイケアやデイサービスを勧められるのだけれど、もう無理です、行く行かないの問答を毎回繰り返すエネルギーがありません………。そのたった40分でさえ、その時だけ血圧が上がってしまうので、運動は控えるということになって散歩もままならないのだから、お母さん、いい加減にしてよ!
だけど実際のところ、93歳のデイサービス・デビューはもはや遅過ぎるのである。最新型のマシーンで足腰を鍛えるといってもそんなモノ見たこともない、フィットネスなんて言葉も知らない93歳である。そのありがたみが解るはずもなく、隣に自分と同じ老人を見て元気になれるものだろうか?母曰く、行ったって年寄りしかいないのよ、が正直な感想なのだろう。
それにしても、私の方がメンテナス不足で身体がガタガタである。生まれて初めてカイロプラクティックなるものをうけ、フラワーセラピーを受け、鍼灸院に通い、もはや老老介護の域である。誰か、せめて話相手になってくれる人はいないだろうか……….電話で同じ話の繰り返しに付き合ってくれる妹と姪っ子ふたり。彼女たちも80代である。最後までひとりだけ残されて長生きし続けたらどうしよう、それが母の最大の心配事である。